人気ブログランキング |

ウィーン・モダン展@国立新美術館 前近代から近代への都市の変貌、革新の火花

c0002171_23404748.jpg
c0002171_23405831.jpg
c0002171_23411055.jpg
クリムト展@東京都美術館に続いて新美でのウィーン・モダン展をみてきました。

ウィーンという都市がいかに”近代”を生み出したか。その旅の始まりはヨハン・アダム・デルセンバッハ≪ローテントゥルム門側から見たウィーン旧市街≫(1750年以前)、そしてマルティン・ファン・メイテンス≪マリア・テレジア(額の装飾画:幼いヨーゼフ2世)≫ (1744年)とハインリヒ・フリードリヒ・フェーガー≪鎧姿のヨーゼフ2世≫ (1787-88年頃)の威容から始まります。この2人の治世から近代化の萌芽が始まりました。

そして18世紀末19世紀初頭にはフリーメイソンのネットワークもこの都市に花開きました。そのメンバーには≪作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト≫も。街には≪プラーター上空に浮かぶヨハン・シュトゥーヴァーの熱気球≫が浮かび、ヨハン・ヒエロニムス・レシェンコール≪ヨーゼフ2世のモニュメント≫はピラミッドのよう。またフリーメイソン会員ではないですが啓蒙思想に影響を受けたフランツ・クサーヴァー・メッサーシュミット≪究極の愚か者(「性格表現の頭像」シリーズより)≫も展示してありました。

マリア・テレジアの死後に皇帝ヨーゼフ2世は都市を改革していきます。宗教への寛容政策、ヨーゼフ・シャファー、ペーター・シャファー≪総合病院の眺め≫の建設、また公園の設置や磁器工房の奨励。

そしてナポレオンの侵攻を経て、ウィーン会議から革命までの間のビーダーマイアー時代がやってきます。ジャン・ゴドフロワ(ジャン=バティスト・イザベに基づく)≪ウィーン会議での各国代表者たち≫ (1830年)は「会議は踊る、されど進まず」な様子が描かれ、その画にも描かれたオーストリア宰相≪メッテルニヒのアタッシュケース≫の実物の展示も。またこの時代の作品で面白かったのがカール・ルートヴィヒ・ホフマイスター≪絵画時計ー王宮書斎での皇帝フランツ1世≫という本物の時計が埋め込まれた作品なんてのがありました。そしてヨハン・クリスティアン・シェラー≪ウィーンのバリケード、1848年5月26日≫という蜂起の様子はまるでレミゼラブルのようでした。

シューベルトの時代の都市生活は様々な家具・調度品と共に絵画展示が展開されていました。

製作:ダンハウザー家具工房≪机≫ (1820-30年)は丸い底面と円錐な柱が印象的、様々な≪椅子≫たちもどれもデザインが見事で、今みてもIKEAレベルを大きく超えてるフォルムと質感。銀食器たちも本当にシンプルかつ洗練された美を放っていました。≪ボンネット≫と呼ばれる帽子も。そしてヴィルヘルム・アウグスト・リーダー≪作曲家フランツ・シューベルト≫の横には≪フランツ・シューベルトの眼鏡≫(1820年頃) の実物展示も。ユーリウス・シュミット≪ウィーンの邸宅で開かれたシューベルトの夜会(シューベルティアーデ)≫ではブルジョワな麗しき男女が集っていました。

ビーダーマイアー時代の絵画ではフリードリヒ・フォン・アメリング≪3つの最も嬉しいもの≫ (1838年)が素晴らしかった。男が口説く女性、そして彼女が持っているグラス(酒)と楽器(音楽)が画かれるのですが、その女の子のはっとさせられる綺麗さは本展覧会のベストガールでした。

またフェルディナント・ゲオルク・フヴァルトミュラー≪教会に向かう春の道≫ (1863年)、フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー≪バラの季節≫ (1864年頃)は光がパキっと描かれて、国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック・ロシア展の露西亜の四季画を少し想いださせられました。あれは19世紀後半から20世紀初頭の作品群だったかな。

