人気ブログランキング | 話題のタグを見る

BS1スペシャル 原爆投下 知られざる作戦を追う -人としての圧と縁。米政権と米軍部の知られざる攻防

BS1スペシャル 原爆投下 知られざる作戦を追う -人としての圧と縁。米政権と米軍部の知られざる攻防_c0002171_20093877.jpg
NHKBS1で昨夏放送されたBS1 スペシャル 原爆投下 知られざる作戦を追う

アメリカ合衆国民が信じる「原爆投下によってアメリカ兵の命を救うことをトルーマン大統領が決断した」という事象が、現実にはトルーマンは決断をできておらず軍部に押し切られる形で原爆投下は行われ、悔恨の念を述べてすらいたという複数の米国の歴史学者の研究が近年出ていていて、それについて番組制作班が取材した成果を放送するという内容。

この番組で原爆計画の実行者として名が示されたのがレスリー・グローブス。マンハッタン計画の責任者だった彼が亡くなる3ヶ月前に残した空軍士官学校に残したインタビューテープ。これを4ヶ月にわたる交渉の結果、取材班は外部として初めて取材することが出来ました。

グローブスはこう述べています。「トルーマン大統領は市民の上に原爆を落とすという軍の責任を止められなかった。いったん始めた計画を止められるわけがない」。

実際、1945年の暮れまでに17発の原爆の生産ラインができていて、1週間に一発落とし日本を壊滅させることも出来ました。

原爆投下時の合衆国大統領であったトルーマン。彼はフランクリン・ルーズヴェルト大統領の急逝により何の情報も知らずに副大統領になってから三ヶ月目で大統領に。
ルーズヴェルトの下で既にマンハッタン計画を進めていたグローブスが提出した24頁の報告書も読まず、原爆計画の詳細を知らずに計画の続行を許しました。
トルーマンは「戦争の情報が無く、外交の自信もなく、軍が自分をどうみているかも不安だ」と手記に認めています。

グローブスはマンハッタン計画に於いて科学者にはそれぞれの技術的なことだけ教え、異論を出さないように管理、上官にも同じように行い、原爆計画の情報を自分だけに集約していました。

1945年の原爆投下の2年前から軍の中では投下場所を検討。当初はトラック諸島に落とす計画。東京に落とすという案も。
その中でもグローブスは原爆の威力が隅々まで行き渡る都市に落とし、22億ドルの国家予算をかけたプロジェクトの結果を出さなければならないと、地理的な要因から京都に落とすことを主張します。

けれどもトルーマン直属の部下でグローブスの上官であるスティムソンは京都に2度訪れたことがあり、米国の戦争責任を考え、市民が暮らす都市の真中へ原爆を落とすことに強く反対。トルーマンも投下は軍事施設に限り、女性や子どもをターゲットにしないようにと述べます。

京都への投下を否定されたグローブスは広島を軍事都市だと主張、トルーマン政権に広島には一般市民はいないと思い込ませました。

そして原爆投下。その様の写真を見たトルーマンは「こんな破壊行為をした責任は大統領の私にある」と悔いを述べます。

けれどもグローブスの野望は止まりません。軍では落した爆弾の数が多ければ多いほど評価されます。「2発目以降は準備ができ次第投下せよ」と指示。トルーマンが広島の写真を見て半日後には長崎に投下が為されます。

トルーマンは「日本の女性や子ども達への慈悲の心は私にもある。人々を皆殺しにしてしまったことを後悔している」と述懐し、八月十日、トルーマン大統領はこれ以上の原爆投下を中止すると閣僚を集め発表。3発目の準備をしていたグローブスも大統領の決断には従うしかありませんでした。

このように内実では大統領の明確な決断が無いまま行われた原爆投下でしたが、トルーマンはその後原爆投下を正当化するために「多くのアメリカ兵の命を救うために落した」とラジオで発表。ラジオ演説の原稿において「命を救うために原爆を投下した」という物語を後付で考え、投下の責任者にとっての都合のいい理屈としました。


この番組、英字字幕をつけて海外にも発信するべき内容だなと思うと共に、個人的に感慨を持たされたのは、米国政権内部に京都へ訪れた人間がいなかったら、京都が原爆にって消失していた、そして広島のことを政権が知らなかったゆえに反対意見が出ず原爆投下が通ってしまったという事実。

国際関係、戦争という極限状況においても、極めて個人的な事柄が意思決定に大きな影響を与えるという事実。

例えば私自身も中国・韓国へ訪れ、彼の地の人の温かみや愉快さに触れたことで大きくイメージが向上したというか、ネットで増幅しがちな嫌悪感に対する身体的な実感を持てたと感じていて。

外国の要人や、将来要人になるかもしれない若い学生などの人材を日本に来てもらうことは日本にとって大きな資産となるのだと感じました。逆に実習生制度のような奴隷同然に扱うことで、負のイメージをもたらすことの損失も思わざるを得ませんでした。

人間関係は確かに「距離感」が大切になることも大きいですが、身近な接触を保つことのもたらすポジティヴな結果というか、昔鶴瓶が言っていた「縁は努力」という言葉を想って。

そして軍部はその組織理論から、自然と政権や平和意識とぶつかるアクションを行う構造的要因もあるのだというのは、例えば日本での財務省の動きが省益を求めるばかりに国益を害する事にも通じて。70年経ってもヒトという種や組織のメカニズムはそう変わらない、故に歴史から学ぶことはある。人間と人間の対話と対決によって世の中は動いているのだと、改めて感じることとなりました。

by wavesll | 2018-10-22 20:56 | 私信 | Comments(0)
<< Powder at Dekma... 違和感こそが創造か 人間ってナ... >>