
さて、相変わらず私は出来得る限り、国民の生命を軽視して開催されている利権に穢れた五輪は報道も含めてみないようにしているのですが、”折角この機会だし、真の「五輪」である彼の『五輪書』でも読むか。現代語訳もついてる奴が良いだろう”とちくま学芸文庫の佐藤正英氏による校注・訳の『五輪書』を読みました。武蔵はその名を「玄信(はるのぶ)」というのですね。
宮本武蔵が地水火風空の五巻に渡って書いた兵法書。
宮本武蔵と言うと掛け軸も書いたりとか、武芸だけにとどまらず精神性も高い伝説的イメージがあり、この『五輪書』も何か人生訓のようなものが読み取れたりするのかなとも思ったのですが、本書のほとんどは「いかにして勝つか」の兵法が画かれていて。勝つことが第一。それゆえの「武士道とは死ぬこととみつけたり」の明確な否定はメッセージ性がありました。
その内容は、何しろ訳文で書きますが「身体の姿態、顔は俯かず、仰がず、傾けず、歪ませず、視線を乱さず~少し頤を出す」とか「太刀の持ち方は、親指と人差指を浮かせる気持ちで持ち、中指は締めず緩めず、薬指と小指を締める心で持つ」など基本的な姿勢に関してはここまで子細に画いています。”あ、まさに兵法のマニュアルなのだな”と。
先ほどから”兵法”と書いているのはしかし、ただ剣術のみに留まるのではなく、勝負に於いていかに相手を斬り殺し勝利を得るかについての精神的な姿勢も特に「火の巻」に描かれているからです。
まず勝つためにすべてを利用する。陽を背に戦うのは勿論、室内の戦いでも相手が不利になる場所へ追い込んでいく。大群同士の戦いでも相手の軍勢の好不調の波を見計らって、崩れたところを叩く。さらに言えば相手が一番強い箇所をこそまず叩き潰す、勝つときは圧倒的に勝ち抜き反撃の気力もめためたに潰す。
そして勝負は精神戦。相手をむかつかせ、動揺させ、相手の心を読んで自在に操作する。同じ戦法は繰り返さず、常に先手先手でうろめかす。こちらは意(集中してみること)と心(広く構えてみること)を使って常に新鮮な心を保ちポーカーフェイスに戦うという次第。
こんな術中を張り巡らす武蔵ですが、一方で剣術での戦いの、二天一流の構えなどに関してはストロングスタイルの極みと言うか、基本の構えも上段、中段、下段と左脇、右脇の構えの五種であり、足運びも奇をてらわず、跳びもせずに力強く踏みしめて斬ることに集中します。寧ろ武蔵は他流派で、特殊な構えを幾つも習熟させたり、抜き足や足運びに拘るものを「みせびらかそうとするのは商売だ」と批判し、寧ろ構えが合って構えがない有構無構をよしとし、その代わり斬る時はいついかなる時も相手を斬り殺すことを心に意識することを解いています。これは武蔵自身が本当に豪の者であった故に出来た究極のストロングスタイルかもしれませんが、ゴール(相手を斬り殺し勝つこと)を常に意識し、その為にすべての行動や方策を行うという姿勢には感嘆させられました。
勝つためにすべてを行う。相手よりも自分を脅威に想わせるために少しでも身の丈を大きくみせるよう振る舞ったり、とにかく相手の精神をゆさぶり自分に有利に「先」を取り続ける。勝負の世界で生き抜いてきた男がその生涯の終わり近くに記した極意は、『六韜』や『孫子』といった過去の名著の引用ではなく、自分の体験、自分の言葉で編み出された、愚直に、飾らず、誰にも恃まず、そして冷徹に目標達成のためにすべてを懸ける「兵法」でした。