臥薪嘗胆で燈す小さな狼煙



人生において挫折を味わい心砕かれた後、逆に自分の出来なさを自分で嗤うことで過剰にトライブに溶け込もうとした結果、最初はショウマンシップとして上手く行った時期もありながらも”自分だけが消耗している”という恨みと肥大した承認欲求からパフォーマンスが過剰になり自他ともに粗野にプライドを扱うようになって、自暴自棄となり破滅して。

「どうせこの感覚は理解され得ない」とか「俺は今は付き合いでやってるだけで、これは本気でやりたいことでない”仮のこと”だ」いう歪んだ自意識が”普通ではない”とかおかしな誇りを育てたり。

結果としてそのソサエティとの関係性から離れ。しかし社会というのは広く、自分と似た選好の人々と繋がって。結果として、ショウマンとしても自分は中途半端な実力しかないことを気づかされて。本気になったって自分より上には上なんか幾らでもいて。

そして同時に人から評価を得ようと想ったら”しゃべること”より”傾聴すること”がより力を持つことも実感せざるを得なく、”普通のことを普通に営み続ける”ことのハイパフォーマンスさも認めざるを得なくなります。馬鹿にしていた認識を変えざるを得なくなった。

そもそも単純に力が足りていなかった。そして自分の無能力を笑いに変えても一方で腕力を上げて魅せる努力をしなければただ自分の存在は軽くなっていくだけだったと。端的に言えば人生を舐めていたと。

自分の力の圧倒的な足りなさと向き合うことから本質的な戦いが始まるのだと漸く肚が座ってきました。

まぶしい若葉の燃料が切れつつ、そして無根拠な自信も失われざるを得ない、心だって素直なだけではいられなくなっている。

無力さの認識というあきらめの先の闘いという点で人生が次のコーナーへ差し掛かって来た時に、ただ謙虚なだけでなく戦略と、批判的な視点という盾と、そしてダガーを研ぐ営為、”魔法でなく技術と体力を長じさせ営み続けることへの努め”を。泥を啜ったって格好が悪かったって僅かでもぶんどって。すれっからしですから本当に致命的なこと以外は軽んじながら、それでも今の雌伏が後にそれなりの果実を結ぶことを期して。

そして今の自分が在れるのは周りの人たちの御蔭。人は宝だと心の底から想います。敬意と感謝を周りの人々に持って、ここからやっていこう、そう想っています。

by wavesll | 2018-06-15 07:27 | 私信 | Comments(0)
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