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クリムト展@東京都美術館 女性の表情の真域 金色の装飾の平面と立体の人物の際立ち

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クリムト展 ウィーンと日本 1900 於 東京都美術館をみてきました。

今年の目玉ともいえるクリムト展。実際に見てみると結構軽やかにリズムつけてみれる感じで良かったです。3周で2hくらいみたかな。

会場に入るとモーリッツ・ネーア≪猫を抱くグスタフ・クリムト、ヨーゼフシュテッター通り21番地のアトリエ前にて≫。生涯独身ながら14人の子どもを作ってモデルと浮名を流したクリムト。若い頃の写真もあったけれど壮年の写真はちょっとハゲてて、けれど”モテてそうだな~、リリーフランキーに通じるものがある、ギュスターヴ・モローとは対照的。”という感じ。

けれどそれぞれの地獄があって、同じく画家だった弟エルンストと父を亡くし、姉クララは鬱だったそう。ウィーン工芸学校の同級生フランツ・マッチュ≪ヘルミーネとクララ・クリムト≫では妹ヘルミーネがおどけた表情をしていて。

グスタフ・クリムト≪ヘレーネ・クリムトの肖像≫ではエルンストの娘ヘレーネが茶髪おかっぱで白いブラウスというなんか今っぽい可愛い絵で。そして彫金を学んだ末弟ゲオルク・クリムトとグスタフ・クリムト≪踊り子≫は後の金での装飾を思わせる金色の銅板レリーフでした。

学友で共に学んだマッチュとエルンストとクリムトは芸術家カンパニーというグループで仕事を請け負うようになります。そんな学生時代の課題かマッチュとクリムトで同じモデルを描いた≪レース襟をつけた少女の肖像≫はそれぞれの視点を見比べられて面白かった。課題かグスタフ・クリムト≪男性裸体像≫なんてのも。

また学校での師のハンス・マカルト≪ヘルメスヴィラの皇后エリーザベトの寝室装飾のためのデザイン(中央の絵:『夏の夜の夢』)≫はクリムトらも手伝った作品だそう。こうしてみると西洋の美というのは本当にごてごて足し算の美なのだなと。

そこからクリムトの≪音楽の寓意のための下絵(オルガン奏者)≫や≪カールスバート市立劇場の緞帳のためのデザイン≫などは古風に複雑な意匠ですがフランツ・マッチュ≪ソフォクレス『アンティゴネ』上演中のアテネのディオニュソス劇場(ブルク劇場天井画のための下絵)≫はかなりシンプルな構図。

またこの古代趣味は建築のための下絵であるグスタフ・クリムト≪15世紀ローマ≫・≪15世紀ヴィネツィア≫・≪古代ギリシャI、II≫にもみられて。

エルンスト・クリムト≪甲冑のある静物≫もなかなかの腕前でエルンスト・クリムト≪フランチェスカ・ダ・リミニとパオロ≫もアーモンドの花?が咲き誇る中でちょっと生命的ではないけれど美麗な人物画でした。フランツ・マッチュ≪女神(ミューズ)とチェスをするレオナルド・ダ・ヴィンチ≫は金のデザイン装飾の平面的な背景と人物の前に宝飾品が3D的に浮かび上がって面白い絵でした。

次のパートではクリムトとかかわった女性たちの都のコーナーで。グスタフ・クリムトの子どもを産んだ≪マリー・”ミッツィ”・ツィンマーマンと息子グスタフ≫なんて写真も。息子もグスタフなのかwまたエルンストの妻の妹に宛てた≪グスタフ・クリムトからエミーリエ・フレーゲに宛てた書簡(7通)≫ではハートが画かれたり踊るような文字だったりしました。

さて、1873年ウィーン万博では日本の美術が注目を集め、アーティストにもかなりのインスピレーションを与えて。ハンス・マカルト≪装飾的な花束≫ではアシメの構図を、ユリウス・ヴィクトル・ベルガー≪アトリエ≫には屏風があったりユリウス・ヴィクトル・ベルガー≪室内にいる日本の女≫ではまさに黒髪で着物の女性が描かれて。

そして勿論クリムトも日本の美術から影響を受けました。グスタフ・クリムト≪女ともだち I(姉妹たち)≫では黒い背景の中で二人の女性(一説には遊女からインスピレーションを受けたそう)が淫靡な表情で現れて。そして何より面白いのが市松模様の柄が配置してあったりカラーバー的な長方形を縦横に多数積み重ねた柄があって。これこれ、こういうのがみたかったんだよ!

またグスタフ・クリムト≪17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像≫では額縁に梅が描かれて清楚さを香らせたり、クリムトが持っていた本(オスカー・ミュンスターベルク『日本美術史』アーネスト・フランシスコ・フェロノサ『東洋美術史綱』、『日本の春画三十六選 菱川師宣、鈴木春信、喜多川歌麿』)があったり、グスタフ・クリムト≪赤子(ゆりかご)≫では着物風の色とりどりの衣がうねうね積み重なった山の上に赤ちゃんがいる画が。

日本美術の記号性と”見立て”の想像力、そして平面性、これらが欧州で積み上げられた美術技法とクロスすることでまさに弾ける魅力を放っていました。

そしてクリムトは1897年にウィーン分離派という美術グループ/運動を立ち上げ、いよいよその才能をエクスプロージョンさせます。

1899年のグスタフ・クリムト≪ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)≫は金の上部にシラーの詩が書かれ、裸の女性は虫眼鏡を持ち何とも淡い暗さをたたえた肌の色、その後ろには水の文様、下部の前方には蛇が。古代の紋を思わせる装飾で、観客に阿らないアートの挑戦が宣言されています。

