見城徹 藤田晋『憂鬱でなければ、仕事じゃない』 極端なまでに仁義を通す仕事心得本

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友に薦められた一冊。

幻冬舎の見城氏とサイバーエージェントの藤田氏がタイトルとなった『憂鬱でなければ、仕事じゃない』や『小さいことにくよくよしろよ』等、ハイヴォルテージな仕事論を語る一冊。

サクサク読める分具体的な掘り下げはそこまでないけれど、ホリエモンの『多動力』に比べれば内容は大分あったなと。こういう読書はエナジードリンクみたいなものですね。

見城氏はかなり体育会系的にがっつり語るのに対し、藤田氏がソフトに補助線を引く構成は読み易かったです。

要約すれば「小さなことにも手を抜かず人の機微にきめ細かく対応し、極端なまでに圧倒的な努力をして争いに勝つ結果を出せ」ということ。仁義を通すことの重要さが語られ、何か裏技を駆使して旨い汁を啜るというより、正面突破をガンガンガンガンガンガンやるという感じ。

『パーティーは無駄』という章には「パーティーではコミュニケーションの閾値を越えない」と思うので共感し、カラダを鍛えることの重要性を説く章なんかは私自身「精神力の8割は体力」とも想うなど共感しつつ、仕事で何度か鬱になった人間としては付いていけないと感じるところも多々ありました。

しかし結局は真っ当な努力を動き続けることの大事さが語られているのには感銘を受けて。

タカタといい神戸製鋼といい日産といい、日本のものづくりへの信頼が大きく崩れる今は『真面目、真っ当』が馬鹿にされ過ぎたか、ズルが『ハック』と持て囃されすぎたかとも想います。

「こんなにも尽くしているんだからこれくらいの汚点見逃してくれよ」という感情があったかもしれませんが、社会は良い点よりも悪い点が強く印象に残ります。積み上げた信頼のポイントも、不快さを撒き散らしては水の泡。最低限への社会的、公的仁義は通さねば評価が無碍になります。

「お客様は神様です」でのサービスのダンピングで囚人のジレンマのように日本社会はなっているように感じながらも、かといって削ってはならないところと削れるところの見極め、変革・進化へのシフトの選球眼が崩れては不味い。そうした今、本書の説教は響く気がしました。

無駄な因習からの解放と品質保持、そして創新の鼎立には人的資源が足りないのか。”価値を生むとは他者に真似できない水準で走り続ける事”と、ふむ。

私は仕事に走り続けるだけが人生でなく、心身を養いメンテナンスすることも営みを持続可能にするための労働者の仁義だと想いますが、それも含めて“正しい努力、正しい苦労の方向性”を示し、説明責任と結果責任を負う、そんな未来視の指導者が今この国には必要かとも想います。

『天使のようにしたたかに、悪魔のように繊細に』などには気持ちの良い応対をする人間の下には情報や人々が集まってくる実感があり、自分の中で再発見が多い読書となりました。『ヒットは地獄のはじまり』等は「それを結局力業で捻じ伏せるだけか」とも想ったりもしましたが、丁度いいカンフル剤になりました。

cf.
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む

アダム・スミス著 村井章子+北川知子訳『道徳感情論』ー"もしアダ"が書きたくなる稀代の"いいね論"
by wavesll | 2017-10-12 21:37 | 書評 | Trackback | Comments(0)
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