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『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』思想性と音楽性が相乗効果を生んだ、とてつもない藝能の爆発がハーレムに起きていた。

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』思想性と音楽性が相乗効果を生んだ、とてつもない藝能の爆発がハーレムに起きていた。_c0002171_15085303.jpg
『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』予告映像


『Summer of Soul』をみました。ウッドストックと同年にハーレムのど真ん中マウント・モリス・パークで開かれたHarlem Cultural Festivalの記録映像と、出演者や裏方、そして観客の現在のインタヴューを織り交ぜた映画。

何しろ出演者が凄い!のっけからスティーヴィー・ワンダー出てくるわB.B. KING出てくるは!

観始めたときは”これインタヴュー無しの方が音楽が聴けて良かったのにな~”と想ったのですが、この映画に限っては、このフェスティヴァルの意義を理解するためにはこの演出は必須だっただろうと。当時の荒れ果てたハーレムとキング牧師やマルコムX、ケネディ兄弟などが殺された黒人運動の焔という事態に於いて、ハーレムのBLACKたちのためのフェスティヴァルが開かれる、それは音楽的だけでなく、歴史の一つでもあった、まさにカルチャーがそこで渦巻いていた現象でした。

それは今回の映画では歌の歌詞が和訳された字幕が出ることにも表れています。私は洋楽は音で聴くタイプですが、当然米国人にとって歌は日本人が日本語歌謡に触れるように意味・メッセージと共に謳われるものです。特に米国は芸能と政治が密接に絡み合っている土地ですから、社会現象としてのこのフェスを観るうえで「意味・思想」を無視しては映画は成り立ちませんでした。またそのバックヤードを伝えてくれるインタヴューたちの挿入も、この6週間の週末に繰り広げられたフェスティヴァルを2hに纏めようとしたときに、Mixを創る上でいい繋ぎとして機能して呉れました。

「ブラック・ミュージック」という言葉が日本にはありますが、これは米国では使われていないそうです。実際、このフェスティヴァルではありとあらゆる音楽が鳴らされていました。R&B、ゴスペル(The Edwin Hawkins Singersによるあの「Oh Happy Day」も!)、さらにはスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンによるサイケデリック・ソウルも!

それだけではありません、フィフス・ディメンションは当時『Hair』でかかっていたPOPを黒人グループとして歌って。当時は黒人が白人のPOPを唄うことはありませんでした。またスライのバンドにはドラマーなど白人メンバーも。さらにはモンゴ・サンタマリアなどのラテンの血も入って。まさにUnityというか、音楽を共通言語として、非常に視野の開けた音楽の祭典が繰り広げられたのでした。

時は1969年。ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルの裏ではアポロ11号による月面着陸がありました。けれどハーレムの人々は「フェスの方が大事だ」「今貧困に苦しんでいるハーレムの人々を月に行く金で救えた」と当時のTVニュースクルーに応えます。無論月面着陸は本当に素晴らしい人類の到達点ですが、あのTOKYO2020を経験した我々にとっても、政府がカネと名誉しか考えずに国民の健康や市井の文化を蔑ろにするさまへの反感は共感できるところでした。月旅行の前にそんなこと微塵も考えられないほど苦しんでいる人を救う方が先だろうと、まずお腹と心を満たしてくれる方が大事だろうと。

それでも、このフェスはNY市長を後援につけての開催でした。それは黒人たちのガス抜きであったり人気取りという意図もあったにせよ、心ある自治の一面も米国にあったことを伝えます。

当初TVで放送されるつもりで撮影がされていたにも関わらず、当時のショービズはこのフェスを無視し、今回の映画でようやく初出となりました。知らないミュージシャンも、ゴスペルの女性シンガーの凄すぎる歌唱とか、”うわぁやっぱりフルで聴きたい!サブスクのシリーズでもいいからフル版配信して呉れ!”と想ってしまいました。(と、想っていたらサントラがApple Musicとかでも聴けるんですね❇️)

思想性と音楽性が相乗効果を生んだ、とてつもない藝能の爆発がハーレムに起きていた。なんかフェスの原点をみるような想いがありました。

by wavesll | 2022-05-31 21:07 | 映画 | Comments(0)
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