ビーダーマイアー時代にはルドルフ・フォン・アルト≪ゴシック様式の石柱「糸紡ぎの十字架」からみたウィーンの眺め≫など、中世から発展していくウィーンの変わりゆく都市景観が描かれてもいました。

そしてウィーンの市街地の拡張、フランツ・ヨーゼフ1世による城壁の撤去によるリンク通りの開発の時代。フランツ・ルス(父)≪皇帝フランツ・ヨーゼフ1世≫の隣にはフランツ・ルス(父)≪皇后エリーザベト≫の郷ひろみのアイドル時代のような若々しい2人の姿が。

ここで”おぉ!エリーザベト!”と想った方はきっと東京都美のクリムト展に行かれているはず。そう、クリムトの師匠であったハンス・マカルトがこの2人の銀婚式のパレードの演出をしている等関わりがあるのです。

この展覧会ではハンス・マカルトの作品群が結構力を入れて展示してあって、ハンス・マカルト≪真夏の夜の夢(ウィーン市立劇場緞帳のための習作)≫ (1872年)はバロックでロココな感覚、ハンス・マカルト≪1879年の祝賀パレードのためのデザイン画ー大工組合の旗手≫、≪1879年の祝賀パレードのためのデザイン画ー菓子製造組合≫、≪1897年の祝賀パレードのためのデザイン画ー織物製造組合≫はパステルで祝祭的な、ファンタスティックな感覚。

女性画も描いていて、ハンス・マカルト≪メッサリナの役に扮する女優シャーロット・ヴォルター≫の白い姿はどこか神話性を帯びていて。一方で紅に染まったハンス・マカルト≪ドーラ・フルニエ=ガビロン≫の華奢な美しさにははっとさせられて。ハンス・マカルト≪ハンナ・クリンコッシュ≫のふくよかな黒い羽衣服には幸福な安心感を覚えました。

そんなハンス・マカルトの下で修業を積んだクリムトと学友のマッチュの作品も共に展示されていて。グスタフ・クリムト≪旧ブルク劇場の観客席≫は貴族やブルジョワ100人以上の観客たちが顔がきちんと描かれていて、まるで写真のコラージュ作品のような精彩さ。やっぱりこの人抜群に絵が上手い。フランツ・フォン・マッチュ≪古代の即興詩人(ブルク劇場北階段のための習作)≫・≪中世の神秘劇(ブルク劇場北階段のための習作)≫には古代趣味があって都美での展示を思い起こさされて。

そしてこの時代と言えばウィーン万国博覧会(1873年)。当時ウィーンの芸術家たちに大きなインスピレーションを与えた日本の展示がジョルジ・クレス≪ウィーン万国博覧会ー日本館≫・≪ウィーン万国博覧会ー日本館と日本庭園≫、オスカー・クラーマー≪ウィーン万国博覧会ー日本館と日本庭園≫という写真で展示されていました。

また19世紀末のウィーンと言えば「ワルツの王」ヨハン・シュトラウス。ヴィルヘルム・ガウゼ≪宮廷舞踏会≫の多幸感。ヴィクトル・ティルクナー≪作曲家ヨハン・シュトラウス (子)≫の胸像も。

そしてウィーンは愈々近代都市として羽化していきます。その時代の治世の想像を掻き立てるのがフランツ・フォン・マッチュ≪シェーンブルン宮殿書斎での皇帝フランツ・ヨーゼフ1世≫や螺鈿な貝細工が美しい、分離派のメンバーであるオットー・ヴァーグナー≪カール・ルエーガー市長の椅子≫

そのオットー・ヴァーグナーは近代建築の先駆者と呼ばれ、オットー・ヴァーグナー≪美術アカデミー記念ホール:模型≫製作:ヴェルツェル・ホルマン(1898年)では薄紅色の壁に金色の意匠が美しい建築が、またオットー・ヴァーグナー≪カイザリン・エリザーベト・プラッツ、市営鉄道のパヴィリオン:透視図(ウィーン市総合整備計画のための設計競技案より)≫では近代都市の交通システムとしてのチャレンジなプロジェクト、オットー・ヴァーグナー≪市営鉄道の皇帝専用パヴィリオン(ヒーツィング)≫は2度しか使われなかったそう。

