
国立新美術館に
至上の印象派展 ビュールレ・コレクションを観に行きました。
エミール・ゲオルグ・ビュールレという希代のコレクターがその財をもって集めた珠玉の作品達。そのコレクションは印象派を中心に、その百数十年前における印象派的な感性の萌芽から、印象派を経てモダンアートへ至る美術の遷移を顕わしていました。
最初のセクションは「肖像画」。古典的なモチーフに於ける前・印象派の中で、印象派に通じる感性を「未完の完」で顕わします。
フランス・ハルス≪男の肖像≫は、その素早い筆致から当時は「この絵は出来上がっていない」と不評だったのですが、後年「モダン・アートの先駆けだ」という評価になった作品。
そしてセクション3は「19世紀のフランス絵画」。
カミーユ・コロー≪読書する少女≫は少女がふと読書しているさりげない瞬間を描いている作品。こうした「ひととき」を捉えたスナップショット的な感性は印象派の一つの支柱となる萌芽でした。
そして
≪日没を背に種まく人≫の衝撃。印象派の絵は遠目で観た方が綺麗に見えたりするのですが、ゴッホの絵は近づくほどに迫力が増して。巨大な黄色い太陽の円、浮世絵から影響を受けた中央の林檎の枝幹。人物は黒緑に厚塗りされ、地面は紫、空は黄緑、雲は桃色。圧倒されました。
そして
≪二人の農婦≫でさらに飛躍。波打つ畑と空。白く抜かれた二人の農婦。生で観るとこんなにもヴィヴィッドな絵だったのか…!
≪花咲くマロニエの枝≫も”これぞゴッホ”という名画でした。
ポール・ゴーギャンによる
≪肘掛け椅子の上のひまわり≫は当時ゴッホと交換したというひまわりのモチーフが南洋の湿度・昏い熱気に在る一枚。ゴーギャン
≪贈りもの≫は現地の女性の菩薩のような褐色の肉体性が心に馴染みました。
そして最終セクション10では
クロード・モネ≪睡蓮の池、緑の反映≫が。発表当時≪睡蓮≫は世間から評価を受けていなかったのですが、ビュールレはその慧眼から価値を見抜き、購入します。後の
ジャクソン・ポロックのオールオーヴァーに通じるような筆致。17世紀中盤からみてきたこの絵画の変遷は”その先”を予感させながらここに幕を閉じました。
この一大物語をみて想うのは印象派は一人の天才がすべてをかっさらっていったのではなく、天才達の群体によって営まれた芸術のムーヴメントだったということ。そしてその中からゴッホやピカソのような突然変異な爆発が揺籃されて。革命の歴史叙事詩に於ける様々な人のきらめく熱を感じる、本当に全てに見どころのある名展覧会でした。