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横浜浮世絵展@神奈川県立歴史博物館 港街の進取と猥雑な謙虚さ

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過日、馬車道の神奈川県立歴史博物館にて横浜開港160年 横浜浮世絵展をみてきました。
開港から鉄道開通くらいまで、この地で一気に開化していった横濱の風景。それを描いた横浜浮世絵を前期・後期で340点展示するという大きな展示。ひとりの浜っ子としてまじまじとみてきました。

まず最初の「横浜開港前夜」に出てくるのは北斎の≪富嶽三十六景 神奈川沖浪裏≫、前期にはこの数十年前に逆側からの波が画かれた≪賀奈川沖本杢之図≫が展示されていたそう。それもみたかった。開港の前年に亡くなった広重(初代)による≪冨士三十六景 武蔵野毛横はま≫も。

そして第一章「街ができるー横浜開港ー」では、まず貞秀≪増補再刻 御開港横浜之全図≫では生麦や子安から対岸の本牧までの大パノラマが広がって。そして田んぼの真ん中には当時の国際社交場というか遊興の場として作られた港崎(みよざき)遊郭が描かれた貞秀≪横浜本町景港崎街新廓≫が。

村だった横浜が一気に発展する姿がひらける様を描いた貞秀≪野毛村切通シヨリ横浜入口吉田橋野毛橋本町エモン坂大門遊女屋町井横浜本村遠景≫が。

そして国芳も横浜浮世絵を2枚描いていてそれが三井の越後屋の店など商紋ののれん街が画かれる≪横浜本町之図≫や港崎遊郭の岩亀楼の提灯なども描かれた≪横浜廓之図≫が。桜が華々しい。

芳員≪横浜海岸波止場繁栄之図≫には開港資料館に今もあるタブノキが描かれて。また広重(二代)の≪武陽横浜一覧≫と≪横浜一覧之図≫には通常浮世絵にはないすやり霞が。

NHKBSP「TOKYOディープ」でも旧い街の中核文化として遊郭が各地で取り上げられていましたが、横浜浮世絵にも遊郭がよく描かれました。

中でも埼玉の岩槻の人が開いた岩亀楼は一大娼館で。芳員≪横浜港崎廓岩亀楼異人遊興座敷之図≫や、「岩」をデザイン記号化してその下に亀の絵が画かれた団扇を持つ女性たちが画かれた芳年・年麿≪神名川横浜之風景≫や≪横浜岩亀楼≫、そして前期の広重(二代)≪横浜巌亀楼上≫はシャンデリアも。扇のデザインをあしらった襖の意匠も美しい。前期の国貞(初代)・国時≪源氏君花街遊覧≫の暖簾も楽しい。他にも港崎遊郭にあった国明≪横浜五十鈴楼之図≫なんてのも。

そんな遊郭で外国人たちも遊んで。芳幾≪五ヶ国於岩亀楼酒盛の図≫には米・英・仏・露・オランダ人が清国の芸人をみて遊んで。芳員・員重≪横浜港崎廓岩亀楼異人遊興之図≫では外国人たちが畳に座っている珍しい光景も。港崎遊郭は後に焼け落ちますが、当時の人々には川崎のラブホテル・迎賓館のように記憶に残ったことでしょう。

また万延元年(1860年)につくられた多数の国々が出てくる双六もあって。貞秀≪横浜細見大双陸≫に描いてある「どろ銀」はメキシコ銀貨のこと。広重(二代)≪万国入船寿≫には蝦夷の人や、胸に穴の開いた「胸穿国」なんてのも描かれてました。

次のパートは外国人を描いたものがたくさん。

芳幾≪万国男女人物図会≫には脚長国や臂長国、女人国なんてのも描かれて。貞秀≪生写異国人物 阿蘭陀婦人拳觴愛児童之図≫はピンクのドレス、貞秀≪生写異国人物 亜墨利加女官翫坂逐之図≫や貞秀≪生写異国人物 払郎察小娘犬散歩之図≫では洋犬も。芳虎≪万国尽 孛漏生人≫はなぜか黒人風に。芳豊≪アメリ加黒んぼ≫という作品もありました。

