
日曜は多摩センターで開かれた
NEWTOWNというイベントへ行っていました。御目当ては『サウダーヂ』の上映会。
ここがかのパルテノン多摩か、とかここがサンリオピューロランドか、とか一通りやった後、会場となるデジタルハリウッド大学八王子スタジオへ行くと、そこは元小学校の校舎。町祭りというか、学園祭の様相で、何やら楽しそう◎
ところが着いたのが遅かったのか『サウダーヂ』の上映教室に行くともう整理券は品切れとのこと。キャンセルが出るかもしれないので5分前に来てくださいと言われ、それに賭け、とりまこの学祭を愉しむことにしました。普通にお化け屋敷をやったあと、屋上でのDJパーティーでゆったりして過ごしました。


そして…もう15分前位から待機して、整理券無し列に並び、何とか入場…!無事『サウダーヂ』をみることができました!空賊の映画はソフト化されないので、こういう上映のチャンスを活かせてよかった◎
さて、ここから『サウダーヂ』の感想を書きたいと思うのですが、上記の理由からまだ見れていない方も多いと思います。なるだけネタバレは避けたいと思いますが、どうしても内容に全く触れないわけにはいかないので、何分そこは頷いて読んでいただけると幸いです。
感想は予告編の動画の後。もしよければ。
サウダーヂの主役と言える二人は甲府でドカタをやっている二人で。底辺のリアルが身に染みて。
その二人の内でヒップホップクルーとして活動している若者(演じるのは田我流)が、鬱屈をライムにして吐き出しながらシャッター商店街を歩くシーンで”これは頭抜けた映画になる”感覚があって。このシーンは完全即興で田我流が納得いくまで40回テイク以上撮ったそうです。
『ローリング』でもそうですが、地方の閉塞感、地縁のしがらみや金の無さ、知性・感性の過少などよんとした感覚は富田監督が『国道20号線』で、『サイタマノラッパー』等と同時期に切り拓いたフロンティアだったのだなと。
さらに本作ではブラジル人労働者やタイ人パブ嬢という移民要素も交じり合い、この点はこれからの日本でさらに前面化していくことでしょう。
そんな中で描かれるのは、その閉塞感から抜け出す、ちょっとキラっとしたラッパー活動であったり海外への憧れだったりの主人公たち甲府の群像のみっともなさや末路で。
上映後の三宅唱監督のアフタートークでも語られましたが、ユートピアはどこにもないのに、それでも”ここではないどこかへ抜けたい”と求めてしまう気持ち。それがわかると共に、ショウに溺れたり、スピリチュアルや怪しい商売など、いつの間にか危うい淵に落ちてしまう貧困から等の怖ろしさとか、何か私自身にも様々な事が突きつけられてくる気がして。
主人公はきらきらとした、純といえる感覚を持っているのだけれども、知性の、或いは制御の欠落から、財力の乏しさから、奈落へ落ちてしまう。或いは泥沼から抜けられない。
かといって主人公以外の人々の道も煤けていたり、犯罪や嫉妬や、嫌などん詰まりで。快楽が、歓びが、閉塞感に飲み込まれて、結局最後にダウナーな普通が残って。
非常に何というか、全編に孕むサグさが鈍い痛みとして刺激となっていた映画なのですが、かなり笑えて、明るいと言ってもいいキャラ達の模様が心に残りました。