Showの虚で人生の実を破壊されないために

c0002171_01584743.jpg
気が滅入る報道ばかりで、人里から離れたくなります。と共に一方で人のぬくもりが時に欲しくなる。そんな肌寒さ。

気が滅入るのは自分自身の行動指針の不味さを他者の姿からみせつけられている気がして。

登山家の栗城さんが、亡くなってしまいました。
私が彼を初めてみたのは2010年頃、TVのドキュメンタリーで。その後何かのイベントで一度だけ握手し、手が本当に柔らかかった記憶があります。

メディアの寵児は往々にして専門家からはまがいものという扱いを受けるもので、実際栗城さんは業界内での評判は低かったけれども、パンピーの私にとっては一人の冒険者でした。

と、同時に今回の件で色々な記事を読んで、近年栗城さんが無謀さを増して破滅へ向かって行ったのを知り、私も彼を追い詰めた大衆の一人だったのではないかと、砂を噛む思いです。

10年くらい前のTVドキュメントでは栗城さんが7大陸最高峰単独無酸素登頂を目指した理由が「ニートに近かった頃元カノにふられ、何者かに成ろうと決意したため」と語られていて。その素人感が親近感に繋がって冒険の共有というコンセプトを肉付けしていた気が私はしています。彼を知る大学教授が人一倍お茶目でショウマンシップにあふれた学生時代の栗城さんを呟いていました。

けれど、彼は決定的に実力が足りていないのに、目指すルートはどんどん無謀に難易度を上げていったようです。通常のルートではなく、北壁、西陵、南西壁へと。

一説にはスポンサーを集めるために過激なゴールをぶち上げざるを得なかったとも言われています。その上で、是は勝手にシンパシーを彼に感じていた自分の目線では、彼は一発逆転ができるだけショウをインフレさせざるを得なかったのでは?と想うのです。

人から耳目を得ることが大好きだったお調子者。けれども「変わったこと」の刺激は摩耗し、インフレさせていかないと自分の価値が無くなってしまう恐怖。その結果、もはや自己破壊になるくらいにショウが暴走していく…。

ショウによって一発逆転を目指すにしても、藝を磨くというか、ファンダメンタルの研鑽をしていけば平衡感覚を崩すことはなかったかもしれないのに、積みを継続することでなく瞬発芸というか、栗城さんは所詮ショウだからと実力を上げていく努力を怠っていたように感じました。そして実を伴わない虚の結果、遂には命を失ってしまった…。

実を伴なわない虚のショウマンシップが不快さを振り撒いた最近の事象としてもう一つ上げられるのは日大ラグビー部での悪質なタックルをした選手の記者会見でTVが酷い行動をとっていたこと。

私自身マスコミの姿勢は「人の道に外れている」と想いながら、けれどメディアの人間は「こちとら面白いものをつくるために骨身削って生き馬の目を抜いているんだ、お前ら(世間)は面白いこと言えんのか」くらいのことを想っているのではないか、と想うのです。

文句を言いながらも俗情に流されてこういう過度に胸糞悪くショウアップされたニュースを視聴する人が多い限りは”結局こういうのが欲望されている”とマスコミの態度は変わらないと想います。メディアは”えげつなくても面白ければ(数字が取れれば)それが正義”というのが行動原理で、メディアに節度を求めるならば我々視聴者自身が節度が求められるのだと感じます。

ショウが節度を失っていくのはTVというメディアが本芸よりも余技やしょうもない素人芸に向いたものであることがあるかもしれません。

特にニュース(バラエティー)のコメンテーターなんて最たるもので、芸人、タレント、そして有識者としてでているのも別に専門家ではなく、井戸端会議の域を出ていなかったり。たまにワイドショーをみると”視聴者舐められてるなぁ”と想わざるを得ません。

結局のところ実を積み重ねるのではなく口先三寸のインスタントな虚で果実を得ようとするから人倫を失っていくのではないか、と。

他者に対して敬意がないのは自分自身のプライドをダンピングしすぎていることの裏返し。そして結局そういう虚芸では尊敬や自己肯定感は得られず“自分はこんなにも犠牲を払っているのに真っ当な評価を得られていない”と負のスパイラルが起きてゆく…。

ヒトとしてのバランスをショウマンシップが壊していく。無論当人に非はあるけれども、オーディエンスも一端を担ってしまっている。

もし”面白くなくてもあなたは大切な人なのだ”、或いは”インスタントな禁術でなく本芸の研鑽に邁進した方があなたの価値が上がる、あなたは自分自身の誇りや労苦を安売りする必要はない”と温かい指摘をしてくれる身近な人がいたら、その箴言を謙虚に受け入れることは、破滅の螺旋からの解脱の一助になってくれることと思います。

誰も犠牲にせずとも、僅かずつかもしれないけれども前に進み経験を積み重ねることは出来る。虚のレバレッジを利かせた空中戦が効果的な事もあるけれども、己をダンピングしなくて済む場所を見つけ、真っ当なぬくもりを得て仁を見出し己を高めていける。それは27クラブを通り過ぎた人間が歩むべき道なのかもしれない、さらに時代の新風もそういう気風に成ってきている。そんなことを近年とみに感じる処でした。

by wavesll | 2018-05-24 03:22 | 私信 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://kamomelog.exblog.jp/tb/29512389
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
<< R. Vincenzo『EP』... 高島水際公園@みなとみらい >>