芳虎≪武州横浜八景之内 本村乃夕照≫・≪武州横浜八景之内 美代崎乃秋の月≫・≪武州横浜八景之内 波止場の帰帆≫・≪武州横浜八景之内 岩亀楼夜の雨≫・≪武州横浜八景之内 吉田橋乃落鳫≫・≪武州横浜八景之内 道行の遠鐘≫・≪武州横浜八景之内 野毛乃哨嵐≫・≪武州横浜八景之内 朝市乃月≫は八景ものでも外国人にフォーカスした横濱らしい作品。

他にも芳員≪横浜名所野毛切通 和蘭陀人≫・≪横浜名所港崎町 仏蘭西人≫・≪横浜名所弁天 亜墨利加人≫・≪横浜名所波止場 魯西亜人≫・≪横浜名所異人屋敷 英吉利人≫という作品や波止場で遊ぶ外国人を描いた貞秀≪横浜休日 魯西亜人遊行≫・≪横浜休日 阿蘭陀人遊行≫・≪横浜休日 亜墨利加人遊行≫・≪横浜休日 仏蘭西人馬遊行≫・≪横浜英商遊行≫なんて作品も。芳盛≪港崎横浜一覧≫や≪港崎横浜一覧 蒸気船ノ図≫はフランス人などが描かれて。

貞秀≪横浜交易西洋人荷物搬送之図≫は波の表現が素晴らしい。貞秀≪墨利堅大船之図≫は実は英国の船なのだとか。

貞秀≪横浜異人家飲食之図≫で飲食する外国人。芳虎≪外国人遊興之図≫では岩亀楼が。芳員≪神奈川権現山外国人遊覧≫で画かれる成仏寺にはあのヘボンも住んでいたとか。貞秀≪五箇国人物歩図≫では休日にどんたくする様子が。貞秀≪横浜異人商館之図・横浜異人商館売場之図≫は六枚つづりの正方形の大作でにぎわいが描かれて。広重(二代)≪横浜繁栄之図≫も良かった。

そして生麦事件が起きた翌年に描かれた芳虎≪横浜之新港ニ五箇国之異人調練之国≫と、その後に描かれた芳年≪仏蘭西英吉利西三兵大調練之図≫、そんな状況に対してのうっぷん晴らしか、体力自慢の白人を力士が投げ飛ばす芳幾≪横浜角力の誉≫なんて作品も。

またこの時期には外国の光景も浮世絵として描かれました。芳員≪亜墨利加国蒸気車往来≫・≪亜墨利加洲内華盛頓府之景銅板之写生≫・≪北墨米利加州≫なんてイラストレイテッド・ロンドン・ニュースを基にした浮世絵や気球が画かれた芳虎≪亜墨利加国≫、なぜか椰子が画かれた芳虎≪仏狼西国≫や時代が下ってかなり上手い芳盛≪各国繁栄尽 英吉利 ロンドン VIEW IN LONDON.≫なんても。

またこの時期は外国から動物たちが連れてこられて。芳豊≪紅毛舶来猛虎之演技≫芳幾≪猛虎之写真≫では豹が、芳員≪文久三亥年天竺国舶来 大象之写真於東都両国観物≫や芳幾≪中天竺馬爾加国出生の大象≫もありました。

そして第三章「ヨコハマの明治」へ。

大判錦絵10枚つづりの大作、貞秀≪改正横浜細見図 横浜細見図其二≫や、乳母車などが画かれた芳員≪外国商館の門前の風景≫、三つの塔がある広重(三代)≪横浜海岸異人館之図≫に実は築地ホテルな芳虎≪横浜海岸通之図≫、吉田橋(かねのはし)が画かれた貞秀≪横浜鉄橋之図≫・≪横浜鉄橋其二≫。広重(三代)には≪横浜吉田橋ヨリ伊勢山太神宮遠景≫なんて作品も。また芳虎≪横浜弌覧之図≫では七福神が馬車を駆って。広重(二代)≪武陽横浜一覧 Map of Yokohama≫も紫のすやり霞があって洒脱でした。

