断言との付き合い方

断言を多用したり簡単にこっちの意見を否定する人間の自信に脅かされることってないですか?

けれど、よくよく話を聞いてみると知識の無さを感じることが多く、単に阿呆故の浅慮ではないかと最近思うのです。

と同時に阿呆な決断が現実に迫力を持って効力を発揮するのも事実で。複雑で中間色の話はウケが悪い所があります。

私は相手の意見を否定することは基本しないで、相手からの否定の言葉には”確かにそうかもしれない、自分のこの考えにはOXという弱点があって、そこをこの人は重要視し否定をしているのかも”と自分の中で補完してしまいがちです。

しかし否定意見を投げかけられたときに必要なのはまずは反論であり、或いは「何故そう思うのか」の根拠を求める態度だと想います。

言い放されているのを放置すると精神健康上具合が悪いですから、防御技術は必要だなと。単なる浅薄な否定に付き合ってはしょうもない。あまりに不愉快が続くならば、板橋の縁切榎でも行って交わりを絶つのもありかと。

物事には必ずいい点と悪い点があり、意見の精確さを誠実に述べようとすると白黒は付けにくいものです。だから、本当はコミュニケーションに於いては「自分の見識だけが正解でないかもしれない」と自らを疑う知見を持つことが必要だと想います。

話をしていて自らの意見から全く譲らず主張するだけの人間には「あぁこいつは聴く耳持たないのだな」と不愉快な気分になるものです。

本当はコミュニケーションは丁寧に言葉を尽くすことが必要で、一旦相手の意見を飲み込んだ上で「確かにそういう気持ちは成り立つけれど、OXという根拠を加味すると私はこう思うがどうだろう」とするのが理想で。

自分の意見に疑問を持たずガチガチな強硬姿勢を通したいならば懇切丁寧な説明をしないといけないなと。

否定の言葉を投げられてもちゃんと根拠が示されれば、単なる呪いの言葉ではなく改善すべき課題の提示となります。

断言をすることは現実的なパワーを持ち、その自信ありげな雰囲気が状況を打破することはありますが、断言をするだけでその後にその説明をきちんとしない人間とはある程度の距離をおいた方が良いという噺でした。

cf.
◆『嫌われる勇気』は読まずに、関連文書を読む ~自己欺瞞を超えて <アドラー心理学に触れて>

◆安倍は何故勝ったのか。「リベラル」「保守」とはそもそも何か。 -総選挙の分析を調べ、政治を考える
by wavesll | 2017-10-25 20:41 | 小噺 | Trackback | Comments(0)
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