フジテレビはバラエティーのイメージが強いですが、結構シリアスな番組もいいのがあって。
NONFIXはその代表格ですが、深夜のFNSドキュメンタリー大賞等も良くて。 今回紹介する番組はそんなフジテレビ深夜真面目枠の一本。『Time Trip 日本の海岸線~伊能忠敬の軌跡~』。 このエントリでは番組で画かれた忠敬の生涯をかけた日本測量プロジェクトを記そうと想います。 千葉県香取市佐原に伊能忠敬が17歳から30年間住んだ家があります。 伊能家は造り酒屋の家で、忠敬は17歳の時に婿入りをします。そこで商才を発揮し事業家として大成功し莫大な財産を創ります。 ところが49歳で息子に家業を譲り、江戸へ。深川、黒江町に隠居宅を構えた忠敬。 その傍には江戸幕府が管轄する天体や暦の研究機関、天文方がありました。 忠敬は少年時代から興味のあった天文学を学ぶために上京したのでした。 天文学は当時の最先端科学、忠敬は天文方きっての新進気鋭の天文学者、髙橋至時(31歳)を訪ねます。この時忠敬50歳。 忠敬は自分より19歳年下の至時に熱心に学び、さらに蓄えた資金を惜しみなく使って天体観測の機材を次々に購入。自宅の物干し台にプロ仕様の天体観測所をつくり、観測に没頭しました。 そんな時忠敬は師匠の至時から『緯度1度の長さが分かれば”地球の大きさ”が分かる(緯度1°の距離X360をすれば地球一周の長さがわかる)』と教授されます。「緯度1°とは大体蝦夷地くらいまで」と知り、蝦夷地行きを熱望。 無論「地球の大きさを測りたい」というプレゼンテーションでは幕府からの許可は出ないため、「蝦夷地の地図を作る」という名目で資金は持ち出しで幕府に申し出、当時蝦夷地に来る外国船に悩まされていた幕府はこれを許可。忠敬この時55歳。親戚の若者たった5人を連れて未開の地へ初めての測量の旅へ。 寛政12年(1800年)閏4月、忠敬たち6人は出発、この時の測量が第一次~第十次に及ぶ全国測量プロジェクトの幕開けとなりました。 江戸から津軽半島の三厩まで21日間で歩いて測量。本州から船で渡り蝦夷地入り。すべて歩測で、海岸線を歩き続けました。そして夜は晴れていれば毎日恒星を観測して緯度を求めました。しかしこの時は寒くなる前に帰ることを優先したため正確な緯度1度の距離は計測できませんでした。 江戸に戻って、測量結果をもとに地図を制作、幕府に報告。伊能図は野帖の記録を基に下図をつくり、それを写しながら針で穴をあけ朱線で結んでゆき、別に写生しておいた沿道風景を書き加えていったもの。そのクオリティに幕府は衝撃を受け、今度は本州の海岸線を測量するよう勧めてきました。 しかし幕府から出された資金は僅か。今度もボランティア同然で挑むことになり、忠敬は測量器具を買い揃えました 佐原、伊能忠敬記念館では忠敬が使った器具が展示してあります。そのほとんどが特注品で、江戸の時計職人が忠敬のオーダーに従ってつくったもの。 享和元年(1801年)4月、本州の東海岸線を測量。忠敬は身内5人と先ず伊豆半島へ向かいました。入り組んだ伊豆半島の測量、崖で歩けないところは船を出して縄を張って測量しました。 そして次に地元房総半島、九十九里、そして屏風ヶ浦。犬吠埼からは富士山も測り、これまでのデータが正しかったか確認。そこから東北の海岸線に入ります。忠敬たちは三陸の海岸線を北上、日本最大級のリアス式海岸を測ります。青森県・下北半島仏ヶ浦をまわり、太平洋側の海岸線を測量し、江戸へ戻りました。 江戸へ戻った忠敬はデータを分析し緯度一度を28.2里(約110.7km)と算出。師匠の至時もこの数値が正しいと判断、地図の完成度も評価しました。 忠敬が全十回の測量ののちに作った伊能図大図は1/36000縮尺で畳1枚分X214枚、縦横50mにもなるもの。伊能図には他にも縮尺の異なる様々な種類があり各地に残されています。 地図に記されている朱線とは測量ルートや共通の目標物に向かって伸びる赤い線で、忠敬は富士山が見えれば必ず測量を行い朱線を引き、その数は300回にも及びました。 享和2年(1802年)6月、忠敬一行は第三次測量の為日本海沿岸へ。雄大な日本海を望みながら南へと下りました。 八郎潟は今は農地にされましたが、伊能図では湖で画かれていました。秋田県・象潟も象潟地震が起き地盤が隆起する前の湖の景勝地だった頃を記しています。地震の2年前に尋ねた忠敬の記録では活発な火山活動をみせる鳥海山が描かれ、地震直前を想わせます。象潟を後にし江戸へ戻ります。 東京・世田谷に伊能忠敬から7代目となる子孫が住んでいます。洋画家である伊能洋さんが佐原の実家に帰った時は「中象限儀」や「量程車」等の忠敬の遺品が守られていたそう。今ではほとんどが国宝や重要文化財に指定されています。洋さんは伊能忠敬の銅像政策の監修にも関わり、銅像は忠敬がすぐ近くに住んでいて、旅に出かける前はお参りをしていた東京・富岡八幡宮に設置されています。 