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オーソン・ウェルズ『市民ケーン』人の愛し方を知らない男の栄光と虚実

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『市民ケーン』1987年リバイバル日本版劇場予告編


『市民ケーン』を観ました。
最早歴史的映像といってもいい名画。けれど”教養としてみとくか”といった鑑賞ではなく、胸に迫るものが大変クるスゴ映画で。

新聞王・ラジオ王・様々な産業の大富豪、チャールズ・F・ケーンが死去する処から映画は始まります。そのニュース映画を製作しているスタッフが、ケーンが最期に残した「ばらのつぼみ」という言葉の意味を探ろうと、ケーンゆかりの人々に取材を始め、それによってケーンの人生が紐解かれていくという趣向。

傲慢で、傍若無人だったケーン。何よりも望んだのは人から愛されること。その原因は母から銀行家に預けられた幼少の体験からかも。ケーンは愛されよう愛されようと突き進んだ一方で、配偶者ですらも自分の野心と世間体のための道具のようにしか扱えず、人を愛することが出来なかった。

ふと思い出したのが、大学時代、休学から復帰して1年ぶりにサークルの合宿に参加した時に、後輩たちに手紙を書くことになり、私としては必死に精一杯絞り出した彼等への言葉だったのですが、一人の子に「自分のことしか書いてない」と言われてしまったこと。昔付き合った女性にも「全然私に興味関心がなく聞き出そうとしない」と言われたなと。私もケーン的と言うか、人に愛されることを望む一方で、人の愛し方を知らない人間なのではないかということ。

「人を愛する」ってどういうことでしょう?その一つはケーンの愛人のスーザンの言葉にもあるように、「相手の意思を尊重すること」であると想います。ケーンは確かに莫大な財力で歌手であるスーザンに劇場まで建てデビューさせましたが、彼女には才能がなく、彼女は謡いたくなかったのに歌わせ続けた。また衣食住を与えはしたけれども、山の中に在る大豪邸ザナドゥに引き篭もらせ、彼女が望むNYでの社交を許さなかった。

「相手に自分が与えたいものは惜しみなく与える」が、「自分が与えたくない/価値を認めないことは一切相手に許さない」この態度は「相手を愛する」というより最早「支配」というかDVですね。相手を全く尊重していない。

ケーンは自分の考えを世間へ大々的にスピーカーするのには大変優れた人物でしたが、「相手の話をきちんと聴く」「自分以外の人物に興味を持つ」能力は大変低かったのではと。自分が発言する能力が大変高かった分”本当に言いたいことがあるならデカい声で勝手に向こうから発言するはずだ。丁寧に質疑応答で聴きだしてもらえる、察してもらえる、なんてのは甘えだ”くらいに想っていたのかもしれません。けれど皆はケーンのように傍若無人でないから、興味関心を持たれていると感じないと自分の話を話そうとはしないんですよね。

ケーンは人々、市民社会とのコミュニケーションに失敗し、ほとほと厭になって大豪邸ザナドゥに引き篭もって彫像集めに没頭します。私自身もこの数年は世間との交流はTwitterくらいで、野邊、海邉で石舟していたいと望むようになりましたが、こういうハイデガー的な態度も危ういところがあるのかなぁとも映画を観て想った処でした。せめて、か細くもウェッブで繋がって、人々の心の小さき声を聴きとることが出来るTwitterの関係性を大富豪イーロン・マスクが傍若無人にぶち壊さないことを心より望むばかりです。

by wavesll | 2022-04-30 05:05 | 映画 | Comments(0)
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