

GYAO!にて現在配信中のChris Markerによる『La Jetée』をみました。
第三次世界大戦後のフランスを舞台としたSF作品。
この映画はモノクロの寫眞とナレーションによって構成されていて、その制約が舞台演劇のように想像力を喚起し、'62年の30分に満たない作品ながら、鋭利な衝撃を観るものに与えてくれます。
ここから内容に踏み込んだ感想に成るので、今GYAOでみれ、上映時間も短いので、是非ご覧になられてからこの先を読まれることを願います。
「La Jetée」とは「送迎台」のこと。戦争が起きる前の少年時代にオルリー空港の送迎台で出会った女性の記憶に今も強くとらわれている男が、大戦後の支配者である”攻殻のバトーのような眼鏡をした”マッドサイエンティストの計画により、注射によって過去に飛ばされることで、その女性と逢瀬を重ねる。
その実験の目的はすっかり廃墟になってしまった世界に、物資やエネルギーを持ち帰ること。過去を幾度も訪れた後、実験は未来へ行く段階へ。未来には人間味の薄い進化した未来人がおり、彼らから復興資源を貰って、男は用済みに成る。未来人は男を仲間にしようとしてくれるが、男は過去の、あのオルリー空港の送迎台へ身を向かわせてしまう。
エレーヌ・シャトラン演じる女の美しさが、男がいかに焦がれるか、夢見心地に成るかを担保していて。
中島らもは「恋愛は日常に対して垂直に立つ」と言いましたが、第三次世界大戦後の支配体制とマッドサイエンティストの実験という「国家」であったり「社会」の硬質で大きなシステムの背景に対して、幽霊のように現れ消える男と、男が焦がれる女性とのデートは全く角度が異なるというか、ベクトルが直交するなと感じました。
途中で博物館での逢瀬ではく製たちを観る場面があるのですが、あれは”時よ止まれ”という男の願いそのものだったように思います。
現在(WWIII後)と過去(大戦前)を行き来する様は夢と現の二重性という意味で、少しネットのオンライン/オフラインを2019年現在では想ってしまいます。
一方、一見人情味が薄い第一印象だった未来人が、最後に男に手を差し伸べる様、そしてそれを男は拒否してしまうという場面は、62年からすると60年近く未来人な私の目には”冷笑的といわれるネットの民も、心根の所で温かいものも持っているけれども、コミュニケーションの下手さからそれが伝わらない”という事象にもみえて。とは言えこのエピソードは、この作品を単なる過去への郷愁だけでなく、未来においても開いた部分を残したものとなっているように想いました。
弱い、持たざる者、小さき市民の象徴としての男が、大きな支配者、技術、社会構造に翻弄される。そこで拠り所に成るのは恋であり愛である。その二人の関係性が、男にとっての希望だった。
今、また世界情勢がきな臭くなっているときにこれをみるのは、特に一小市民としてこのSFをみるのは、様々な思いを去来させます。大きな構造の前では、恋愛だけがリアルになってしまう、そんな世界。それは一種、切実な表現にも感じて。
けれども先の香港のデモもそうですが、小さき民たちが民主的な行動、POWER TO THE PEOPLEを示すこともできます。同じくフランスを舞台とした名作に『レ・ミゼラブル』がありました。ディストピアの中で、私的な歓びと社会的な意志、その二つの世界を我々は過ごすことが、今という時代に課せられているのだろう、ちょっと時事的にはなりますが、そんな感想を持ちました。