オットー・ヴァーグナー≪郵便貯金局:天井構造図≫のところにはオットー・ヴァーグナー≪郵便貯金局のアームチェア≫、オットー・ヴァーグナー≪郵便貯金局メインホールのスツール≫の実物展示も。

モダニズムは文化施設にもつけることを示すオットー・ヴァーグナー≪ウィーン市立皇帝フランツ・ヨーゼフ博物館(カールスプラッツ)設計計画:ファサード≫というもの等も。そして近代教会建築の走りとなったオットー・ヴァーグナー≪聖レオポルド教会(シュタインホーフ)≫は白と金の美麗と聖性が。

また花を陶器で表すことで永遠化しようとしたオットー・ヴァーグナー≪マジョリカ・ハウスの陶器製ファサード(リンケ・ヴィーンツァイレ40番地)≫や当時の最先端アイディアであった集合住宅をつくったオットー・ヴァーグマン≪コロヴラートリンクのホテル・ウィーン≫とオットー・ヴァーグナー≪陸軍省(シュトゥーベンリンク)のための設計競技案趣意書≫やオットー・ヴァーグマン≪ウィーン市22区の理想的設計案ー『大都市』(1911年)に基づく模型≫展示も。

そしてここから愈々クリムトの本編。

グスタフ・クリムト≪自然の王国(『アレゴリーとエンブレム』のための原画No.39)≫・たゆんたゆんな≪一日の4つの時(『アレゴリーとエンブレム』のための原画No.26)≫・≪青年期(『アレゴリーとエンブレム』のための原画No.8)≫・しっとりした肢体の≪寓話(『アレゴリーとエンブレム』のための原画 No.75a)≫・≪物語(『アレゴリーとエンブレム』のための原画 No.74)≫・≪牧歌(『アレゴリーとエンブレム』のための原画 No.75)≫・金の額縁に花を描いた≪愛(『アレゴリー;新連作』のための原画 No.46)≫・≪彫刻(『アレゴリー:新連作』のための原画 No.58)≫・≪6月(ユノ)(『アレゴリー:新連作』のための原画 No.53)≫たちがなんとも美少女がエロティックで美青年の裸身も美しかった。

そしてウィーン分離派の創設。

グスタフ・クリムト≪第1回ウィーン分離派展ポスター(検閲前)≫は検閲後で木の枝で隠される股間が描写されていて、都美でも展示されていたグスタフ・クリムト≪第1回ウィーン分離派展ポスター(検閲後)≫から答え合わせをした気分。

アルフレート・ロラー≪分離派会館会館記念ポスター≫はオリンピックのロゴのよう。モーリス・ネーア≪ウィーン分離派メンバー≫の写真も。


そしてここからクリムトの素描群が。グスタフ・クリムト≪裸婦(ウィーン大学学部絵≪医学≫のための習作)≫・≪男性胸像(ウィーン大学学部絵≪法学≫のための習作)≫・≪ドレープのある衣をまとう前かがみの男性(ウィーン大学学部絵≪法学≫のための習作)≫・≪裸婦立像(ウィーン大学学部絵≪法学≫のための習作)≫には都美での≪医学≫・≪哲学≫・≪法学≫を思い起こさせられて。

そしてグスタフ・クリムト≪横たわる裸婦(≪水蛇II≫あるいは≪遊女の対話≫のための習作)≫や≪半裸で寄りかかる女性(≪乙女≫のための習作)≫・≪横向きでうずくまる裸婦≫・≪半裸で寝そべる女性≫などが何ともエッロい艶があってどきどきさせられました。

都美でもカール・モルやコロマン・モーザーなどの画が展示されていましたが、本ウィーン・モダン展でもクリムトに連なる画家たちの作品が多数展示されて。

ウィーン分離派の画家たちではスーラなマクシミリアン・レンツ≪シルク=エッケ(リンク通りとケルントナー通りの角)≫に黄色のドレスだけど何ともアンニュイなマクシミリアン・クルツヴァイル≪黄色いドレスの画家(画家の妻)≫、ドガ的なバックヤードなカール・モル≪コーヒー工場にて≫。線の筆跡で落ち着いた情景を描くカール・モル≪朝食をとる母と子≫≪書き物机に向かう画家のアンナ・モル≫

