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Bührle Collection 至上の印象派展@新美 数百年に及び画家たちが営脈した絵画革命のMovement

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国立新美術館に至上の印象派展 ビュールレ・コレクションを観に行きました。

エミール・ゲオルグ・ビュールレという希代のコレクターがその財をもって集めた珠玉の作品達。そのコレクションは印象派を中心に、その百数十年前における印象派的な感性の萌芽から、印象派を経てモダンアートへ至る美術の遷移を顕わしていました。

最初のセクションは「肖像画」。古典的なモチーフに於ける前・印象派の中で、印象派に通じる感性を「未完の完」で顕わします。

フランス・ハルス≪男の肖像≫は、その素早い筆致から当時は「この絵は出来上がっていない」と不評だったのですが、後年「モダン・アートの先駆けだ」という評価になった作品。

当時の肖像画はジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル≪イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像≫のように隙なく高精細な輝きが目を奪う流れだったところ。同じくアングルの≪アングル夫人の肖像≫のように服のタッチが粗いのは未完だったのが普通。そこを面白がるというのが印象派以降の感性の為せる技。

ここでは幻想的な精神が描かれたアンリ・ファンタン=ラトゥール≪パレットを持つ自画像≫やピアノからふと振り返った様を描いたエドガー・ドガ≪ピアノの前のカミュ夫人≫も良かったです。

次のセクションは「ヨーロッパの都市」。前・印象派に於いてもフランチェスコ・グァルディ≪サン・マルコ沖、ヴェネツィア≫のように水面や空の瞬きに主眼が置かれる絵画でありました。

そして≪カナル・グランデ、ヴェネツィア≫という超高精細な絵を描いたアントーニオ・カナール(カナレット)がリアルに描いた≪サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア≫と同じトポスをパステルな点描で画いたポール・シニャック≪ジュデッカ運河、ヴェネツィア、朝(サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂)≫を並べることで絵画技法の変遷が鮮やかに示します。

またアンリ・マティス≪雪のサン=ミシェル橋、パリ≫という、パブリックイメージとは異なるマティスに於ける印象派な作品も展示してありました。

そしてセクション3は「19世紀のフランス絵画」。カミーユ・コロー≪読書する少女≫は少女がふと読書しているさりげない瞬間を描いている作品。こうした「ひととき」を捉えたスナップショット的な感性は印象派の一つの支柱となる萌芽でした。

ギュスターヴ・クールベ≪狩人の肖像≫はRPGのステータス画面を想起させるような横顔像。ウジェーヌ・ドナクロワ≪モロッコのスルタン≫は画家本人が訪れたという異国の悠然とした将を描いた作品。ピエール・ピュディス・ド・シャヴァンヌ≪コンコルディア習作≫は後進に大きな影響を与えた画家の初期の成功作。

そしてエドゥアール・マネ。≪オリエンタル風の衣装をまとった若い女≫はだらしない白い肢体の艶、中央の二人が主眼ではなく飛び征く≪燕≫こそが書きたいというのが先進的な感性。≪ワシミミズク≫もスナップ写真的な一枚でした。

そしてセクション4は「印象派の風景」。カミーユ・ピサロ≪ルーヴシエンヌの雪道≫は雪が放つ光を描いたまさしく印象派な一枚。アルフレッド・シスレー≪ハンプトン・コートのレガッタ≫は舟の直線としてのヴィジュアルが面白い一枚。エドゥアール・マネ≪ベルヴの庭の隅≫はマネとしては珍しい印象派的な画風の作品。上に書いたマティスもそうですが、画家の”らしくない逸品”を揃えるところがビュールレのマニアックなツボを突くコレクターとしての美点を感じました。

そしてビュールレにとっても特別な画だったというクロード・モネの≪ヴェトゥイユ近郊のヒゲナシ畑≫が素晴らしくて!荒い筆致で画かれた空と精細な筆致で画かれた赤いヒゲナシ畑の明度のコントラストが大きな印象をもたらします。モネでは≪ジヴェルニーのモネの庭≫も咲き誇る花の華が素敵でした。

第5セクションは「印象派の人物」。ここでは何と言ってもメインヴィジュアルであるピエール・オーギュスト・ルノワールの≪イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)≫。遠目では愛らしい美少女だったのが、近づくほどに内面からクール・ビューティーさが湧き出でて。当時ダンヴェール家には不評だったというこの絵、それは精密な絵画を期待されていたからというのもあったそうですが、子どもに潜む冷たさが画き出されたというのもあるかもしれません。

