この『凍』という作品を知ったのは何かの文学賞のニュースに関連したものだったと思いますが数年前のことで詳細は記憶になくて。ただ『凍(いて)』という言葉がそれから脳内にずっとあり、”折角読むなら厳寒の時期が好いだろう”と数年温め、本年に入って読むことができました。
研修医である”ぼく”が上司の下級医から命じられ、ヴェングという寒村に滞在する上司の弟である画家シュトラウホを観察し行った27日間の記録がそこでは認められて。
このヴェングという田舎町に篭っている腐敗臭というか陰気な空気感は、読んでいてタル・ベーラによる映画『サタンタンゴ』が補助線になってくれました。宿の女将の爛れた性関係、そして発電所建設で命の危険を冒しながら働く労務者、すべてがゆっくりと奈落に落ちていくような”篭る空気”。
そんな中で本作のメインである画家シュトラウホの弁舌は、読んでいてつらくなるほどの鬱の病症を感ぜさせて。
私自身も鬱になったことがありその症状は身をもって味わいましたが、鬱になった人というのは自分の思索の重みが脳を潰していて、汲めども汲めどもいくらでも思考がヘドロのように噴出するものです。余りにもその分量が大きく、圧壊するまでの、意味の壮烈でありながら意味の葬列ともいえるような状況になります。
逆に、私自身が朋の鬱の話し相手になったこともありますが、これはこれで底なし沼のような暗鬱たる言論に引きずり込まれる恐ろしい危険性がありました。本来、鬱状態の人には心療内科の薬と共に、資格を持ったカウンセラーにかからないと、まるで中性子惑星の重力に絡めとられるように共倒れになってしまう恐れがあるなと読んでいて”あのころの記憶・心持”を想い出さずにはいられなくなりました。画家シュトラウホの、すべて連関し深淵な意味があるようにも読めるし、その難解さ、入り組みさから読んでいてまるで頭に入ってこない重厚・暗澹たる弁は、逆に鬱というものを身近に知らない人にはその疑似体験として非常に強度をもって顕然させる書物にこの『凍』はなっていると想います。そういった意味では疫苗としても読む価値のある一冊だと感じました。
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