そしてメインヴィジュアルにもなった1901年のグスタフ・クリムト≪ユディト I≫。金の部分はグスタフがデザインしゲオルクが作って、ホロフェルネスの首を持つユディトはしかし恍惚で官能的な表情を浮かべ、オレンジのバストトップが美しく、黄金のチョーカーは南米も想わせて。その金色の絵画はなんとも柔らかな魅力を輝いていました。

会場ではウィーン分離派展のポスターが何枚もあって。グスタフ・クリムト≪第一回ウィーン分離派展ポスター(検閲後)≫はギリシャ的。ヨーゼフ・マリア・オルブリヒ≪第2回ウィーン分離派展ポスター≫は建築のむこうに星が浮いているSF的な分離派会館?≪第6回ウィーン分離派展ポスター≫は菊川英山≪鷹匠図≫に基づくモティーフ。≪第10回ウィーン分離派展ポスター≫はアフリカ的。アルフレート・ロラー≪第14回ウィーン分離派展ポスター≫はデザイン的な絵画。

そしてこの第14回ウィーン分離派展のテーマがベートーヴェンで、クリムトは第九をテーマに≪ベートヴェン・フリーズ≫という巨大壁画を作成しています。なんとその原寸大複製が展示されていてこれにはたまげた!幸福へのあこがれ、黄金の騎士、ゴルゴン三姉妹、悪の化身テュフォン、詩の女神、そして合唱隊に導かれた歓喜の歌の接吻。実際に第九を聴いてみると最後の歓喜の歌までは地味に感じる部分もあるのですが、この壁画も結構白いスペースがたっぷりとられたり楽曲を絵画化してる感じがいい。金銀宝玉のきらめきも印象的でした。

また≪『ヴェル・サクルム(聖なる春)』≫という機関誌も第1年次第1号、第1年次第3号、第2年次第12号が展示されていました。

そしてグスタフ・クリムト≪鬼火≫では青緑に浮かび上がる女性たちがまだらの鈍い塊が薄闇に浮かぶ様が描かれていました。またその額縁が金の渋い地の掠れが本当にいい味を出していて。この女の妬み、嫉み、怒る表情がリアルでした。そして青白い鬼火が火花散らして。

クリムトは風景画も描いています。またこれがいい。グスタフ・クリムト≪アッター湖畔のカンマー城 III≫では点描タッチで描かれたゴッホの風景画のような画。そして(こちらの方が輪郭を描いて色を塗る点でゴッホから影響を受けているそうですが)グスタフ・クリムト≪丘の見える庭の風景≫はもうほんと生命が蠢く気持ち悪さすら感じる植物描写がなんか鈴木其一とかも想起させて。凄かった!この時期の作品が正方形なのは望遠鏡を使って景色をみたからだそうです。

そこから肖像画。グスタフ・クリムト≪オイゲニア・プリマフェージの肖像≫は銀行家であるパトロンの妻。黄色の背景にドロップキャンディーを敷き詰めたかのようなカラフルで装飾的な衣服、そしてちょっと誇らしさのある表情の幸福そうな女性。この装飾的な衣服の平面性と人物の立体的な筆致の対称性がケミストリーを産んでいるのかも。この服飾の輝く筆致、岩佐又兵衛とクリムトで二人展やったらドリームマッチになるなとか妄想が膨らみました。

またグスタフ・クリムト≪白い服の女≫は白い服に妖艶な目をした女が太極図のように白黒陰陽分かれた背景に浮かんで。

そしてクリムトは三男の死から、生命の円環をテーマに作品を描くようになっていきます。

クリムトはウィーン大学の講堂の天井画の依頼を受け、≪医学≫・≪哲学≫・≪法学≫と描きますが、その性的描写や反学問的な表現から大学と衝突し引き上げてしまいます。会場では≪≪医学≫のための習作≫と失われてしまった≪哲学≫のサイアノタイプと≪法学≫の写真がありましたが、まるでミュシャの≪スラヴ叙事詩≫のようなスケール感と透明感ある輝きに惚れ惚れさせられました。

グスタフ・クリムト≪亡き息子オットー・ツィンマーマンの肖像≫はチョークで画かれた言葉に記せない哀しみがありました。そしてグスタフ・クリムト≪リア・ムンク I≫は24才でピストル自殺した女性の絵、この他グスタフ・クリムト≪死の床の老人≫という作品も。

グスタフ・クリムト≪女の三世代≫は銀金が滝のように流れ落ち花開き、そして黒、そしてカラフルな丸群で柄になった背景に赤子と母親、そして老婆が画かれた大作。女の一生を描いたという意味でも、顔をみせない老いさらばえた老婆の身体を描いたことはクリムトにとって大いなるフロンティアの開拓だったように思えました。

そして最後の作品はグスタフ・クリムト≪家族≫。黒一色の中で陰影のように子供に手を添える母。彼等3人は生きているのか眠っているのかわからない。ただ死の影が濃く表れていました。ここがクリムトにとって大いなる転機になったそう。最晩年の作品もみたい、というところでEXIT.

最初はその平面の装飾性の化学反応、次に光柔らかな輝く筆致に目を捉われながらもどこか”プロデュースに長けていて、ちょっとアウラの濃さのない画家なのではないだろうか”なんて思ったりしていたのですが、3周目、≪ユディト I≫をみていたときに”この表情をみつめさせる、描ける画家は稀代なのでは”と。そこから彼の画がく女性の顔をみるとその悦楽、その憤怒、まさに女性と切結びそのリアルを見てきたからこそ描ける真実の美があって。これはなかなか書けないよ、流石だよ、となりました。

そしてクリムトとエゴン・シーレとの邂逅の藝術的生成は、新美での展示をみるのを楽しみに。なかなかどうして、軽やかでいて実に濃い展示でした。




by wavesll | 2019-06-06 20:52 | 展覧会 | Comments(0)
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