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ミヒャエル・エンデ『モモ』 カルチャー・ライフに関しても自分の時間を自分の手に取り戻す

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岩波少年文庫でミヒャエル・エンデ『モモ』を読みました。
不思議な少女、モモが時間を泥棒していく灰色の男たちに立ち向かっていくこの小説、あまりにグサグサ刺さりすぎて困るくらいでした。

刺さるというのは、作中で問題視されるライフスタイルがモロ私自身の生活と重なっているのです。

灰色の男たちは人間に時間を節約させて、せかせかと働かせて、消費社会化をこの上なく進めていってやろう、人間らしい時間を奪ってしまおう、と策略を実行していきます。

そこでは例えば床屋のおじさんは、前はお客とだべりながらじっくり髪を切っていたのが、ぶすっと早く仕上げるようになったり、居酒屋の店主は金にならない常連を追い出し、金払いのいい客を入れようとしたり。そんな形で大人がせかせかイライラしながら暮らす余波で、子どもたちはオモチャやお小遣いはもらえても、親子の時間を失ってしまう。

そう、高価なオモチャでは想像力が発揮できず、寧ろ木の箱一つで海賊劇をぶちあげたりするほうが「本当に子供たちにとって愉しい遊び」ということなのです。これは灰色の男たちがモモに「ビビ・ガール」という人形と次から次へと生まれるその関連グッズを押し付けようとするのとは対照的です。

『「本当の遊び」というのは消費の中になく、人と人とのコミュニケーションにおける想像・創造の中にある』という強力なメッセージは、音楽や美術で日々楽しんでる私自身の文化生活にグサグサ刺さるというか『鑑賞と言う行為がまるで下らないことだ』と言われる気がして、この物語に真理を感じるほど、どこかで反発もしなければならない辛さがありました。

灰色の男たちは時間を奪っていきます。消費社会に利すること以外を切り捨てようとさせます。この物語が画かれた70年代からほぼ半世紀たち、現在はまさに可処分時間の奪い合いと言うか、インターネット、とりわけサブスクリプションのサーヴィスにより、時間を無尽蔵に使えてしまう環境が生まれています。

私自身も、動画見放題のサブスクはそんな使っていなくても、HD録画で気になるTV番組を日々録っていると、それを消化するのに追われてしまったり。radikoタイムフリーもあるし、Spotifyもある。現代病と言うか、一種安部公房『砂の女』の砂を掻き出すような事態が文化鑑賞面で現実に起きてしまっている。

また恐ろしいことにBlogが趣味で鑑賞の記録を日々書いていると、プライヴェートの趣味の鑑賞も仕事の亜種と化してしまったりすることがあります。アクセス数やTwitterの「いいね」によって数値化されてしまってそれに少しばかりは一喜一憂する羽目に成ったり。こういう事態が起きていると時々に『自分の手に時間の支配を取り戻さないといけない』という気に、『モモ』を読む前から想っていたりしたのです。自分は(他者の話を拡散だけど)ジジのようなお調子者で、友人なんかは言葉を発するのに十分な溜めをつくり、己の時間を生きるベッポみたいだなぁと想っていたり。

『モモ』は薄々分かっていたことを突き付けられたというか、近しい人から良く言われる「鑑賞ではなくて創作をしないのかい?」みたいな誘いを想い出すというか、私自身のライフスタイルの持つ構造的問題点が語られる気がしました。

と、同時にこの『モモ』では主人公モモの持つ最大の美点は他人の話をきちんとじっくり聴くことなのです。モモと話すことで人々は自分自身の本当の姿・本当の気持ちに気づいていく。

これに関しても私自身非常に感じることですが、人間、話を聞いてもらう方が、話をされることよりも遥かに需要があり喜ばれることがあるなぁと。今ではCGMなんて言葉も古いですが、みな創作活動を活発にしていて、自分の話を聞いてもらいたがっている。音楽でも、逆にグッドリスナーこそが需要があったり。鑑賞という行為も一つの傾聴ではないのかなと想ったりもします。

ただ、毎日Blogを書くのはやはりインスタントになりがちというか。モモはあまりにも美しすぎる「時間の国」での時間の花をみにいきますが、その感動をきちんと伝えるには一年間の濾過が要りました。本来、何かへの”感想”というのも録って出しではなく、それくらいの咀嚼時間がいるのかもしれません。

「本当の時間」を過ごすには、たっぷりと時間をつかって自分が満足のいく仕事をする、あるいはインナーチャイルドを自由に開放して想像力にあふれた遊びをする。

そう考えると、私自身の暮らしはあまりにもメディアに漬かりすぎているきらいはあります。これでは外山滋比古『思考の整理学』でいうところのグライダー人間にはなれても飛行機人間にはなれない。

私自身の人生において「旅」と言うのが、普段のメディア・ストリームから離れて、自分の内側からの声を聴くための大いなる時間になってくれていたのだなぁと想います。今はなかなか旅にも出れ解としてませんが、メディア・ストリームから離れる時間を持つ、例えばBlogを数日間更新しないことを試みにやってみるのも一つ解としてあるかもしれません。

またBlogを更新する場合でも、数字から離れて質として満足のいく記事を書くことを志向するというか、日々に追われるように感じたら”あえて寝る”を選んだりしてもいいし、たっぷりと時間を使って音楽を回遊し掬った結晶というハードルをおくと充実度が高まります。Blogも仕事というか、ライフワークみたいなものだから、十分に満足のいくやりかたでやっていきたいものです。

『モモ』では人と人の愛情にあふれた生活こそがまことの生活だと言っていて。オタク的な、作品を介してのコミュニケーションをエンデならまがいものだというかもしれません。とは言え正直自分はなんというか、リアルの人間関係で”どうも俺は利用されてた気がする”と徒労感を感じることが有り、藝術を介しての会話に居心地の良さを感じたり、そうしたコミュニティが快く思ったりするのです。もしかしたらオザケンのいう処の「灰色」に侵されてしまっているのかもしれないけれど。

エンデは頑固爺と言うか、小説第一主義と言うか映画やTVなんか歯牙にもかけない感じですが、文化芸術の先端を愉しみながらも、自分の時間を自分で取り返す、そした試みは必要ですね。それがカシオペイア(亀が大いなるキャラクターになるのはJOJO第五部にも似ている)のように導いてくれるのはないか、という心持でいます。

by wavesll | 2021-04-21 22:55 | 書評 | Comments(0)
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