梅棹忠夫『知的生産の技術』を読みました。
昨晩の
外山滋比古『思考の整理学』読書ノートから間髪入れずに読んだため、その共通点(というか『思考の整理学』の種本がこれではないかw)と相違点が良く分かりました。
以下、心残点と感想を。
はじめに学校は情報を教え過ぎる癖に知識の獲得の仕方は教えない。技術論が大事。もっといえば情報の時代の今日(1969年)コンピューターのプログラムの書き方が個人的な基礎技能になる日が早く来るかもしれない。
インターネット時代を予見した
マクルーハン『メディア論』、シンギュラリティの時代にどう生きるかを示唆した
『思考の整理学』に続き、ここにも未来視が。時の試練を越えるものには未来の価値観が含まれているのかもしれません。
本書はハウツー本ではないと書かれていますが、結構実際的なHow toが書かれていました。
野帖メレジュコーフスキィ『神々の復活』ではレオナルド・ダ・ヴィンチは手帳に何でも書き込むとあった。わたしも手帳に「発見」を書いた。「発見の手帳」をつけると「二重発見」をチェックできるし、発見達の相互連関をみつけることができる。
野帖(フィールド・ノート)としてカードを開発して情報を整理した。カードはコンピューターに似ている。どちらも「忘却の装置」である。資料の整理は規格化が肝心で、体系的な管理システム構築により「時間」の捻出というより生活の「秩序と静けさ」がつくれる。
ここら辺のカード式情報管理法は「思考の整理学」にも書いてあったし、詳細なファイリング法も描いてありましたが、今はEvernote等で代用できる気がします。実際、BlogやTwitterを情報管理のツールとして有用で。
そこら辺のアプリ論は
『知的生産の技術』の各章を、現代の視点から(シゴタノ!)に詳しいです。
とはいえ、電気を必要としないシステムってかなり強靭だとも思いました。
読書技術i. 本ははじめからおわりまで読む。これが「よんだ」。一部だけ読んだものは「みた」。
ii. 読んだ日付や基本情報などの「読書の履歴書」をつくる
iii. 一気に読む
iv. 傍線を引く
v. 読書ノートをつくる。その際に一旦一気に読んだ後、つん読して、もう一度短時間で読む「読書二遍」が有効。
vi. 「その本の著者にとって大事な所」と「自分にとって面白い所」の二重の文脈で読む
vii. 読書にとって大事なのは著者の思想を正確に理解する事もあるが、それによって自分の思想を開発し、育成すること。それが創造的読書。
vii. 本は何かを「いうために読む」のでなく「いわないために読む」。引用するのが多いことは、それだけ他人の言説に頼っていて、自分の想像に関わる部分が少ないこと
読書技術についてかかれた部分が本書で一番有用でした。特に読書ノートを作る際に、自分と著者の間で化学反応した「自分の文脈」を大事にするというのはキュレーションサイトが色褪せたイマに非常に有効な提案だなと想いました。
文章の書き方i. ローマ字で日本語を書くと日本語の分かち書きが身に付き、日本語理解が深まった
ii. 手紙の形式の周知の必要性
iii. 日記は、時間が立つと「他人」になる「自分」との文通で、魂の記録だけでなく宮廷貴族の昔から自分の為の業務報告もある。
iv. 原稿の書き方は、きちんとしたルールを訓練しないといけない。
v. 行動家は文章嫌いなきらいはあるが、文章は才能より訓練。文芸的な文章よりもビジネス的な文章の方が必要とされる場合は大きく、わかりやすさが大切。国語教育の設計しなおしが必要。
文学と異なる実際的な文章メソッドの話は
山田ズーニーさんの『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 に詳しいです。
この『知的生産の技術』は『思考の整理術』だけでなく、『伝わる・揺さぶる!文章を書く』や
斎藤孝『三色ボールペンで読む日本語』の父となった大樹に感じて。その樹形図の流れを視ることで、これから私たちの世代がいかに古典を現代へ転置していくかについても興味深く読むことができました。