ボルダリングジムに入会してしまいました。ルビコン川を渡ったwプールが閉まる時期に締まった躰を目指したし。腕とか太くなったら嬉しいなぁ。
今まで中学の卓球部は別として、取り組んだスポーツは大学時代のサイクリングとマラソン位だったのですが、ボルダリングは個人競技とはいえ今までと比べると技術的な要素が大きいスポーツらしいスポーツで。
ホットヨガをちょろっとやった時も待機時間にスゴイ体勢でポージングしている人がいて”仙人だ”と想ったものですが、ボルダリングジムの練達者の人の動きなんかはスパイダーマンというか、カミ。これで全国レベル、世界レベルになったら界王神レベルかと。
そう想ってNHKBSで放送された世界ユース選手権をみたのですが、一撃で決める様は超人過ぎてもはやショウとしてみてしまうレベルでした。
スポーツは自分の身体そのものが本質となるから、その制約が面白いなと想います。それから比べると言語の表現と言うのはすぐ簡単に「K2を3秒で駆け上がった」とか書けてしまう。言葉はヴァーチャルであるから、薄っぺらにならないかは文章にいかに身体性を入れられるかなのだなぁと。
またショウとして楽しませるレベルのパフォーマンスでなく全然でも、自分の身体を動かせば脳内物質が出るから全然楽しいという。ボルダリングジムの中にもコミュニケーションはあるけれど、他者と比べるというより自分自身の過去のパフォーマンスと比べて向上を愉しむ視点が持てるとぐんぐん楽しめそうな気がしました。
先程言語は物理と比べていかようにも楽に表現できる(故に差別化に別軸の工夫がないと面白くない)と書きましたが、プレイヤーでなく何かの鑑賞レビューなんかはさらに”執筆における抵抗・摩擦”が無いゆえに差別化しようとして捩子くれるパターンって結構あるなぁと想ったのでした。
プロの批評レベルに、基礎知識や関連情報のエヴィデンスで積み上げるというのが王道の方法だけれども、鑑賞者として差別化しようとした時に自分がやってしまいがちだったのは”どんどんコアなもの、レアなものをDigる道”だったなぁと。レッドオーシャンで勝負するのではなくブルーオーシャンを求めて海を渡り続けたというか。
勿論、新雪のパウダースノーほど滑っていて気持ちいいものはないですが、別視点で”その文化を伝道する”みたいな目線でみると、これは相当留意しないとうまくいかないものだなぁと想います。
オタク的な人がやってしまいがちなのは、趣味仲間を増やしたいんだけれど、ついその文化の一番濃厚なところをそれも夥しく出してその千尋の谷から這い上がった獅子の赤子をトライブに入れたい、みたいなタイプで。
でも、例えば自分はボルダリングはあくまでレジャーというか、スポーツとしてガチで極める気には今はなっていないし、運動音痴なだけど楽しみながら筋トレみたいにできたらいいなぁくらいの人間で。初心者の前の部外者は大抵そういうライト層なものではと。
そんな自分も「展覧会にデート目的で来る奴は本当の美術好きじゃない」とか想っちゃったりするので、コアな人からはライト層はそりゃ軽く捉えられることもあるかもなぁと。
でももしある人が自分が好きなものの良さを”わかってない人”に伝えようと想ったら。初心者への目線を忘れているとフレッシュマンが入らずにシーンが先細っていくこともあるのかもなぁと想います。
勿論ガチコアだけで回っていけたらそれは幸福なことだと想いますが。最初はデートの為でもいいじゃないかとw桜木花道だって最初は春子さん目当てだったしw
何かを好きになる気持ちが芽生えるって、念能力の会得にも構造が似ているかもしれないと想ったりします。
強い念攻撃の洗礼を受け、ダメージを追いながらも急激に目覚めることはあるけれど、基本は自分のオーラの流れを意識することから初めて修業の中時間をかけて開花させていくことが王道で。
自分の場合もボルダリングは前からメディアを通して興味が湧いてて、その上で身近な人が始めて誘われて、一度ビジターでやってみて、そこからちょっと間が開いてから二度目でビジターがなくて”じゃあ会員登録します”と。単純接触効果というか、幾度もアクションを重ねられて自分でも行動に繋がって。
鴎庵で音楽を紹介したり展覧会レポで「おすすめです」とか書いていますが、私自身はそれ一撃でリスニング・鑑賞まで行くとは想っていなくて、そこに繋がるまでの100の働きかけの一つになれたら嬉しいなぁという想いです。基本情報に欠ける記事になりがちなのはアレですが、それこそ今はサーチしようと思ったら幾らでも惚れますからね。
そういった意味では文章における身体性、筆力と言うのは、一つには記述の精確性と実在感をいかに与えるかというところなのかもしれません。それが”内容”というか。妄想を書くにしても、いかに伝わるように書くか、鴎庵を始めてもう十数年経ちますが、未だに筆力はまだまだ。ラップトップの鍵盤を弾く腕をほんのちょっとでも上げていきたいなぁと希を述べて拙文を終わります。