広重(三代)≪横浜商館天主堂ノ図≫は今は山手に移動したカトリック教会、広重(三代)≪横浜亜三番商館繁栄之図≫も緑の壁が映えて。

芳虎≪横浜異人館之図≫には西洋式の建築の前に人力車に乗った和装の女性が。国輝(二代)≪横浜仏国役館之全図≫も日中欧米文化が交じり合ったクレオールな感覚が。広重(三代)≪横浜海岸通り之真景≫は後の山下公園。広重(三代)≪横浜各国商館真図≫もハイブリッドなウォーターフロントの風景。

この時期は列車の光景もよく描かれました。

一景≪六合陸蒸気車鉄道之全図≫や舟が渡る多摩川が画かれた広重(三代)≪六郷蒸気車鉄道之全図≫や馬車からの時代を感じさせる広重(三代)≪河崎鶴見蒸気車鉄道之図≫や煙の白い弧の連続表現が印象的な広重(三代)≪横浜往返蒸気車全図≫、またしても七福神がでてくる芳虎≪七福人 種紙会社より海岸鉄道眺望の図≫は輸出産業の生糸が。

海沿いを走る広重(三代)≪横浜海岸鉄道蒸気車図≫や広重(三代)≪東京横浜蒸気車鉄道之図≫、また国鶴(初代)≪横浜ステーション≫は今の桜木町。

また焼け落ちた港崎から移転した遊郭のある土地を描いた広重(三代)≪横浜新埋地高島町揚屋三階造海岸遠景之図≫という作品も。

そして最後の間。
貞秀≪横浜弌覧之真景≫には関内側からみた大パノラマが。象の鼻や馬路公苑の競馬場も描かれて。

国利≪開化名勝図之内 横浜本町時計台≫はブリシェンス設計。国利≪開化名勝図之内 横浜弁天橋ヨリ海岸遠望≫の弁天橋は今もあります。国利≪開化名勝図之内 横浜高島町神風楼≫は廓。このシリーズには国利≪開化名勝図之内 横浜海岸波止場≫も。国利は≪大日本名所図会 横浜伊勢山太神宮≫というのも描いています。

国松≪横浜名勝競 内田町よりステイションの図≫・≪横浜名勝競 本町神奈川県庁より時計台の一覧≫・≪横浜名勝競 伊勢山下瓦斯本局雪中の一覧≫ではガスの煙突も。国松は≪横浜高島町神風楼之図≫も描いています。

また国鶴(初代)≪新坂横浜名所≫では本町や神奈川、競馬場、波止場などが描かれて。国鶴(初代)は≪横浜繁栄本町通時計台 神奈川県全図≫というのも描いています。

そして「金川(かながわ)」から来たという清綱≪金港美人揃 ときは町 八百藤≫・≪金港美人揃 太田 豊玉葊≫・≪金港美人揃 相生三 嘉以古≫・≪金港美人揃 羽衣壱 三階 相模屋≫・≪金港美人揃 尾上五 富貴楼≫・≪金港美人揃 住よし町 千登勢≫という美人画シリーズも。

そして鉄道開通とともに横浜浮世絵は徐々に描かれなくなっていって。最後の辺りに描かれたのが明治20年(1887年)の静斎≪横浜伊勢山風景図≫。真っ紅な空。

横浜という村が一気に進化していく様をみながら、浜っことしてはルーツとなるアイデンティティの不在も感じつつ、けれどその際の先端、一種ピジンなエアサイドが横浜の気風かと。漁村としての根っこは今も子安に息づいていますしね。

港街の進取と猥雑な懐の広さ。それは一種の謙虚さでもあるかもと。今はなき港崎(みよざき)遊郭ではシャンデリアと扇の紋様の襖の内で国際的な宴が開かれていました。横浜浮世絵には桜が多くあります。それは国際的な地になることで日本らしさへ意識的になったというのもあるのかも、と。

いいものはどんどん学び、自分のものへ摂取していく。その姿勢は最近余裕をなくして傲岸さが覗く日本に必要なものかもとも。異人あふるる明治横浜の春なホスピタビリティーと鷹揚さと機敏さは令和日本の先取りだったのかもしれません。会期は今週末まで。

by wavesll | 2019-06-20 20:11 | 展覧会 | Comments(0)
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