Il Gatopardo (1963)
ちきりん氏は完全にプラグマティズムで市場の原理を支持する立場で、伝統的な、或いは規制に守られた安寧は打ち壊されるリスクが大きいから、どこに価値が生まれるかの想像力を働かし、非伝統的な価値観にも働きかけて新たな時代の市場に適応できるように努めようという話で。
”ANAの競争相手は何か”などの様々な具体例を交えた立て板に水な説明に”ほう…”と想いながら、私の脳裏に浮かんだのはイタリア・フランス製作の名画『山猫』でした。
シチリアの貴族がイタリア統一という時代の大きな変わり目に於いて古い美意識に殉じ没落の未来へ向かう姿が描かれている映画で。
主人公のサリーナ公爵は何ともダンディズムにあふれ、様々な伝統的価値観に基づいた”やるべきだったこと”をハイレベルに行えて、彼のパワーといい立ち振る舞いと言い全く以て男の格好よさの極致で。
しかし変革の時代においては、儀礼で在ったり理念に拘泥するよりも、若き甥タンクレーディや財力と政治野心を増す市長のセダーラの方が、質は低く野卑だとしても”次代をつくるのはこの者達のエネルギーなのだ”と感じさせられて。
その点でいうとサリーナ公爵はあまりにも完成度が高いけれども、恥をかくことが出来ず、統一イタリアの新政府から議員になってこのシチリアの状況を好転させる働きをしないかと言われても「シチリアは変化を望まない。眠りにつきたがっているのだ」と断って。
Uberもそうですが、新技術であったりは粗があります。サービスの質は例えばロンドンのブラックキャブの方が高い。けれども圧倒的な利便性が時代を変革していく。そんな中でサバイヴしていくにはタンクレーディの「変らずに生きてゆくためには、自分が変らねばならない」という姿勢が正しくて。
でもその際に人の心の機微が「不合理な芥」として捨象されるというか、溜まって馨る時が積み重ねた価値観の美への敬意が全く打ち壊される、先の京大生のチョイスに対する回答ではないですが、あのリストで捨象された人文は人間性の研究ともいえるかもしれません。そうしたものと共に滅んでいく美学もあるなぁと想います。
その上で、逆説的に「自分の過去の誇りや質の高い行為が出来る處に篭り、恥をかいたりチャレンジから身を引いては、それは滅びへの道なのだ」とも感じて。
今の時代は大変革が起き、ヘゲモニーもドラスティックに変幻する世界で。そんな世界を生き馬の目を射抜いて生くにはたとえ完成度が低くなるにしてもドライヴし続けることが大切だろうなと。そう想った夜となりました。