strauss: capriccio ;runnicles,sfo;te kanawa,hagegard,kuebler,keenlyside,troyanos
土日歌劇、NHKBSPプレミアムシアターで「カプリッチョ」をみました。
これはR.シュトラウス最後のオペラで、ロココ時代のフランスで、伯爵夫人であり寡婦のマドレーヌの誕生日パーティのために来た作曲家フラマンと詩人オリヴィエが、両方マドレーヌに恋に落ち、同時に「音楽が重要かそれとも言葉が重要か」という論争を繰り広げ、ついには伯爵夫人に両方が愛の告白をし、どちらを選ぶのかを迫る、という芸術論なメタ・オペラ。
音楽的には舞台監督のラ・ロッシュが演出案を語り、フラマンとオリヴィエ双方が「音楽も言葉も軽視している!」と怒り狂い、女性陣が心配の声を上げる一幕が、ソプラノからバスまでのヴォーカルが折り重なって、まるで森の木々で鳥たちの囀りが巨大なオーケストラのように響いた瞬間が非常に良かったです。
さて、マドレーヌはどんな結論を出すのか。その答えは観てのお楽しみですが、個人的にも音楽においてサウンドと歌詞はどちらが重要なのかと言うのは一度は考えたことのあるテーマでした。
音楽を聴き始めた時はどうしても「意味」や「思想」に拘ってしまって歌詞で歌を聴いていましたが、洋楽とかインストを聴くようになるとサウンドこそが音楽芸術だと思うようになり、そこからさらに進んでブラジル音楽の詩世界に魅了されたり、あるいはフィールドレコーディングにおける”意味性”などを通った先で、音楽と言葉は相乗効果をあげることができ、或いはメロディやリズムはその言葉の真の姿を解放し、同時に詩が音楽を生み出すこともあるなぁと今は想う処です。これからも音と言葉には自由闊達に愉しんでいきたいです。