疲弊からくる悪意と、身を離し、獣を制御すること

人間、悪意が沸くのは疲弊しきっている時が多いのではと想って。たまにナチュラルにマウンティングを仕掛けたがるクズもいますが、悪意というのは弱った手負いの獸の余力の無さから来るのだと。今日本に憎悪が増してるとしたら、その根本は疲弊、弱りではないか。躁状態も崩壊との際。立ち止まって振り返ることで掬われる灰汁もあるのでは。

私にとっては今でもフラッシュバックするのは大学でて最初の会社辞めて暴言吐いて荒んで騒いでた頃にレディオクレイジーから直行格安バスで東京での先輩主催の忘年会に疲弊しながら顔出したのに先輩が後輩の女の子に「こいつと付き合いたい?」と聴いて女の子が鬼の形相で「絶対嫌です」と言い思わず「結構です」と返してしまった時のこと。

はっきりいえば私が無礼者の輩で仕事もできなかったのが悪いのは間違いなく。その上で、無能の者である立場でどんどん道化の道を極めたというか、鶏口となるも牛後となるなかれとはよく言ったものでいいフィードバックサイクルでないと感じた場からはさっさと離脱するべきで。

何しろ、あの「結構です」は完全敗北宣言でした。

意外性や突拍子の無さ、インスタントな刺激をやり過ぎて、色々と麻痺してて。あの頃私は恥を売って、寧ろ周りに“何故恥を売らないんだ”とブラック思想で。“普通”の腹黒さに対しても無防備で。どいつもこいつもクズなのだけど、クズである自覚がない事を知らない、未熟な坊っちゃんでした。

盲信も、憎悪も、依存。結局私はあまちゃんだったし、世の中の“普通”はかなりタフだと今なら敬意はありませんが痛感はしています。とは言え忘年会の時期になると、自分の極限の弱さを露呈したあの出来事を思い出して。省みる限りは繰り返すことはないでしょう。

プライドというか、自分を大切にしていい。寧ろそれは作法であるということを知ったのがこの十年でした。無駄にサービスしても何も有り難がられはしない。

時に矛を以て、時に盾を以て、時に遁走もして、それでもサヴァイヴ出来れば御の字ではないか。不愉快な輩にかける程情は余ってないこと悟り、ヤマアラシのジレンマが距離によって解消されていくことを感ずる。そんな冬至の夙めてとなりました。

by wavesll | 2017-12-22 06:56 | 私信 | Trackback | Comments(0)
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