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BAD COMMUNICATION



以前のことでトラウマとなっているのは、躁鬱で傍若無人に暴れた際人間関係が破綻したことで、その象徴として「もう二度と会うことはないだろう」と言われたことがありました。
その時正直“会いたいと思うほど愛せる魅力を君はみせていたつもりなのか?”と思ってしまって“嗚呼俺は人でなしなのだな”と己に呆れたことがありました。魅力をみせる努力しない人っているものだと思うと共に、自分は”友達づきあい”に求めすぎなのだと感じます。

ンな事みな要求してない、というか向こうからしたら私なんかはToo Muchなのだろうと。最低限の礼儀がありゃ友人関係の維持には何の問題もないということでしょう。それじゃつまらない、となると羅の螺旋に入る(苦笑)

自分は他人に話したいネタが多いタイプで、自分ばっかり話すのも悪いと一時期友人に「何か面白いことあった?」とあいさつ代わりに聴いていたのですが、これが不評でw今見返すと鬼のような”What's up?”だなとは思いますw「面白いこと」の程度にはよりますが、鉄板レベルだとそうそう人生で産まれるものでもないですしね。

そもそもこのBlogを立ち上げる時も”どうせやるなら毎日更新したいけれど、自分でネタをつくっていたら毎日更新は難しいから、そうだ羅列型ニュースをやろう”と個人ニュースサイトとして始めたのでした。

その後羅列型ニュース更新は止め、自分で主に画くエントリが増えましたが、それでも藝に対するレポートが多く、取材して書くという点では広い意味で鴎庵はニュースサイトだなぁと想っています。ほぼ日刊更新で完全に内から出てくるものだけで書き続けるのは少なくとも私には難しい。

となると「取材(という名の遊興)」を行う訳ですが、ここで友人との齟齬が起きてくる。そりゃ未だ一人やもめの私と子供ができ、下手したら家のローンも払っている友人とでは遊びの話題、特に頻度が合うという訳にもいかない。

そんな訳で話しかけるPushを止め、Webに綴り反響営業を待つPullへと軸を移したのでした。

「面白い」にも色んな観点がありますが、私の場合は趣味と実益を兼ねるというか、自分自身に藝や學びのカリキュラムを組んで、それを論述するというのが基本で。これも家庭を持つと自分のきままなわがままを通せない場面も多いと思います。

逆に夫婦・子ども・あるいは「働き」なんかは私から見たら完全独自コンテンツであって、メディア的なものより第一運動純度の高い面白さがそこにあるとおもいます。オーガニックというか。それを成せることへの憧憬は私も勿論あります。”俺は煩悩だけなんじゃないか”と。

冒頭の古い友人への想いもそうなのですが、私は面白さを求めてどこか破綻していたのだなと想うし、逆に言えばこのあいだ描いた居たかった場と縁・出発というエントリで書いたようなTwitterという書くことで存在する安全基地のお陰で、自分の欠落へ目を向ける力を得れたのかもしれないなと思います。

B'zの「Pleasure '91 -人生の快楽-」に「勝手知ったる少ない仲間と敵だ味方だと騒いでる 止まれないこの世界で胸を張って生きるしかない」なんて詞がありますが、お互い道が離れていったときに「Love Phantom」とように「2人で1人になれちゃうことを気持ちいいと思ううちに 少しのズレも許せないセコい人間になってたよ」では不味いということでしょうね。それぞれの道から遠くへ交信を送るくらい、異なることへの真摯さが必要なのだなぁと今朝想いました。

by wavesll | 2019-04-21 09:10 | 私信 | Comments(0)
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