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トライアローグ展 横浜美術館・愛知県美術館・富山県美術館による20世紀の美術の軌跡

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トライアローグ展をみてきました。
本展覧会は横浜美術館、愛知県美術館、富山県美術館の共催で、3館の選りすぐりの名品を楽しめるという企画。

例えば展覧会冒頭に出てくるピカソの作品でも三館それぞれのコレクションがみれて。中でも青の時代の《青い肩かけの女》が観たくて訪問したのでした。この《青い肩かけの女》、生でみると“案外悲嘆にくれている感はないな”と想ったのですが、幾度かみるうちに“いや、これは慢性的な抑うつ状態による表情の無化ではないか”と。ストレスが日常をブルーに染めてみせている様がその表情の筆致にありました。またイスとカラダが一体となったキュビズムの≪座る女≫も良かった。

全体を貫くテーマとしては20世紀における抽象画の確立でしょう。フランシス・ピカビア≪巻線≫に始まり、フェルナン・レジェ≪緑の背景のあるコンポジション(葉のあるコンポジション)≫のアメーバのような緑、黄色い車輪のレジェ≪コンポジション≫、そして丸の内にあった立体パネルのような≪インク壷のあるコンポジション≫の面白さ。

抽象画に関してはヴァシリィ・カンディンスキー《網の中の赤》はその頂点の一つでしょう。

そこからラフな躍動感でパステルなパウル・クレーの≪攻撃の物質、精神と象徴≫、青いチェックの光に浮かぶ動画的なパウル・クレー≪蛾の踊り≫、そして古代壁画のような≪回心した女の堕落≫。

この第一章1900sからの30年間では他にもフォービズムを終えてアンリ・マティスが画いた≪待つ≫や淡い記憶の色味のラウル・デュフィ≪サン=タドレスの浜辺≫、古代の野性的なアメデオ・モディリアーニ≪カリアティード≫、ベラルーシの温かい髭のおじさんを画いたマルク・シャガール≪山羊を抱く男≫、悲しみがじわるジョルジュ・ルオー≪受難≫、イラスト的でありながら情念がアブストラクトに滲むジョージ・グロッス≪エドガー・アラン・ポーに捧ぐ≫、死の匂いが光の中にあるオットー・ディックス≪仔牛の頭部のある静物≫なども。

そしてこの30年間には、まるで「キュビズム的彫刻」とでもいうような立体作品の流れもあって。

人工衛星のようなウラジーミル・タトリン≪コーナー・反レリーフ≫、三次元的に立体が直交するアレクサンドル・ロトチェンコ≪非具象彫刻≫とナウム・ガボ≪空間の構造≫。クルト。シュヴィッタース≪メルツ絵画1c、二重絵画≫のコラージュを挟みつつ、ハンス(ジャン)・アルプ≪鳥の骨格≫の金のプリミティヴな立体の面白さを感じて次のセクションへ。

第二部・1930年代からの30年間はシュルレアリズムやポーリング、オールオーバーが生まれてきます。

マックス・エルンスト≪ポーランドの騎士≫のファンタジックな白馬。マン・レイ≪ガラスの涙≫の印象的な写真。写真以外にもマン・レイはトゲのある≪贈物≫という作品も。またケサランパサランのようなメレット・オッペンハイム≪りす≫は2つが揃い踏みでした。

このセクションで一番印象的な作品だったのがイヴ・タンギー≪風のアルファベット≫。のシュールレアリズムな別惑星的場面。この絵は1944年の作品。SF的ヴィジュアルとして、映画よりも絵画がSF表現の先端を進んでいた時代だったのかもなと。

またサルバドール・ダリ≪アメリカのクリスマスのアレゴリー≫の卵から飛行機が出てくる、バターのように美味しそうな絵画。神話的なものも自在にシュルレアリズムな表現としてあったのだなぁ。

ルネ・マグリット≪真実の井戸≫は『Upgrade & Afterlife』な趣。そしてマグリット≪王様の美術館≫は影男。後のサブカルチャーへの想像力の影響も感ぜられて。