SFな古代の惑星感のあるヴィルヘルム・ベルナツィク≪炎≫に彼は分離派ではないけれどフランツ・フォン・マッチュ≪画家の子どもたち(レシとハンス)≫、レストランでクールに誘惑するヨーゼフ・エンゲルハルト≪ゾフィーエンザールの特別席≫にキレイなクラシック感のあるヴィルヘルム・リスト≪白と黒の絵画≫に平面さが現代的なコロマン・モーザー≪少女≫もありました。

ウィーン分離派はグラフィック方面も物凄くて、アルフレート・ロラー≪『ヴェル・サクルム』表紙(1898年第1号豪華版)≫の桶にカール・モル≪『ヴェル・サクルム』表紙(1898年第10号豪華版)≫の木、フェルナン・クノップフ≪『ヴェル・サクルム』表紙(1898年第12号豪華版)≫は幾何学な感じ。

そしてウィーン分離派展ポスターが壁一面にあって。コロマン・モーザー≪第5回ウィーン分離派展ポスター≫は緑の天使、ヨーゼフ・マリア・アウヘンタラー≪第7回ウィーン分離派展ポスター≫、アドルフ・ベーム≪第8回ウィーン分離派展ポスター≫はF1レースなデザイン。アルフレート・ロラー≪第9回ウィーン分離派展ポスター≫のピンク、ヨハン・ヴィクトール・クレーマー≪第11回ウィーン分離派展ポスター≫は青赤緑の花、アルフレート・ロラー≪第12回ウィーン分離派展ポスター≫はゲームなデザイン。コロマン・モーザー≪第13回ウィーン分離派展≫の女子三連星。アドルフ・ベーム≪第15回ウィーン分離派展ポスター≫のガンダム感。アルフレート・ロラー≪第16回ウィーン分離派展ポスター≫は化粧品の広告感、マクシミリアン・クルツヴァイル≪第17回ウィーン分離派展ポスター≫のシャンプーな感じ。グスタフ・クリムト≪第18回ウィーン分離派展ポスター≫はダダなフォント。フェルディナンド・ホドラー≪第19回ウィーン分離派展ポスター≫はアメリカン・パンク・ジャケ感。オットー・フリードリヒ≪第21回ウィーン分離派展ポスター≫は白根ゆたんぽ感。レオポルド・シュトルバ≪第23回ウィーン分離派展ポスター≫は黒白の60sロックジャケ風、エルンスト・エック≪第40回ウィーン分離派展ポスター(国際ポスター展)≫は楽譜風、リヒャルト・ハルルフィンガー≪第40回ウィーン分離派展ポスター(国際ポスター展)≫のガソリンカンパニー感。エゴン・シーレ≪第49回ウィーン分離派展ポスター≫の仄暗さ。これだけまとまって見れたのは嬉しかった。

そして次の間はエミーリエ・フレーゲとグスタフ・クリムト。弟エルンストの妻の妹エミーリエは姉妹でコルセットから解放した改良服をつくる事業を営んでいて、クリムトとは私生活のパートナーの関係でした。

メインヴィジュアルの一つでこれだけは写真撮影可能だったグスタフ・クリムト≪エミーリエ・フレーゲの肖像≫(1902年)は角度を変えてみると銀がきらめいて、ハットとドレスの虹光の平面的装飾が美しかった。KとGをあしらったロゴも。

また写真展示ではアッター湖で遊ぶクリムトとフレーゲがみれて、都美で≪アッター湖畔のカンマー城 III≫をみていたので嬉しかった。またコロマン・モーザー≪フレーゲ姉妹ファッション・サロンのウォール・ランプ(再製作)≫・≪フレーゲ姉妹ファッション・サロンのテーブル(再製作)≫・≪フレーゲ姉妹ファッション・サロンの椅子(再製作)≫というのがあったり、≪グスタフ・クリムトのスモック≫の実物展示も。

クジャク石があしらわれたオットー・ブルッチャー≪エミーリエ・フレーゲの印章≫に銀のオットー・ブルッチャー≪パウリーネ・フレーゲの印章≫も立体性が美麗でした。ヨーゼフ・ホフマン≪ブローチ≫・≪エミーリエ・フレーゲの櫛≫もなんともカッコよかったです。

このヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーが1903年につくったウィーン工房の作品群も多数あって。


またあのヴィトゲンシュタイン家のヨーゼフ・ホフマン≪ヘルマン・ヴィトゲンシュタイン邸のキャビネット≫・≪ヘルマン・ヴィトゲンシュタインの花瓶≫、コロマン・モーザー、ヨーゼフ・ホフマン≪ヘルマン・ヴィトゲンシュタインの印章≫もかっこよく、コロマン・モーザー≪ヘルマン・ヴィトゲンシュタインのための装飾プレート≫もカッコよかった。

ヨーゼフ・ホフマン≪花瓶≫でも腰がきゅっと締まっていて、ヨーゼフ・ホフマン≪柄付きバスケット≫はスケルトン仕様だったり白が美しかった。

また当時一流の社交場だったヨーゼフ・ホフマン≪キャバレー・フレーダーマウスのソース入れ≫もアメコミSF風、ヨーゼフ・ホフマン≪キャバレー・フレーダーマウスのスープ用蓋付き容器≫のレトロフューチャー、ヨーゼフ・ホフマン≪ティーセット≫の黄金。ミヒャエル・ポヴォルニー、ベルトルト・レフラー≪角形花瓶≫のファンシーなトリの陶器はコロマン・モーザー≪シクラメンのある静物≫にも出てきて。

ヨーゼフ・ホフマン≪ゲーム盤とこま≫の化粧箱感。ダゴベルト・ペッヒェ≪花瓶≫の白黒とタゴベルト・ペッヒェ≪花瓶≫の黄白黒も。

またウィーン工房のアクセサリーがまた良くて。ヨーゼフ・ホフマン≪ブローチ≫はクリムトの≪ユディト I≫のネックレスのよう。ダゴベルト・ペッヒェ≪ブローチ≫はメノウ、ダゴベルト・ペッヒェ≪王冠≫は象牙製でセラミックみたいな白、エドゥアルト・ヨーゼフ・ヴィマー=ヴィスグリル≪ピン≫もメノウ、カール・オットー・チェシュカ≪ブレスレット≫も美しかった。

またマリア・シュトラウス=リカルツ≪ハンドバッグ≫、マックス・スニシェク≪ハンドバッグ≫、ダゴベルト・ペッヒェ≪ハンドバッグ≫もハンドクラフト感が良く、ミサンガな感じの布製のダゴベルト・ペッヒェ≪ネックレス≫、マリア・シュトラウス=リカルツ≪ネックレス≫とマックス・スニシェク≪ネックレス≫も布製のガラス玉みたいな感じでどこか南米的。

ウィーン工房のグラフィックも素晴らしくて。

コロマン・モーザー≪≪アスター≫書籍見返しデザイン案『ディー・クヴェレ[泉ー文様パターン集]』≫はハートダイヤ、コロマン・モーザー≪≪収穫の時≫壁掛けデザイン案『ディー・クヴェレ[泉ー文様パターン集]』≫ボールを抱えたマリア、コロマン・モーザー≪≪聖母マリアの祝日≫色紙デザイン案[泉ー文様パターン集]≫の鉄、コロマン・モーザー≪≪千羽のオオガラス≫書籍見返しデザイン案『ディー・クヴェレ[泉ー文様パターン集]』≫のエッシャー感、コロマン・モーザー≪≪赤い木の実≫絹地デザイン案『ディー・クヴェレ[泉ー文様パターン集]』≫の丸、コロマン・モーザー≪≪アルレッテ≫絹地デザイン案『ディー・クヴェレ[泉ー文様パターン集]』≫花と水紋。

