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舌を出すくらいで丁度いい

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共通テストの東大会場で3人を刺傷した犯人が17歳の受験に懊悩する少年だったというニュースを聴いて。

最近、日本が「自殺的な社会」から「他殺的な社会」へ変貌しつつあると感じます。幻想でもあった「一億総中流」が残骸となり、一度でもレールから落ちたらもう人生の落伍者みたいな言論があふれ、そして強者がますます富み弱者は奪われていく、そんな中で「自己責任」と言われたときに、もう社会に対しての義理も共感性も持つことは不可能で、自分を嘗め腐ったクソ共にテロルを仕掛けるのは、なんとなくよくある話になってきてしまいました。

私自身の話をすると、大学受験まではまぁまぁ成功の部類でやれてはいたかもしれませんが、大学で部活みたいなサークル活動と勉学を両立出来ず鬱になり休学、そして最初に入った会社でも鬱になり、その後も20代はなんともどん底をのたうち回るディケイドでした。

まさに「勉強だけ出来ても仕事で使えない豆腐メンタルでは価値がない」を地で行って。
また女の子にも全くモテなくて(苦笑)。今思えば、面白い人間であろうとプライドをダンピングしすぎた結果、全く尊重も何もされない男になっていたのだなぁと。

ルサンチマンのどん底からみれば”あいつら何であんなに「自分はきっちりしてござい」と偉そうなんだ”と「普通の連中の傲慢さ」に苦汁を嘗めさせられましたが、10代、20代なんてのはみな自分の人生を生きるのに必死なだけなのですよね。餓鬼猿だから、他人に手を差し伸べる余裕など、みな無かったのだなと今なら振り返れます。

会社組織においても、あるいは男としても、自分はあまりに「人が好い」ようにあろうとしすぎていたのだろうな、と。「自分を犠牲にしていた」と言えば聞こえはいいですが、ダメ人間の座に甘えて、自己研鑽をして正道で勝負していなかった、故に舐められたのは自然、ということでしょう。

自然にやって勝つ人間たちがいる、自然にやって負ける人間たちがいる。それは世の常です。けれど、たとえ劣勢にいたって、自分の誇りまでは売り飛ばす必要はありません。寧ろ「自分を評価しない人間はクソ野郎、クソアマだ」くらいの不遜な精神を持った方が、メンタル的には強固になったり、あるいは学生時代とかまでは一種の牙というか、「強さ」がモテに繋がるのかもな、なんて想ってもそれは遥か大昔の出来事で、今は意味を成しませんが(苦笑 若者はくだらない連中には舌を出す位でいいと想います。すべての人に敬意を払う必要なんか、どこにもありません。

今ではすっかり羅刹の螺旋からは降りましたが、それは安息の地をみつけられたから。それは私にはWebでの緩い繋がりでした。さかなクンさんも言っているように、いじめだとか酷いことが起きるのは閉鎖空間に詰め込まれるから。大海へ出れば、閉塞的な社会でなく、開かれた世界には生存場所がみつかるものだと私は体感出来ました。くだらない、つまらない連中に関わって苦しんでいる子こそ、網は広く投げた方がいい。英語を学ぶのも大きな武器になるでしょう。そして修羅のレースをいくドメスティックなエスタブリッシュメントのカスどもが錬成した「レールから外れたら終わりだ」みたいなひもじい思い込みに風穴をあけるのが「先に生きる」市井の大人の役割ではないかな、なんて想う処です。

by wavesll | 2022-01-16 07:45 | 私信 | Comments(0)
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