
夏目漱石の『草枕』を読みました。
山道を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹差せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
というあまりにも有名な美文から始まるこの小説は、ある画家が「非人情な旅」をするためにある温泉宿に泊まった日々を描いたもの。
冒頭の文もその後
世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容げて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
と続いていきます。この画家の専門である西洋画(例えばミレー≪オフィーリア≫)の他、漢詩、俳句、焼き物など、様々な藝術が小説内に登場し、それが雅馴で宝璐な文体でえもいわれぬ表現の密度で描かれて。言ってみると魔法的な展開に次ぐ展開で読ませた
『やし酒飲み』とは一種対極にある高度でみっちりした表現の小説読書の魅惑がありました。
ただ、今回初めて青空文庫のスマホアプリで読破したのですが、表示できない漢字が多数あり、それを検索しながら読んでいて。基本的には青空文庫で問題ないのでしょうが、この玲瓏な文は語句解説付きの文庫本で読んだ方が楽しめると想います。
そんな難解でカッコイイ表現が目白押しなのを読むのも文学の愉しみの一つですが、”なんか難しそうで嫌だな”という方に声を大にして言いたいのは、これは相当ラノベ的な小説でもあるという事。
何しろ作中のヒロインである那美さんは、とんでもないプッツン女。その田舎の他の人々からは「気違」といわれる始末。常識では考えられない行動をして主人公をたじろがせたり驚かせたり魅惑したり。
こうした不思議ちゃんキャラって、一種典型的な青少年の憧れで。歌手一つとっても戸川純、椎名林檎、やくしまるえつこ、今はあのちゃんかな?と必ず時代時代に不思議ちゃんアイコンがいたものです。
おそらくそれは男子って一種”いかに狂うか競争”をしていて、現実的な頼りがいとかを求める女子とはまぁ若い頃はソリが合わないというか。不思議ちゃんというのは”俺達と同じように狂ってくれる女の子”であり、一つ青少年の夢の存在なのでしょう。
そんな不思議ちゃんキャラに翻弄されそうになりながらも、もう齢30であくまで画工としてのアティチュードな主人公の長いモノローグなんかは”これ、涼宮ハルヒのキョンじゃないか”なんて想ったり。さらには那美さんとのラッキースケベもあって、読みながら”おいおいこれ漱石が画いたラノベなんじゃねぇの?”と想ったものでした。
主人公は”今は人情の世界(いわゆる所帯じみた一般社会)から離れているから、一つの演劇として那美さんの行動を楽しめるけれども、これが普通の生活での観点ならば地獄だったろうな”みたいなことを言います。那美さんのような不思議ちゃんは一種の芸術と言うか、演劇舞台であると。それを普通の生活でやってしまっているから周りから気違い呼ばわりされるのだと。
これはスゴイ分かったことが有って。今だとSNSなんかで世俗から離れたキャラクターを呟いて綴っている方なんかも居ますが、その昔mixiで強烈なキャラクターになりきって、いわばSNS空間を「板の上」として投稿していた時にまわりから総スカンに成り挙句の果てに「狂ったか?」と言われたことが有って(苦笑)日常で演劇をするのは気狂いとみられる恐れはありますね。
不思議ちゃんも、やっぱり素の人間であってプッツンをその人の普段や本質とみていいのはまぁ生徒の時分までなのかもしれません。年を重ねてくると、”頑張ってネタやってんだなぁ”という親心的な視線を持つようになったりしますね。不思議キャラの奥に垣間見える普通な本音・表情に真をみたり。とはいえ、青少年の時分はこういう不思議な謎女に手玉に取られたい、なんて想うこともあったかもしれません。
藝術と言うのは、所帯染みたところから如何に遊離するか、というところかもしれません。『草枕』は夏目漱石自身の芸術への審美眼と文芸作家として芸術家としての所信表明と共に、どこかで”実学でない”というところへのコンプレックスも入っているかもしれない、とも想いました。最後は時代の中で生き死に、浮沈がぐぐっと描かれ、そこからの美に没頭する主人公もまたやっぱり尋常でないところも描かれて。丁度春の日々の内で非常に読み物として美しい作品でした。