ヨーゼフ・ブルックミュラー レタリング:ルートヴィヒ・ユングニッケル≪タイトルページ デザイン案(型紙図案)『ディー・フレッヒェ[平面]』第1巻第5号、65頁≫、ヒルデ・エクスナー≪ポスターデザイン案「ウィーン」『ディー・フレッヒェ[平面]』第1巻第5号、74頁≫の工業的な村、エマ・シュランゲンハウゼン≪ポスターデザイン案「ウィーン」『ディー・フレッヒェ[平面]』第1巻第5号、75頁≫の未来のエントランス感。ミッツィ・エーベルト≪文様パターン(上)≫アデーレ・ベッテルハイム≪文様パターン2種(下)≫の王と綱。花を撒くアグネス・シュパイヤー≪ポスターデザイン案『ディー・フレッヒェ[平面]』第1巻第9号、136頁≫、マックス・ペニルシュケ≪書籍表紙デザイン案(上)≫アドルフ・オットー・ホルプ≪文様パターン2種(下)『ディー・フレッヒェ[平面]第1巻第10号、151頁』≫の月と2人の女。

そしてベルトルト・レフラー≪キャバレー・フレーダーマウスのポスター≫と≪キャバレー・フレーダーマウスのフライヤー≫のアメリカンなSF感。またヨーゼフ・ホフマン≪キャバレー・フレーダーマウスのロビー≫のモンドリアンに洒落た美容室な感じ。

ウィーン工房と、1905年にウィーン分離派を抜けたクリムトたちが起こしたクンストシャウという展覧会のポスターも。ベルトルト・レフラー≪クンストシャウのポスター≫は黄髪に青服の少女、ルドルフ・カルヴァハ≪クンストシャウのポスター≫はもはやポップアート、三菱一号館美術館でのフィリップス・コレクション展でも輝いていたオスカー・ココシュカの≪クンストシャウのポスター≫にはちょっとした濁りのカッコよさ。

ルドルフ・カルヴァハ≪ユーモラスなグリーティング・カード≫の黒の宇宙で子どものエルフが動物と遊ぶ様子も良かった。レオポルディーネ・コルベ≪装飾的な花かご≫の青・紫・苺。

エゴン・シーレ≪女性の肖像≫のアシメに消えていく洒落た滲みの魅力。

ダゴベルト・ペッヒェ≪ウィーン工房のポスター ー マリエンバードのメルキュール邸内の店(テキストなし)≫の乙女なグラフィックス、ヒルダ・イェッサー=シュミット≪ウィーン工房のポスター ー ライプツィヒのファッションと装飾芸術の店≫の富裕な感じ。マリア・シュトラウス=リカルツ≪ファッション≫≪婦人帽ファッション≫のクールなハイブランド感、メラ・ケーラー≪ファッション≫の高級感。アルノルト・ネハンスキー≪復活祭≫の金色な古代魔術感も良かった。

そして愈々エゴン・シーレ。

エゴン・シーレ≪自画像≫ (1911年)はメインヴィジュアルにもなっている、苦悩とチャーミングさが溢れている、指がとにかく長い自画像。彼のアートスタイルは表現主義と呼ばれ、尊敬するクリムトたちからさらに新しい表現でした。

エゴン・シーレ≪ひまわり≫の枯れた向日葵のもとに咲く紫と橙の花々。エゴン・シーレ≪ノイレングバッハの画家の部屋≫はゴッホをツヤツヤにした感じ。若かりし時に逝った精神の危うさも感じて。

彼が画くポートレイトからは実にその人物の気性が伝わって。エゴン・シーレ≪美術批評家アルトゥール・レスラーの肖像≫はカクカクした格好のバックに広がる赤いアウラ、その妻であるエゴン・シーレ≪イーダ・レスラーの肖像≫にもあるクールなカラフルバー、エゴン・シーレ≪オットー・ヴァーグナーの肖像≫は逆三角形の顔、エゴン・シーレ≪少女裸像(ゲルトルーデ)≫は明るくカクカクしながら湿度が凄い。エゴン・シーレ≪ひざまずく裸婦≫の青白いヌード。

エゴン・シーレ≪踊り子モア≫の気怠さ、エゴン・シーレ≪座る人物像≫のシャカシャカした感じ。エゴン・シーレ≪男性裸像≫はベーコンのよう。エゴン・シーレ≪アルトゥール・レスラーの肖像≫は大人。エゴン・シーレ≪マリア・シュタイナーの肖像≫の漫画的な感覚、エゴン・シーレ≪作家ローベルト・ミュラーの肖像≫の厳しさ、エゴン・シーレ≪背を向けた裸婦≫の針金アート感。そしてエゴン・シーレ≪死の床につくグスタフ・クリムト≫画狂老人卍のような凄味がありました。

