プーキシン美術館展ー旅するフランス風景画@東京都美術館 景色の時空間的変遷

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東京都美術館へプーキシン展をみに行ってきました。

17世紀から20世紀の仏風景画のコレクションが一堂に会して眺められる展覧会。

と、言いながら、最初の17Cの風景画はどうもピンとくるものが少なくて。。というのも風景が主題になるのが遅かった西洋に於いて、風景画の初期の作品は人間の物語における光景が描かれるというか、あまりに人間中心主義過ぎて、日本や中国の山水画をみている目からするとちょっと劇的すぎるというか、人為的に感じてしまうのですよね。

実際この時代の様式では雅宴画(フェト・ギャラント)というやはり人々が主役なものもあって。逆にその演劇性が魅力的な域まで行っていたのはジャック・ド・ラジュー≪狩猟後の休息≫。大画面で狩りを終え酒を注ぐ様子やブランコで遊ぶ娘など、まるで絵画の中で動いているような筆致が好かった。

アニメーション的という点ではフランソワ・ブーシェ≪農場≫はなんだかジブリ的な画き味でこれもまた面白く感じました。

他にもウジェーヌ・ルイ・ガブリエル・イザベイ≪ムーア式の入口≫なんかはアルジェリアのエキゾな感じで良かったのですが、例えばフェリックス・フランソワ・ジョルジュ・フィリペール・ジエム≪ボスポラス海峡≫なんかはいいのだけれどもあまりに普通というか…濃い味に慣れてしまった舌には上品すぎる出汁の旨みがわからなくなっているのかもなんて気になりました。というか”西洋”があまりに普遍に在る環境に慣れているのでしょうね。

そんな中から19Cに入ってくると自然風景そのものが愈々主役を張る様相を見せてきます。

ジャン=バティスト=カミーユ・コロー≪嵐、パ=ド=カレ≫は昏い天気のトーンが主役で。同じくコロー≪夕暮れ≫の煌めきもいい。アンリ=ジョゼフ・アルピニー≪女性のいる森の風景≫も人はあくまでアクセントであり風景が主題で。

ジュール・コワニエ/ジャック・レイモン・ブラスカサ≪牛のいる風景≫なんかはくっきりとした質感が3Dのように浮かんできて。コンスタン・トロワイヨン≪牧草地の牛≫も牛の表情が好かった◎

そしてギュスターヴ・クールベ≪水車小屋≫が素晴らしくて!荒い筆致からリアルを超えた質感が生まれていて。迫力に見惚れました。

またレオン=オーギュスタン・レルミット≪刈り入れをする人≫は人と自然が日常として融け合う”里”としての情景で。これもまた良かった。

ここで風景の舞台は大きく舞台を変え、19世紀の終わりごろに当時大規模な再開発で大きく変貌を遂げたパリに於いて”都市環境”という風景主題が生まれました。”やはり西洋画はヒトが入ると活き活きする”なんて思いました。

ピエール=オーギュスト・ルノワール≪庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰≫はルノワールがあのムーラン・ド・ラ・ギャレットを画いた別の作品で、木洩れ日の下語らう柔らかな表情の人々が印象的でした。

ピエール・カリエ=ベルーズ≪パリのピガール広場≫とアルベール・マルケ≪パリのサン=ミシェル橋≫はピクトグラム的。

ジャン=フランソワ・ラファエリ≪サン=ミシェル大通り≫はまさに絵になる風景。現代と中世の中間のリアリティ。都会の人々、とりわけ黒いドレスを着た女性が美しい。そしてエドゥアール=レオン・コルテス≪夜のパリ≫は光の表現がとてつもなく良くて。本当に暖かく美しく輝くガス灯が素晴らしい。

そしてルイジ・ロワール≪パリ環状鉄道の煙(パリ郊外)≫は本展で一番好きだった画!超巨大で景色がリアルサイズで広がっているような感覚で銀色の都市風景が拡がって。西洋の侘び寂びを感じました。此れは生で観て欲しい!