ルノワールは≪夏の帽子≫でも明るさの中に冷たさのある少女を描いていて、豊潤でふくよかな≪泉≫の大人の女性像とは対照的でした。子供に潜む”怖さ”という点ではエドガー・ドガ≪リュドヴィック・ルピック伯爵とその娘たち≫もそう。ドガは他にも≪出走前≫という競馬の一幕を描いた作品や逆光で体のラインが透ける≪控え室の踊り子たち≫、銅像に本物の服を着せた≪14歳の小さな踊り子≫も展示してありました。

セクション6は「ポール・セザンヌ」。≪聖アントニウスの誘惑≫のダークで肉感的な画面。捻った性格も伝わる≪扇子を持つセザンヌ夫人の肖像≫、同じくメイン・ヴィジュアルにも使われた≪赤いチョッキの少年≫は青い画面なのだけれど、少年にライトが当たったような明るい輝きが感ぜられました。≪パレットを持つ自画像≫はいかにも人が良さそう。晩年に良く取り組んだモチーフである≪庭師ヴァリエ(老庭師)≫は20世紀後半のデザイン性というか、かっこいい渋みのある逸品でした。

セクション7は「フィンセント・ファン・ゴッホ」。彼の十年の画業を初期の≪古い塔≫から魅せていきます。≪自画像≫は頬がこけて悲しそうだけれど内面の焔なオーラが込められた一枚。≪アニエールのセーヌ川にかかる橋≫は新たな印象派といった印象で汽車が好い感じ。

そして≪日没を背に種まく人≫の衝撃。印象派の絵は遠目で観た方が綺麗に見えたりするのですが、ゴッホの絵は近づくほどに迫力が増して。巨大な黄色い太陽の円、浮世絵から影響を受けた中央の林檎の枝幹。人物は黒緑に厚塗りされ、地面は紫、空は黄緑、雲は桃色。圧倒されました。

そして≪二人の農婦≫でさらに飛躍。波打つ畑と空。白く抜かれた二人の農婦。生で観るとこんなにもヴィヴィッドな絵だったのか…!≪花咲くマロニエの枝≫も”これぞゴッホ”という名画でした。

第8セクションは「20世紀初頭のフランス絵画」。アンリ・トゥールーズ=ロートレック≪コンフェッティ≫は広告のための習作。白に明るい差し色が入って好い奴でした。パブロ・ピカソ≪ギュスターヴ・コキオの肖像≫は≪庭師ヴァリエ≫のようなカッコよさを持つピカソによるポスト印象派な一枚。

エドゥアール・ヴュイヤール≪訪問者≫は家に帰ってきて外套も脱がずにちょっと腰かけて休む様子が描かれた一枚。ピエール・ボナール≪アンブロワーズ・ヴォラールの肖像≫はきゅっとすぼんだ表情が面白い一枚。

ポール・ゴーギャンによる≪肘掛け椅子の上のひまわり≫は当時ゴッホと交換したというひまわりのモチーフが南洋の湿度・昏い熱気に在る一枚。ゴーギャン≪贈りもの≫は現地の女性の菩薩のような褐色の肉体性が心に馴染みました。

そして第9セクション「モダン・アート」。アンドレ・ドラン≪室内の情景(テーブル)≫はゴッホとキュビズムの間のような鮮やかな色彩の存在感と、空間存在が起ち上がる一枚。

ジョルジュ・ブラックは≪レスタックの港≫は印象派の点描的な表現の先となる線画。≪ヴァイオリニスト≫でキュビズムを描き、≪果物のある静物≫では切り絵のような静物画に辿り着いていました。

そしてパブロ・ピカソ。≪イタリアの女≫は図画的な筆致の絵画を切り拓く一枚。そして≪花とレモンのある静物≫はまさにピカソな、彼ならではのカクっとした描線の迫力ある一枚でした。

そして最終セクション10ではクロード・モネ≪睡蓮の池、緑の反映≫が。発表当時≪睡蓮≫は世間から評価を受けていなかったのですが、ビュールレはその慧眼から価値を見抜き、購入します。後のジャクソン・ポロックのオールオーヴァーに通じるような筆致。17世紀中盤からみてきたこの絵画の変遷は”その先”を予感させながらここに幕を閉じました。

この一大物語をみて想うのは印象派は一人の天才がすべてをかっさらっていったのではなく、天才達の群体によって営まれた芸術のムーヴメントだったということ。そしてその中からゴッホやピカソのような突然変異な爆発が揺籃されて。革命の歴史叙事詩に於ける様々な人のきらめく熱を感じる、本当に全てに見どころのある名展覧会でした。

by wavesll | 2018-04-21 02:46 | 展覧会 | Comments(0)
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