享和3年(1803年)2月、第四次測量へ出発。東海道から北陸へ。この時になると各地で伊能測量隊が有名になっていて、役人があいさつにやって来ることもありました。しかし常に歓迎されるわけでなく、加賀藩では忠敬たちを隠密であると判断、測量隊に何を尋ねられても応えず協力しませんでした。糸魚川測量の舟も出されず。幕府の命を受けているとはいえ測量隊の微妙な立場。それでも忠敬ら6人は測量を続け、東日本測量の旅は終わりを迎えました。 江戸に戻った忠敬につらい出来事が。師匠の高橋義時が文化元年(1804年)に40歳の若さで死んでしまうのです。研究のための過労でした。忠敬が測った緯度一度の長さを証明するため、難解なオランダ語の文書、ラランデ暦書を心血注いで翻訳していたのです。忠敬は親愛なる師匠の死の失意の中で東日本の地図を完成させ、遂に第11代将軍、徳川家斉の上覧を得ることになりました。 家斉はこれを絶賛、忠敬は幕臣に取り立てられ、全国測量プロジェクトは正式に幕府の直轄事業となりました。忠敬この時59歳、西日本の測量の旅が幕開けと成りました。 第5次以降は正式の隊員だけでも20名にもなり、更に藩から提供された作業員とか藩の役人とか全体で多い時には200人から300人の、大名行列に匹敵する規模。幕府が公式のスポンサーになった測量隊は大規模な測量体制となりました。 しかし長期に及ぶ西日本の測量に、遂に忠敬は病に倒れます。 瀬戸内海の島々の測量には膨大な労力が要り、山口県秋穂浦に来た時忠敬は難病の”おこり(マラリアの一種)”に罹ります。それでも忠敬は旅を止めることはありませんでした。それでも旅を止めなかった忠敬も松江で療養を余儀なくされます。 忠敬は一か月以上松江に留まると幸運にも回復。山陰の海岸を東へ進みます。京都から福井に広がる若狭湾を測量すると琵琶湖へ。測量を終え江戸へ戻ると第六次測量、四国へ。 明石海峡を船で淡路島に渡り四国へ入った忠敬たち。鳴門海峡から徳島の海岸線に回り桂浜、そして高知城下へ。四国を半周したところに佐田岬が。ここを折り返し四国測量を終え、江戸へ帰還。次は第七次、九州測量へ。 下関から九州へ入った忠敬たち。大分の海岸線に難儀するも宮崎ではまっすぐな海岸線。伊能図の桜島は文字通り島です。大正3年の大正大噴火で桜島は陸地と繋がったのでした。 伊能測量最大の難関、屋久島と種子島。自身の衰えを強く感じていた忠敬はこの旅立ちの時家族に遺言状を遺しています。屋久島・種子島の測量は何艘もの大型帆船と膨大な作業員で行われ、それを統率する忠敬の苦労は並大抵ではなく、無事終え全国測量のゴールが見えてきた一方で、忠敬の身体は悲鳴を上げていました。 忠敬が長崎から娘に送った手紙には「歯は一つ切りになり、時々痛み、奈良漬けも食べ兼ね候…」と大好物の奈良漬けも食べれなくなった忠敬。それでも使命感と好奇心は失わず、九州最後の測量として端島(軍艦島)の測量を行います。 伊能図には不思議なことに端島とその隣の中之島が実際とは逆に描かれていました。忠敬にもミスはあったよう。九州測量を終えた忠敬、もう70歳を迎えていました。 第九次。伊豆七島測量は、家族に説得された忠敬は江戸に残りました。測量隊は伊豆七島を、沿岸を測るために人が泳いで岩から岩へ縄を通し命がけでの測量となりました。伊豆七島全ての測量には1年を要しました。 そして最後の江戸測量、忠敬は71歳になっていました。咳に苦しみながらも忠敬も現場へ出ていたそうです。初めての測量から17年、遂に日本全土が測量されました。 その後忠敬たちは地図作りの仕上げにかかりますが、忠敬の病状は悪化、遂に地図の完成を観ることなく文化15年4月13日、伊能忠敬は74歳の生涯を終えました。 そして弟子たちは3年後の文政4年(1821年)7月10日、完成された地図が江戸城の大広間で披露されました。縦横50mあまりの巨大な地図は江戸城大広間でも並べきれませんでした。 台東区・源空寺、至時先生の墓石の傍に忠敬の墓はあります。 墓石には「測量の命下る毎にすなわち喜び顔色にあわらし、不日にして発す…(測量の命令が下れば喜んですぐに出発した)」と刻まれています。 晩年、伊能忠敬から娘に送られた手紙には「古今これ無き 日本国中 測量御用仰付けられ…これぞ天命といわんか…(これまで誰もなしえない日本を測量するという使命、これこそ天命である)」とありました。 いかがでしたでしょうか?番組では空撮で忠敬が測った海岸線が映されていました。伊能忠敬の日本測量のそもそもの動機が「緯度一度を測り地球の大きさを算出したい」というものだったとは…!日本全国どころか天文という宇宙規模のスケールのヴィジョンを持っていたのかと驚きました。
by wavesll
| 2017-11-15 19:51
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