またアルベール・マルケ≪冬のパリ、サン=ミシェル橋の眺め≫はヘタウマというかシンプルが逆に面白くなる時代の到来が予感させられます。

さらに時代は印象派へ。画家たちはパリの郊外へ描きに出かけに行きます。

本展の目玉の一つであるクロード・モネ≪草上の昼食≫は木洩れ日に照らされる光景、緑の耀きが美しく、フォンテーヌブローの外れシャイイ=アン=ビエールでの情景がグラフィカルに新しいリアルを顕わしていました。

そしてクロード・モネ≪陽だまりのライラック≫には”ライラックってこんな花だったのか”とブランキーを想いながらピンクの淡い画面を観ました。初期に描かれた太鼓橋のある≪白い睡蓮≫と≪ジヴェルニーの積みわら≫にはゴッホ的な筆致も感じて。

ゴッホ的というとアルフレッド・シスレー≪霜の降りる朝、ルーヴシエンヌ≫≪オシュデの庭、モンジュロン≫そして≪フォンテーヌブローの森のはずれ≫にも感じて。ビュールレ・コレクション 至上の印象派展で学んだのですが、西洋絵画の中でのゴッホ・ムーヴメントは決して孤立していず繋がりがあったのだなと。

またニヤリとさせられたのがカミーユ・ピサロ≪耕された土地≫でパネルにあった画家の「他の誰もが何もないとみるような辺鄙な地に美を見出しうる人は何と幸福であることか」という言葉。なかなかこじらせておるのとw

アルベール=シャルル・ルブール≪河のほとり≫は仄明るい水辺が好かった。またモーリス・ド・ヴラマンク≪小川≫は森林の緑の勢いが凄かった。

そしてアンリ・マティス≪ブーローニュの森≫は何でもない風景なのだけれど迫力で惹きつけられるのは黒とカラーの魅せ方・存在感なのだなぁと。

そして20Cに入ってくるあたりでは交通機関のさらなる発達から画家たちはフランスの様々な土地へ。

アルマン・ギヨマン≪廃墟のある風景≫は紫色が映える紅葉の山。ジャン=ピュイ≪サン=モーリスにある古代の橋≫はフォービズムに裏打ちされた明るく輝く緑の丘の画。

ポール・セザンヌ≪サント=ヴィクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め≫≪サント=ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め≫はこの段々と滲んでくる光景の変容が一種アニメーション的な変遷として感じられます。

ピエール・ボナール≪夏、ダンス≫は幸せな一瞬を永遠に普遍化した大作。

アンドレ・ドラン≪港に並ぶヨット≫は大好きな壱枚でした。フォーヴ(野獣)でトリコロールなハーバーの風景。気持ちいい絵画。

ルイ・ヴァルタ≪アンテオールの海≫はゾワッ、ボワッとした木々と潮と岩、すっごく好きな一枚でした。

オトン・フリエス≪カシスの木々≫は自然のパワフルさがなんとも見事に伝わってきて。

この記事の最初で”西洋の風景画は人為を感じる”と書いたのですが、寧ろ過激で現実を超えてくる筆致をみせた時に自然の本質が顕れてくるに至った感覚がありました。

そして遂に画家は海を渡って、そして想像の翼を広げていきます。

ポール・ゴーガン≪マタモエ、孔雀のいる風景≫はフレンチとタヒチのケミストリー。

そしてアンリ・ルソー≪馬を襲うジャガー≫は結局行くことは出来なかった熱帯の風景へ、植物園などからインスピレーションを受け妄想。創造を膨らませ神話的な世界へ到達した作品。

楽園が現前していました。モーリス・ドニ≪ポリュフェモス≫はギリシア神話の世界に20Cの格好をした人々が入り組む浜辺の画。

最後の2枚は近現代的幾何学な絵画だったのですが、そんなにそれは私の好みではなくて。音楽でも70sの熱帯雨林なグルーヴが最高というか、美味しいところを喰いきってしまわれた後にさらなるフロンティアを探究しているという点で画家は音楽家に先んじているのかもしれないと。きっと新しい超現実な普遍はブレイクスルーの先に開けるはず。

またロシアでなく他国のフランスをコレクションしたことがプレゼンスを持つに至る美術の面白味というか、複製芸術とはまた違う点なのかもと想いつつ、けれど確かにJTNCのグラスパーとかそういうことあったなと。風景画の変遷を旅して、現代・未来というフロンティアの淵まで再到達した気がしました。

イマの絵画、ということで最後に置いてあった視覚障碍者の方向けの”触れる絵画”は筆致が凸凹で顕わされていて共感覚的で面白かったです。この展覧会、なかなかに鯔背ですよ◎

by wavesll | 2018-06-08 23:59 | 展覧会 | Trackback | Comments(0)
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