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居たかった場と縁・出発

種田は誰かに批判されるのが怖いんだ!!大好きな大好きな音楽でさ!!でも褒められてもけなされても、評価されてはじめて価値がでるんじゃん!?-浅野いにお『ソラニン』

Twitterをやって良かったと思うのは、自分が方向性が同じだとか思ったり感性を憧れる人たちの中で自分の呟きに評価の実力差を突き付けられたこと。

私は大学時代、かなりWebに物を書くことに嵌まって。mixiなんかも猛烈な勢いで書いたのですが、私からみると浅い趣味にみえた友人たちの方が仲間内で“いいね”を得ていることに、というか自分がまるでいいねやコメントを得れないことにいらだちと失望を覚えていました。

今思えばそれは自分のサークル内でのキャラもあったというか、変人として自分で自分をネタにするような人間で、そしてサークル運営で他者の世話し気遣いをみせるわけでも競技で格好いい姿をみせるわけでもない自分は、いわばWebの場で「何を言うか」の前に実生活での「誰が言ったか」のレイヤーで評価を得られる人間ではなかったのでしょう。言葉より行動が大事で。もっと言えば他者にとっては「話をされる」より「聴く/訊く」方が喜ばれるというのも後に知りました。

それでも、その昔は「俺は内輪ウケはやらずに一般でも通じるネタをやるんだ」というつもりでした。けれど、今TwitterのTimeLineに安住している処から見返すと、自分はムラ的な狭いネタ人間なのではないかと想います。確かに「人間関係の話題による内輪ウケ」はしないけれども「狭いコンテンツの話題による“わかってる”クラスタ内での一種の内輪ウケ」ではないかと。

そしてこんな私でも受け入れてくれるニッチがあることをTwitterで知れて。いいねやリプライもされるし、自分が好きな音楽や美術の話題が“変わってる”とされない、寧ろ私が浅い人間になる世界。これは私にとってはオアシスといえました。

けれど、私自身が浅い存在になることと、自分より遥かに深く面白い、それこそ島宇宙の蛸壺を越えて一般にも通じる面白ネタを書ける人と同じ空間に載ることになりました。そこには嫉妬も感じることがあったのも白状しなければなりません。

しかし、これがなければ”何処か別の世界へ行けば俺は認められ輝けるはずだ”とか恥ずかしい妄想を抱えたままでした。

この自分が等身大での勝負というか、やりたい場で他己評価を知ることで、一つ地に足がついたというか、現実を見据えて、何か筆の向上、開けたコミュニケーションに謙虚に向き合える、寧ろどんどん邪念が取れ素直に澄んでいく気がします。

そして、もう長年といってもいい付き合いのあるフォロワーさんもいて。WebとRealというけれど、この二つは繋がっている部分もあるのだろうなぁと。虚心坦懐に縁を大事にしていければいいなと今は思います。

by wavesll | 2019-04-15 22:27 | 私信 | Comments(0)
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