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ヴァージニア・ウルフ『波』森山恵訳 6人の男女の”仲間”の幼年期か老いまでの生を玲瓏な筆致で画く傑作

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ヴァージニア・ウルフの『波』を新訳で読みました。

バーナード、ネヴィル、ルイ、スーザン、ジニー、ロウダという男女6人の、幼年から初老過ぎまでの人生が綴られた物語。

この小説は特殊な描かれ方をしていて、いわゆる「地の文」がありません。インタールードとして挟まれる日が昇り落ちていく風景の様が画かれる部分を除いて、ほぼすべてが上の6人の独白・あるいは会話で展開されます。

その会話にしても、非常に抽象度が高く、ずば抜けて美しい概念が綴られているのだけれども、ウルフ自身がプレイポエム(劇詩)というように、まるで小劇団の舞台演劇の台詞のように高密度で心象風景や記憶の明滅が語られて非常に難解です。正直最初のパート、6人が通った幼稚園での情景の時などは”これは話が進まないし延々と煌めく文章の藝が続くし、とんでもない本に当たっちゃったぞ”と想ったのですが、本書の序盤の終わりの辺り、つまり大学生活の辺りから物語が進みだして、いつのまにかこのヴァージニア・ウルフがつくりだした精神の宝玉に魅了されていました。

(以下、ネタバレを含みます。描写自体が本質な書物だと思いますが、ネタバレを一切無しで読みたいという方はここで引き返しください)

幼稚園からの付き合いの6人は、お互いの間に恋愛・嫉妬・羨望・憎しみ・愛・友情などが行き来し、強いつながりを持っています。さらに、台詞は一切ないけれど、パーシヴァルという神話的な名前を持ったキャラがまるで『桐島、部活止めるってよ』の桐島のごとく、6人の間に強烈な感情を残します。

6人全員が主役と言える本ですが、中でもバーナードというメインキャラクターには非常にシンパシーを感じました。
バーナードは口が達者なキャラ。子どもの頃から雄弁に「フレーズ」を発し、集め、仲間を物語り、いつか文芸作品か何かを書く夢を持っているキャラ。
このバーナードが、学生時代はお調子者で集団の中でとびきり輝いていたのが、社会に出て挫折をし、”自分は他人を描写するばかりで、オリジナルとなる確固たる「セルフ」がない”と悩み、そして老年期にはフレーズを捨てるほどの諦念を味わうことになります。
なんかホント、読んでいて私の姿に重なるのですよね、バーナードは。フレーズを集めるばかりで作品を創り上げないところとか。

バーナードが結婚した時に「もう後戻りできない決定が下されてしまった」と衝撃を受けたスーザンはその後農場主と結婚し、母として自然の中でその人生をつくりあげます。そんなスーザンも赤ちゃんが出来た最初は忙殺されてメランコリックになりますが、その内人生に盤石たる充実を味わうようになる。

そのスーザンが幼稚園時代に、ジニーがルイにキスする処をみてショックを受けるのですが、そのジニーは女としての恋愛・性愛的な奔放な人生を送るけれどもその内自分の老いと直面することになる。

ルイやネヴィルは仕事や研究と言った面で着実にキャリアを築き、またバーナードから言わせると「本物」といえる美意識を以ている人物。一方でルイが作中で経済的に一番成功しますが、本当は彼はナイルなどに冒険に行きたかったというジュブナイルの頃の想いを忸怩たる様子で抱き続けます。ネヴィルは作品の終盤でついに運命の人を見出します。

ロウダは自分の容姿には自信がなく、その代わりに深淵たる精神性を湛えている人物、彼女が作中で一番尖っているかもしれません。世慣れた仲間への愛憎を持っています。

6人それぞれで、人生のフェーズフェーズでの浮き沈みが『波』では画かれるのです。

こんな結びつきが強い関係性、なかなかないよな、と想いながらも、私自身の人生でも、学生の頃は毎日一緒にいた仲間と卒業後は違う道へ別れて行ったり、あるいは幼馴染から「結婚しました」という知らせが届いたり、人の生というのは誰しもいつまでも一緒にはいられず、たがっていくもので。

特に私の場合は一度人間関係を破壊し尽くしてしまった人間なので、読んでいてこの仲間内の愛憎関係は沁みてくるものがありました。

バーナードは確かに観察眼があるのかもしれないけれど、一種表面的な浅さに留まるところがあって、また当人は相手のことをきちんとみているつもりでも、彼が興味が在るのは自分の言葉だけ、他人の言葉に何か興味を示さない身勝手さを感じて。

想えば私も過去の人間関係の際に、自分の噺ばかりしようとして、昔の仲間の言葉に真摯な傾聴を傾けていなかったなと、我が人生を顧みる感覚もありました。

一周読んだ後にもう一回読んだのですが、文体に慣れたこともあったのか2周目の方が遥かに読めました。特に幼年期のパートは大分理解度が上がりました。この小説は2回以上読まれるとまた違った感想になる気がします。

素晴らしい澄明な筆致で画かれる独白群。創作物の中の言葉の方が実社会で聴く言葉よりも「本物」に想えるのは矛盾も孕みますが、やはり本当に力ある言葉の藝術が展開されて、様々な私自身の過去のフラッシュバックが呼応する、得も言われぬ、誰かとこの本や人生について語り合いたくなる、そんな読書体験となりました。読みながら”あぁ、ルイはあいつっぽいな”とか”スーザンのような子もいるし、ジニーのような子、ロウダのような子もいるな”と想って。きっと貴方にとっても自分と重なるような「こころ」が記されている書となっていると想います。

by wavesll | 2021-08-28 01:04 | 書評 | Comments(0)
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