言葉の無限、身体の重力

Let It Be Naked Trailer


家ついて行ってイイですか?が好きなのですが、この番組を見ると、身体性を感じます。というより、"理論上の人生モデル"には書かれない実際に人生を動かすときの凸凹を。その凸凹は大局的な見地に立った時はノイズと看做されてしまうのかもしれません。しかしその凸凹こそが人生に愛すべき温かみとほろ苦さを生んでいると最近想います。

最近、ドキュメンタリーが好きで。NHKスペシャルやAbemaTVで流れるドキュメンタリー映画も好きなのですが、フジテレビがやってるNONFIXやFNSドキュメンタリー大賞の派手さのないドキュメンタリーを好むようになって。

昔はNONFIXとか、"休日の昼になんでこんなしみったれた番組やっているんだろ"と面白味がわからなかったのですが、年を取るほどに想像の世界から現実の世界へ興味の軸足が移っているのか。大学の頃はあんなに好きだったTVバラエティーや広告事業のきらびやかさが、すぐお腹一杯になってしまうようになってきたというか。なーんかNHKばっかりみてるのもアレなのですが、段々そんな流れになってきてますね。まぁラップトップでしょーもないのは見ているのですがw

身体性、人生の凸凹みたいなのは、ためしてガッテン的なライフハック術で捉えた身体というよりは社会的な身体性といえるかもしれません。

大学を出て十年、身体性、取り分け社会的動物としての身体を意識せざるを得なく、文章というものの虚ろさを認識せざるを得なかった十年でもありました。

言葉、認識、意識は時に魔法のような効果を発揮しますが、身体から乖離しすぎると魔術も無意味になります。理論上では捨象された身体的な反動こそが生の重みで。文章に身体性を持たせることは主たるテーマであり続けています。

身体を無視することは不可能である、と同時に、"身体"のみで生きるのは吹き荒ぶ寒風に防寒着もなく生きろと言われるようなもので、想像/理論を纏うことで人間はヒトの間に存在するのだと思います。相手を受け容れるというのは、フィジカルな事実を求めるだけでなく相手の精神的な部分(想像/理論)を受け容れることではないか。だからこそコミュニケーションには身体と言葉が必要になるのでしょう。

他者に働きかけるのが苦手で、他者から何かを言われるのも嫌な人間としては、自省を続ける他なかった日々だったし、それで駄目だった事も良かった事もありました。

このサイトは12年前の11月に立ち上げたようです。干支で一回り。みられることの面白さを知り、エスカレートから破綻したり、秘することや少しばかりの誇りを知ったりした12年。身体性こそが実体なのだけれども、言葉 / 情報 / 記録は時を超えていくことを最近感じます。"書く"という身体性があったのかもしれません。

もう一回干支を回せるかは先は見えませんが、様々な事が流転していく中で続けてきたこのサイト、これからも言葉と身体の私小説のような記録を重ねていけたら。いつか漱石のような文章を書いてみたいものです。読んでくださる皆様に末永くお付き合いいただけたら幸いです。
by wavesll | 2016-11-10 22:47 | 私信 | Trackback | Comments(0)
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