バルテュス≪白馬の上の女性曲芸師≫の淫靡なロリータ、アフリカ的、ゲルニカ的なヴィフレド・ラム≪アダムとイヴ≫、立体性を帯びるロベルト・マッタ≪コンポジション≫、ゲーム盤のような、活動写真のようなジョセフ・コーネル≪オブジェクトームッシュ・フォットの孫息子による芝居ホテル、毎週日曜日午後≫とグラスにガラス玉の入った気品かつポップなジョセフ・コーネル≪ソープ・バブル・セット:コペルニクスの体系≫、子宮内のような、あるいはアーク・ノヴァのようなジョージア・オキーフ≪抽象 No.6≫。

立体的な線浮遊なアレクサンダー・カルダー≪片膝ついて≫も面白かった。

そしてジャクソン・ポロック≪無題≫の跳ねまわり炸裂するエナジーの黒いポーリングが黄色い画面に鮮やかに爆発するあふるる力!あんがいピンクとかが効いてるんだよなぁ!モーリス・ルイス≪ダレット・シン≫の巨大な立体物を絵画で顕す感じと共に、ここら辺のオールオーヴァーであったり、抽象絵画表現は、ストーン・ローゼスだけでなくその後のアンビエントやドローン的な音楽表現のスピリットも先取りしていた感があります。

慶雲館のように赤が編まれるアド・ラインハート≪No.114≫、CG空間的な映像感覚を先取りしていたサム・フランシス≪消失に向かう地点の青≫も美しかった。また赤いガラスと穴が練り込まれたルーチョ・フォンタナ≪空間概念≫とナイフで切られた黒い≪空間概念≫はさらなるアートの姿が予期されて。

そして最後の第三章は1960からの現代美術。ここに来ると、絵画と立体が境があいまいになっていって。

イヴ・クライン≪肖像レリーフ アルマン≫はクラインブルーで塗られた彫像がキャンバスから懸仏のように飛び出て。アルマン≪バイオリンの怒り≫は樹脂にヴァイオリンが沈められて。

フランシス・ベーコン≪座像≫≪横たわる人物≫のひしゃげた顔、黒い家具が積まれたルイーズ・ニーヴェルソン≪漂う天界≫、明るく輝く色合いのヨゼフ・アルバース≪正方形へのオマージュ≫、パステルな風紋のようなブリジット・ライリー≪オルフェウスの歌 I≫も綺麗でした。

ジャスパー・ジョーンズ≪標的≫は黒いものも。そしてロバート・ラウシェンバーグ≪コース≫のコンポジション。ミケランジェロ・ピストレット≪エトルリア人≫はブロンズの像が鏡に向き合って。ジョージ・シーガル≪ロバート&エセル・スカルの肖像≫のサングラスなソファへの座像。幽体なクリスチャン・ボルタンスキー≪シャス高校の祭壇≫も、極めて現代的な立体作品だなと。

リチャード・ハミルトン≪リリース≫≪スウィンジング・ロンドン III≫にはミック・ジャガーが画かれ、そして天才的な色遣いのアンディ・ウォーホル≪マリリン≫と共に数々のスターの写真も。ウォーホルは≪レディース・アンド・ジェントルメン≫も当時のNYの迸るエネルギーが感じられて。

ポップ・アートでは≪泣く女≫リスペクトなロイ・リキテンスタイン≪ピカソのある静物(版画集『ピカソへのオマージュ』より)≫とモネリスペクトで鏡を使ったロイ・リキテンスタイン≪スイレンーピンクの花≫。

そして20世紀絵画の抽象表現の旅を追ってきた展覧会の終わりにあるゲルハルト・リヒター≪オランジェリー≫の巨大なエネルギーと遂に文字だけの表現に抽象化されたジョゼフ・コスース≪哲学者の誤り #2 よきものとやましくない良心≫。

思うに、20世紀の最後の30-40年間は、映画などの他ジャンルの芸術に追われ、追いつかれたりする中で如何に「新しい型」を生み出すかの生みの苦しみの時期でもあるなと。マンガ的表現を取り込んだポップ・アートなんかはリヒター的な表現と結びついて、21世紀日本ではデジタル・オタク・アート的な表現へ繋がっていったように想います。

と、共に改めてカンディンスキー≪網の中の赤≫(1927)の先駆性と言うか、まるでボイジャーに乗ったディスクの画のような”信号”まで昇華された絵画表現の、一種のプリミティヴな凄味を、改めて感じた展覧会でもありました。

by wavesll | 2021-02-24 21:27 | 展覧会 | Comments(0)
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