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鴨長明『方丈記』 世を捨てきれない文化人が一人ごちるBlog/Tweet随筆

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「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。」

と始まる中世日本随筆文学のクラシック、鴨長明『方丈記』を光文社文庫で読みました。蜂飼耳氏による現代語訳と、蜂飼耳氏による鴨長明に関するエッセイ、そして『方丈記』原文に、鴨長明の和歌や『発心集』などが納められた一冊。

序文があまりにも有名な『方丈記』ですが、原典は文庫本で僅か23頁の文量、現代語訳も語句解説も込みで42頁と、実はまことに短い随筆です。

そして序文の無常を悟りきった名文から浮かぶ世に見切りをつけた隠遁者というイメージに反して、全文を読むと鴨長明の俗世への諦めきれない無念と言うか、悟ろうとしても悟りきれない人間っぽさが滲み出ていて、そこが非常に味わい深くて。

鴨長明は「短き運を悟りぬ」と自分の運のなさを嘆いています。『方丈記』執筆の数か月前に友人の飛鳥井雅経の計らいで源実朝に会い、飛鳥井は長明を実朝の和歌の教育者に推薦しようとしましたが、既に歌の師として藤原定家がいたということがあったばかりだったのでした。わざわざ鎌倉まで行ったのに。

そもそも長明が隠遁生活を始めたのは父が禰宜でもあった下鴨神社摂社の河合神社の禰宜に親戚の横やりでなれなかったこと。それでもう嫌になって大原に庵を立てて隠遁し、後に日野に移動式の庵を立ててしまいます。『方丈記』文中でも結構その庵の内部とかをことこまかに描写していて。

そうなのです、長明は「栖(すみか)」に物凄くこだわる男だったのです。冒頭の序文は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし。」と続き、そこから京の街を襲った大火事、竜巻、福原への遷都、飢饉、地震が語られ、その度に公家や役人などの豪邸が灰塵になっていく無常が語られます。

幾ら豪邸を立てても不意に襲う天災で無為になってしまう恐怖がある、逆にしょぼい社会的立場でイケイケな奴らのそばに住んだらコンプレックスで心から笑えない、貧乏であったら富裕をみたら”嗤われているのでは?妻子は金持ちを羨ましがっているのでは?”と疑心暗鬼で眠れない、逆に誰とも関わらなかったら軽んじられる、常識に生きれば苦しい、常識を破ったら狂ったと思われる。

だからもう人の世で生きるのをやめて、野で隠遁生活をしよう。妻子もいないし、官職にもついてない。誰かを利用してやろうと気苦労するよりも、自分を自分の下僕にしてしまったほうが楽なものだ。庵で暮らし、野の花、虫の声、雪月を愉しむ。念仏に疲れたら休んでしまえばいい。時には琵琶を弾いてもいい、蝉丸や猿丸太夫といった古の名歌人の墓も訪ねてもいい。

隠遁生活をするのは仏道修行の為だったが、どうにも自分は草庵を愛してしまい執着がある。が、まぁいいじゃないか。阿弥陀仏と唱えるのみだ。

みたいなことを鴨長明は『方丈記』で語っているのです。都で積もうとしたキャリアプランは頓挫し、隠遁して和歌と音楽と自然に暮らしながらも、どっかしら妬みというか”ありえたかもしれない成功した人生”へのルサンチマンと言うか種火がくすぶっている感がなんとも伝わってくるんですよね。

私も「鴎庵」なんて庵を大学休学中に立ち上げて、社会人としても複雑骨折しながらまぁやっておりますが、自分自身は昔のやらかしから「もう石舟として浮かばずに潜航して世を渡って行こう」と心に決めていたり。それでいてfacebookなんてみると知り合いがシンガポールで働いている姿が出てきてイライラっとしたりwレコードと文学と美術や紀行といった趣味で愉しく暮らして行こうとしても、どっかしら昔の仲間の仕事や家庭の話題に心乱されたり。”昔は音楽のエヴァンジェリストになりたかったけど、今は俺だけでもわかってりゃそれでいい”と言いつつ音楽の話が合うと嬉しくて仕方なかったり。どうも鴨長明にシンパシーを感じてしまう自分がいました。

この『方丈記』、平安中期の鴨一族の慶滋保胤の『池亭記』にインスパイアされたそうですが、どうも誰に向けて書いたのかよく分からない。いやに詳しく庵の物件情報描いたりしているし。いわば自分自身に「この人生の選択で間違いないんだ」と言い聞かせる為?

ただこれがBlogやTweetの類だと想うと腑に落ちるというか、確かに私自身も誰に読ませるでも無くてもこうして日々Blog書いてるもんなぁと。和歌所で勤務していた長明は、或いは現代人以上に文字コミュニケーションの世界に身をどっぷり漬かっていて、リアルとネットならぬリアル現実と文筆世界という二重世界に生きていたのでは?と。

そんなメディア世界に多重に生きた先達に想いを馳せ、なんか「悟ろうとして、悟れなくても、それでいいのかもな」なんて思いにもさせてくれる人間の匂いがする随筆だったなぁと想いました。

by wavesll | 2021-04-15 21:40 | 書評 | Comments(0)
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