表現主義を描いた画家たちがこのレントゲンによるX線の発見やフロイトの『夢診断』が出たウィーンに続いていきます。

オスカー・ココシュカ≪座る裸婦≫の消えていくカラダ。オスカー・ココシュカ≪母と子≫の不気味さ。オスカー・ココシュカ≪大股で歩く裸婦≫は江川達也のエロが画くなってからの肉体に似てて、オスカー・ココシュカ≪「クンストシャウ、サマーシアター」の演目、「殺人者、女たちの希望」のポスター≫は人体人形とアダムスファミリーって感じ。

オスカー・ココシュカ≪羊飼いと羊と二人の泥棒≫・≪眠る羊飼いと家畜たち≫・≪女性と3人の子どもたち≫・≪窓辺の女性≫のクリスマスカード感。

オスカー・ココシュカ≪『夢見る少年たち』1.眠る女≫のムンク感、≪『夢見る少年たち』2. 帆船≫の古代感、≪『夢見る少年たち』3. 船乗りの呼び声≫の絵本感、≪『夢見る少年たち』4. 遠き島≫の挿絵感、≪『夢見る少年たち』5. 会話する男女≫の神話感、≪『夢見る少年たち』6. 眠れる人々≫のアラビアンナイト感、≪『夢見る少年たち』7. 目覚める人々≫の聖書感、≪『夢見る少年たち』8. 少女リーと私≫の綺麗さ。この画にはココシュカの詩もついていて、その内容は思春期の苦悩や性愛の衝動とのことでした。


リヒャルト・ゲルストルは≪パレットを持つ自画像≫の他≪作曲家アルノルト・シェーンベルクの肖像≫も描いて、シェーンベルクとは親交もあったのだけれども、彼の妻に恋愛感情を持ちゲルストルは自殺してしまいました。

そしてアルノルト・シェーンベルクも絵を描き≪作曲家アルバン・ベルクの肖像≫やファンシーな筆致の≪グスタフ・マーラーの葬儀≫が掛けてありました。マーラーはオーギュスト・ロダン≪作曲家グスタフ・マーラーの肖像≫という哀しさを感じさせる彫像も。

グスタフ・ヤーガーシュパッハー≪作家ペーター・アルテンベルクの肖像≫はなんか妖怪感が。

マックス・オッペンハイマー≪建築家アドルフ・ロースの肖像≫という絵をかいて。このアドルフ・ロースは当初ウィーン分離派を激賞しながら、その後袂を分かち、『装飾と犯罪』という書を記しました。

会場では最後に≪アドルフ・ロース邸の居間のスツール(小)≫と≪アドルフ・ロース邸の居間のアームチェア≫、そして装飾を配したアドルフ・ロース≪ゴールドマン&ザラチュのオフィスビル(ミヒャエラープラッツ3番地、1909-11年建設)≫とこのロースハウスが画かれたウルバーン・ヤンケ≪アドルフ・ロースによる講演「ミヒャエラープラッツの私の建築」のためのポスター≫がありました。

ウィーン・モダン展。確かにクリムト、そしてシーレの作品はありました、がそれを言うならハンス・マカルト展でもありオットー・ヴァーグナー展でもありオスカー・ココシュカ展でもありました。真の主役はウィーンという都市。マリア・テレジアからWW Iにかけて建築、絵画、デザイン、音楽、都市システムと全分野で全近代から近代へ羽化する物語が描かれ、その意味でクリムトは境目にいたのだなと。都市が最も勢いを持ち創造性を持つ時期というのはありますね。

特に技術と芸術の関わりでは写真の登場から絵画がメタモルフォーゼしていったのだなとも。東京都美術館のクリムト展を先に見たのですが、逆でも行けるかもしれないけれどハンス・マカルトやフランツ・フォン・マッチュ、エリザーベト、第一回ウィーン分離派展ポスターとか先に知れたことでより楽しむことができました。

by wavesll | 2019-06-09 03:56 | 展覧会 | Comments(0)
<< ヴェトナムフェスにて伝統芸能や... 紫陽花の新緑 >>