
ムンク展ー共鳴する魂の叫びを東京都美術館にてみてきました。
案外あっさりしている、というかムンクは鬱屈がどろどろの人というより素直に自然状況を顕した人に感じました。北欧のフィヨルドの光の輝きが彼の芸術をきらめかせたように想って。彼のイメージが変わった展覧会でした。
1882年の≪自画像≫は非常にハンサム。≪ソファに座るクリスチャン・ムンク≫に描かれた父上の姿は壮年を迎えたムンクにそっくりで、母≪ラウラ・ムンク≫や母上の妹さんの≪カーレン・ビョルスタ≫の絵も。そして春の陽射しと亡骸を対比させた≪死と春≫に、まるで児童書の絵のような≪死せる母とその子≫、なんともいえない表情の≪臨終の床≫、さらには早逝した姉ソフィエを描いた
≪病める子≫・
≪病める子I≫は市が近い少女の哀しい美しさがあって。
家族の肖像の他、社交で出逢った人物たちもムンクは描いていて。≪クリスチャニアのボヘミアンたちII≫・≪ハンス・イェーゲルI≫・≪アウグスト・ストリンドベリ≫・≪ステファヌ・マラルメ≫・≪グラン・カフェのヘンリック・イプセン≫なども。ムンクも魅了されたヴァイオリニスタ
≪ブローチ、エヴァ・ムドッチ≫の緑の黒髪はまるでオーラのように波打っていました。
第三部は『夏の夜』。ムンクが度々訪れた人妻との初恋の想い出の地、オースゴールストランの光景を中心に。
妹を描いた≪夏の夜、渚のインゲル≫の明るさ。一方で紫に光景を染め上げる男の憂鬱を描いた
≪メランコリー≫とそのシリーズ的な≪渚の青年たち(リンデ・フリーズ)≫、この地特有の丸みを帯びた岩が白い女性たちとの透明な効果を生んでいる
≪夏の夜、人魚≫、女性の服の色での比喩表現な≪赤と白≫。
そして
≪夏の夜、声≫はこの展覧会全体を通しても異色な、何か禍々しい古代さを感じる様なシャーマニックな画。
≪星空の下で≫もどこか魔女のような存在が女性を抱きしめる図。
≪浜辺にいる二人の女≫、≪二人、孤独な人たち≫、
≪神秘の浜辺≫、≪浜辺を背にした女の顔≫、≪渚の若い女≫という渚での光景を描いた作品群は組み合わされて配置され展示されていて。
そして…いよいよ
≪叫び≫。これは『生命のフリーズ』シリーズの一環で、フリーズとは建築の装飾のこと。空と山、湖がうねり、ぐねり、その大自然の叫びに射抜かれた人物もぐねっている。ベルリンでのムンク展打ち切りの衝撃もあって彼がみた心象風景が描かれた作品ですが、実際に北欧では
真珠母雲という自然現象があるそうです。叫びは現在4枚あり、この作品は1910年に描かれた黒目のないテンペラ・油彩のもの。
≪叫び≫の横には
≪不安≫と
≪絶望≫が展示されていて。うねる空が共有されていました。
ムンクは同じ主題で何枚も絵画を制作していて、
≪マドンナ≫もその一つ。ダグニー・ユールの肢体を描いた美しく怪しい魅力を持つ女性画ですが、特に精子を枠にあしらった色味のあるVerはこの展覧会一好きでした。
また
≪接吻≫シリーズも幾枚も描かれて。最初ホテルの一室でカーテン越しの外の景色もみえながらのキスだったのが≪月明かり、浜辺の接吻≫では水辺で、そして油彩
≪接吻≫では一つに融け合って。
≪接吻IV≫では一体の図像に。銅版も展示されていました。
≪吸血鬼≫シリーズも幾枚も掛かれたモチーフ。どこかアマゾンを感じさせる赤髪の女性が首筋にかみついている図。版木や≪石板(マドンナ、吸血鬼II)≫というマテリアルも展示されていました。
そして
≪芸術家とモデル≫で描かれる女性の格好よさは非常に現代的に感じて。≪灰≫ではキリスト教で罪を顕わすとされる赤毛の女が描かれ、≪生命のダンス≫では服の色で恋愛の状況を表して。
ベルリン分離派展からムンクは人気が出て肖像画の仕事が増えます。けれどアルコールで精神を崩し、精神科へ。これらの時期に描かれた肖像画も展示してありました。
晩年ムンクは目を病み、そこから回復すると平面的で明るい画風へ変わっていきました。
もう十年以上前にみたムンク展では死の影が色濃い印象を強く持ったのですが、今回の展覧会では暗いだけでない、北欧の光がもたらしたムンクの絵画たちをみれたのが収穫でした。二回目の回顧展もまた新しい悦びがありますね。