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違和感こそが創造か 人間ってナンだ?超AI入門 第3回「発想する」

Eテレで放送されているAI技術を説くことから人間とは何かを解く番組、人間ってナンだ?第三回のテーマは「発想する」。
このエントリではその視聴メモと、最後に感想を書いたものです。

人工知能と人間で創造する行為に違いはあるのか?

AIがつくったホラー映画。短くなればなるほど最適化の問題なのでやりやすい。

無限のサル定理。サルが無限にタイプライターを打てばシェイクスピアを打ち出す可能性もある。これは創造か?

例えば人間のアーティストでも色々出して意外と良かったものを選ぶことはある。

ただ人間は意図をもって創り上げている。サルには意図はない。
どれだけ当てに行っているか。それだけ精度よく自分の意図したものを相手に引き起こしているか。サルより人間の方が当てる確率が高い。

「創造性」とはヒットの確率の「効率」?

人工知能が3Dプリンターで描いた「レンブラントの新作」

光の反射、白い色の使い方、目に反射した光など、様々な部分にレンブラントの特徴。

コンピューターはレンブラントの全346作品をピクセル単位で分析、どの場所にどんな色が配置されているか→ある場所の色と別の場所の色がどう関連しているか。

コンピューターは「顔」を人間のように理解しているわけではない。ピクセル(画素)の集合にタグをつけて記録しあるパターンを見つけ出している。再現する時もピクセルのパターンを再現しているだけ。

その人間特有の癖(特徴量)を学習する。あの一枚は色々なパラメーターを試行錯誤して出したイケてる一枚。

写実画家・小尾修がレンブラント作品の模写を行った。レンブラントの描き方は絵の具の厚塗りと薄塗り、透明と不透明の落差を最大限利用する事。ふき取ると筆の跡、これを肌のきめや物質感を顕わすために利用する。3次元を2次元にするための、リアルにみせるための作業。

模写する中で小尾さんがみつけたレンブラントらしさ。図像としてみる画とは違い、絵具をどう使うかの「手の運動」として絵画を体験する。

そんな小尾さんがAIのレンブラントをみると「模範解答過ぎる、最大公約数すぎる」とみえる。本当にいい作品はもっとゆがんでいる。画家の感性のその時の最先端が出ている時に名作になる。そういうドキっとさせるものがない。

人間にとって「創造」は”その時その瞬間”の感性の発露

「桑田佳祐っぽいコード進行の曲」をつくる芸人もいる。でもそれは桑田佳祐の新作と言えるのか?

人間は生まれてからずっと真似をしている(学ぶ≒真似ぶ)。真似している内に真似の仕方が上手くなったり、この真似とあの真似を融合して新しい真似の仕方を開発したり。

映画監督・樋口真嗣は作品に於いて真似をゆがませたり切り貼りして創造していて、「何と何を選ぶか」に「創造性」をみている。

ゼロからの「創造」だけが「創造」でない。

これからはAIを道具として使って創造的な活動を行うこともある。その人が良いか悪いかを評価できるからこそ上手く使えるようになる。

その範囲が拡大して行ったときに「これは創造と言えるのか」という問題が生まれる。

≪バベルの塔≫をAIに出力させるときに「顔を見る領域」がある脳のシミュラクラという働きのように、誤解を拡大させ、特徴量を助長させて絵を打ち出すこともできる。

萌えな女の子をパラメーター変数設定でつくることや、お絵描きをAIが補助してくれるシステムがもうある。

これは
画像のデータを入力→特徴量を取り出す→エッジの組み合わせなどの特徴量からエッジの組み合わせの特徴量を出す→かなり抽象度の高い特徴量を創り出す→学習し終わったネットワークを使って、画像の途中に対して補って画像を完成させる。
仕組み。

『「人が思いつくこと」を保存』出来るようになるか。この時代の「創造性」とは?

レンブラントのAI技術者は「機械による作業と人間による作業の組み合わせも新たな『創造性』で、AIがこれから分析すべきは新たな「作品」が人々に与える心理的影響、つまり受けての作品に対する評価を分析して創作のプロセスに活かす必要がある。人々の美意識を創作過程に反映すれば作品の成功につながる」と述べる。

受け手の拘りによって軽いレベルならばAIで代替できる?

樋口監督は作品作りの上で「『何をしたらイヤなのか?』を排除しながら不快な處ギリギリの匙加減」を造ろうとしている。それには人の反応を伺う。あえて無視したりもすることがある。チュートリアル徳井は「計算通りのウケ」がとれた時を歓ぶ。

人間は予定調和をはずしたところに「創造性」を見いだす?


今回の放送をみて想起したのはレディオヘッドとアインシュタインズでした。

レディオヘッドの新作にみなが期待するのは一時期は「違和感」だったと想います。初めて聴いたときに「あれ?何か良くわからない、、いいのか?これ?」と感じても、それから1年くらいたった時にはそれが次代のスタンダードとなっている。寧ろレディオヘッドの新作を聴いたときに最初から「いい」と感じてしまうと「今回はエッジが立ってないな」と残念に想う位。

本当に新しいものは、まだこちらに受容体が出来ていないから、最初に触れた時は違和感が出るのが当然だと思うのです。例えば画家だとポロックにしてもフジタにしてもどんどん筆運びは変わっていく。それは肉体的な変化や精神的な変化があるから当然で、アーティストは常に自らの最先端で魅せたいと思うのではないでしょうか。

一方で、AI的な模倣学習は今のところ二次創作がそれに近い気もします。
二次創作は漫画の同人誌などでもそうですが、「あの人のあの頃のあの感覚」が欲しい人も多いのでは?アーティスト自身はどんどん変わっていくから、それを愉しむために自らでつくる人もいて。

そうした二次創作的な文化発で自分が嵌ったのが、初期の相対性理論っぽさをつくりだしていたアインシュタインズの活動でした。そしてその上で彼らが一つの独自性を確立する様もみてきて。

それは結局番組中でも語られた「何を良しとするか」のセンス/価値観こそが「創造性」の鍵なのだろうと想います。今のところAIは最大公約数的な感性を再現できても、心に刺さる独自性までは身に着けていないように見えて。人間のディレクションを使って誇張やフュージョンを使って感覚をブーストするための高度な道具としてのAIが今の地点なのかなと。

これから状況は変わっていくかもしれません。音楽の世界でいうとJディラ以降のドラム、例えばクリス・デイヴのプレイなんかは打ち込みの技量をさらに人間が生身で進歩させた演奏で。そうした形で人間とAIが切磋琢磨する時代が始まっていて。AIを使えば「あの人のあの頃のあの感覚」の再生は容易になるかもしれない。つまりその時人間は「さらに先」を開き続けるのが仕事になる、そんな中で我々は生きていくのだろうなと人間らしさの最大のポイントである「創造性」に関する回に於いて感じました。












by wavesll | 2018-10-22 04:15 | 小ネタ | Comments(0)
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