歌舞伎町ホストクラブ『愛本店』PVド派手な内装で名を轟かせた歌舞伎町のホストクラブ『愛本店』が建物の老朽化から閉店することになり、今月の土日等では特別にカフェ営業がされて老若男女に解放されていたのでした。
私自身もこの空間、味わってみたいな~と悩みに悩んだのですが、結構な頻度で米寿の祖母に会ったりもしているので、夜の街クラスターの中心地と言われる歌舞伎町に行くのは泣く泣く諦め、Twitter等で行かれた方たちがULされている写真をしょんぼり眺めていたのでした。
”こういう空間、VR体験とかでアーカイヴ残すことは出来ないのかな”などとは思ったり。今だとマインクラフト化とかも? ただ、私自身が加齢をする程に、現実に物体として存在することに大きな魅力をどんどん感じるようには成っていて。昔は”江戸城とか実際に創らんでも皇居でスマホかざしたらARで現れるとかで全然いいじゃないか”とか思っていたんですけどね。まぁとはいえそうした形で記憶を残すのも一つ手だよなとは今も想います。そこで人が物理的に実際に活動していたその”生”とは体験が全く異なるけれども。
千葉雅也氏が「仮想は下層の遊び、上流階級は現実で遊ぶ」のようなことを以前呟いていて。私自身、昔は”現実のみしか楽しめないというのは想像力の欠乏であり、例えば演劇などはその想像の翼で創造されるものだ”なんて思っていて、今もそうだとは思いますが、この考えを突き詰めすぎると阿Q正伝の精神勝利のような話になってしまいますからね。仮想にしても世界はどんどんハイレゾ化が進んでいてギッチリマッシヴに詳細に構成されていて。そんな中では、寧ろ色褪せた写真のような、記憶の中で崩壊していく記録の方が寧ろ想像の余地を残してくれるのかもしれませんね。
その”伝説化”の記憶は、寧ろ「しなかったこと」で強烈に残るのかもしれません。世の中「行ったこと」だけが存在するように見えますが、例えば「青春らしい青春」なんかもそうですが、実際にそれを行った人間はきれいさっぱり次へ進んで、それが出来なかった人間はいつまでも生霊のようにその想いを抱き続ける。世の中では「行った人」が賞賛されますが、寧ろ「しなかった人」のお陰で伝承というものは保持されているのでは、とも。そういった意味では私の心には愛本店の”記憶”は残り続けるのかもしれません。ホストクラブへの想いなど、とっとと風化してもらいたいですがw