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安部公房『砂の女』:不意に陥る神話的象徴状況での性的衝動

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安倍公房『砂の女』は前々から読んでみたくて。あまりにも知られたこの小説、この感想文では、終局部は書かずともかなりの程度内容のネタバレに踏み込んだものになると想います。

冒頭である男が失踪し、7か月後にも見つからず失踪扱いから死亡扱いになったというエピソードが述べられtます。その男は妻に昆虫採集に行くと告げていて、どうも男女のもつれでもなさそうだ、と。

次の場面では男はある県の駅からバスを乗り継いで、海岸沿いの砂丘の部落にやってきていると。目的は昆虫採集。それも蝶などの派手なものではなく、新種発見によって名を残すことに狙いを定めて、砂丘に棲むニワハンミョウのような虫を狙っている。

ところでこの砂丘の部落は特殊な景観になっていて、砂に穴が開いていて、家はその穴の中に立っている。なかなか構造として珍しい形だと。そういっていると日も暮れて、その辺にいた老人の提案である家に泊まることになり、砂の穴に縄梯子で降りて、一人の30前後の女と過ごすことになる。それにしてもこの家にはそこら中に砂が入ってくる。何しろ砂を毎日掻き出さないと、この部落は十日もせずに埋まってしまうようだ。

あくる朝、帰ろうとすると縄梯子がない。”!?”、部落の人間によってこの砂の穴の家に閉じ込められてしまった。つまりこの女と砂を掻き出す人足として、奴隷的状況に押し込められてしまったのだ。

ここから男が何としても外へ出ようとする闘いの日々が始まる、というのがあらすじ。

流動する砂を日々で掻き出さないと埋もれてしまう、という状況。これは一種の神話性と言うか、何かを象徴しているのでしょう。そしてこれが何を象徴しているかというのがこの読書の肝なのだと想います。

この家に住んでいる女はもうすっかりこの生活に適応してしまって、後はラジオと鏡があればそれでいいという境地。家の中では砂が服に入るのを避ける為か裸で過ごしたり、誘惑しているのか?一方男は”ここで犯してしまったら相手の思うつぼだ”と自制を効かせながら、何としても出し抜いてこの砂の穴から出ようとします。

砂の中で砂を掻き出す生活を続けるというのは、単純に考えれば労働の象徴といえるでしょう。労働に伴う自由や人間性の消失とも。シシューポスに通じるものがあるかもしれません。『草枕』の主人公に言わせればなんの芸術的心あいがない状態。けれど、世間の多くの人間はそうして人に存在を求められることを生きる意義として必要としている。また女もいる。

翻って自由があった頃の生活がそんな素晴らしかったとも言えなかった。
男の回想で画かれるこの地に来る前の平常の生活は、灰色と言うか、小学校の教諭としての、やりがいもない仲間とのつまらない生活。教え子たちは砂の様に流動する一方で、自分だけ学校に取り残されている。そして妻との間も昔男が淋病を患ったことからゴム付の夫婦生活で、今は治っているけれども精神的性病の恐怖と言うか、隙間風が吹いている。昆虫採集と言う趣味にのめり込むのが一種人生における達成になっている。

一方でこの砂の穴の中から脱出しようという日々は、肉体と精神を酷使するが、一応は物資は貧弱だが届けられ、女はかいがいしい。一種の生命の発奮に満ちた状況だという。そして生き死にに瀕していると、性的な根源からの欲求が湧いてくる。女も、それを期待している。ついに欲望のままにまぐわってしまう。噎せかえるエロス。この部分は読みながらこちらも極限状況にいるような性的な心持になりました。

仕事という面で自己実現ができなかったというか、一種の敗北をした日々と、この極限状況の興奮状態。けれども、この砂の穴の生活は自由がない、そしてそれに伴う人間としての尊厳が剝奪されている、何としても出たい。砂の穴から出たい。荷物を送りに来た部落の人間に、一瞬でいいから外へ出してくれ、と言うと、衆人環視の中で女とまぐわえば出してやると言われ、男は女を無理やり犯そうとしています。その時、あれだけ従順だった女が「あんた、気が違ったんじゃないの!?」と反旗を翻し、下腹部を殴って男はずり落ちます。

つまり、男の性的欲望はあくまで極限的状況の快楽的な性的欲望に過ぎなかったのだけれども、女の性的欲望は情愛というか、人情に基づいた性的繋がりを男に求めていたのだろうと。男はそこを読み間違っていたというか、今まで女もこの極限状況で狂った状態にあると想っていたけれども、今までは両者の合意があったけれども、合意のない性を見世物にするようなものはそれこそ女の尊厳を剥奪する性的犯罪であったと。

この肉体的・精神的な極限状況の中で匂いが立ち込める男女の性的衝動が、読んでいて一番刺さった部分で。この先ポリコレが進んでこうしたものが焚書扱いになったとしたら恐ろしい。生の根源である性を描く表現の自由は守りたいものです。

さて、この男は結局この砂の穴、この部落の人間たちから逃げられたのか?是非その結末はご自身で確かめられたし。男の砂の穴に落ちる前の、確かに普段は灰色だけれども、新種の昆虫採集という、一つ歴史的な、それこそラジオでも報じられるかもしれない業績を我が手で生み出してやろうとする一種の学術的・藝の野心の自由への渇望は一体どんな様相を迎えるのか。

通信技術や監視カメラがなかった時代ならではかもしれませんが、日常からすぽっと神話的な象徴状況に陥るというのが何とも興味深い、今読んだこと自体も象徴的でもあった、非常に刺激を受ける読書でした。

by wavesll | 2021-04-08 05:59 | 書評 | Comments(0)
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