
湯冷めしがちであった私は温泉というものがそんなに好きでもなかったのですが、
去年、別府で温泉に目覚めて。以来、
銀山温泉に行ったり、TVの温泉番組を好んでみるようになったりして。
西表島の日本最南端の湯では温泉むすめに遭遇などもしました。
そんな中でひょいと”温泉の噺を読んでみても愉しいかも知れない”と手に取ったのが志賀直哉の『城の崎にて』。読み始めて初めて知ったのですが、これは十頁ほどの短編で、『小僧の神様』等の第二期志賀直哉の作品集として纏められた一冊でした。
『城の崎にて』は後に取っておいて、先に他の短編を読んだのですが、『小僧の神様』のようなジュブナイルと小粋さとエモーショナルさのある作品よりも全体としては痴情、特に夫の浮気などの道ならぬ情事が描かれているものが多くて。これは志賀自身の関心ごとというか性向に起因するものかなとか編者解説を読んで想いました。
そして『城の崎にて』。”これも温泉地のことだし、艶っぽい噺だろうか?”などと読み始めると冒頭から”自分”は山手線に撥ねられて、その養生に城崎温泉へ湯治へ行くという話で。
偶然にも生を得た”自分”は城崎温泉にて蜂や鼠などの小さき生き物たちの様をみて死を想います。死に親しくなった、と想いながらも、いざ死に瀕したらきっと狼狽し必死に死を避けるだろう、とか。偶然に生きた自分もいれば、意図せず偶然に死が訪れたものもいる、とか。それが志賀自身の澄明な視線によって城の崎の風景の中から見出され、思索が清澄な筆によって画きあらわされるのです。
一篇のキネマをみるような、落ち着いた、深みの淵に立つ小説。思いもかけない内容だったのですが、とても感慨深い読書体験となりました。