chungking express trailer (japan)
BSでやっていたウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』をみました。
うわー!90年代っぽい!というのが最初の感想。
金城武が主人公の第一部は渋谷系の映画のような、あの頃の色使いと音楽でした。
なんか、20年の月日というか、時の流れを感じてしまったのが正直なところ。オザケンが復活しているらしかったり、韓国で渋谷系が流行っているなんて話も聞きますが、このカッコつけ方に中二的なダサさを感じるというか、ここまで"クールさ"を求めるのは10代後半から20代前半の感性で、30代の俺はオッサンになってしまたのでは…><と想ったり。
更に第二部ではフェイ・ウォンが違法行為?を行うのですがこれにも「おいおい」と想ってしまったり。大学時代の後輩が昔に「社会人になると昔好きだった『RENT』をみたときに"賃料払わないのはないだろう"と想ってしまう」と言ってたのを思い出して、「俺も社会の規則を破る側から、自分勝手な連中にルールを破られる側の立場に心情が寄りつつあるのか」と想ったりしました。
90年代感というか、尖って、しかし自分勝手な魔法の時間を人は青春と呼ぶとしたら、そのノリに郷愁を感じつつも、時代も、自分も変わりつつあるのかもしれません。
しかし、早稲田松竹でウォン・カーウァイ2本立てをみた彼女と話していて
昨日書いた曜変天目のETV特集に出てきた長江さんのように、大人になるほど自由度が増すというか、自分のかなえたい夢を実現させることができる。少なくともそういう生き方をできている人がいるとも気づかされました。
若年寄というか勝手に丸くなったつもりで自制する人より、大人だからこその愉しみを満喫している人の方が多いかも。と。
先日のArcaのWombも平均年齢高かった印象。大人になるほど喜びを手に入れられることもあるのかもと想ったり。快楽や幸せのピークは肉体のピークとは異なるといえるかも。
そうした時、「大人になる」とは何かを考えると「自分の行動に覚悟が持てるか」ではないかと思いました。法を犯したら刑を受けるリスクを負う。ギャンブルをしたら金を失うリスクを負う。不貞を犯したら愛を失うリスクを負う。自由を謳歌する責任を、リスクを負う覚悟をもって行動しているかが、子供と大人を分けることではないでしょうか。
自分の行動がもたらすリスクを引き受ける。賭けをしたときに覚悟を決める。フェイの物語はそんな風に見えなかったのが乗れなかった理由かなーと。そういう意味で、私の心情が子どものピュアさ寄りのスタンスから、大人のスタンスを取るようになってきたんだなぁと感じた映画鑑賞でした。
Chungking express - Soundtrack