
NHKスペシャル「なぜ一線を越えるのか 無差別巻き込み事件の深層」に続いて
NHKスペシャル「性暴力 ”わたし”を奪われて」を観ました。
性暴力で”以前の「わたし」"の心が壊されてしまった被害者の方が顔出しで出演されて。その人は教師だったのですが、校長に夫である同僚の解雇を脅されて、レイプ被害を受けたと。前々から少し聞いていたのですが、レイプの際に人間の神経系の働きで「凍りつき」になることがあって、そうなると抵抗ができなくなってしまうと。その結果、レイプを受け、その際の拒否の声が入ったレコーダーを提出したのに「明確な脅迫・暴行の証拠がない」と警察ではなんと取り合ってもらえなかったと。
それで精神に傷を負ってしまい、今は家の外であったり、TVに中年男性が写っているだけでもパニック状況になるような状況。”今の状況は『わたし』じゃない、本当の『わたし』、性暴行以前のはつらつと教師を天職と頑張っていた『わたし』が奪われてしまった…”と苦しむ女性。
さらにモザイクありで出演してくれた女子中学生は、同級生の男子からSNSなどで「自慰してみせてみろよ」とか、その女生徒の顔とヌード写真をコラージュした画像を送られたりして、学校に訴え男子はSNSを辞めるとなったのですが、女生徒は登校できなくなり、ましてやその男子は結局インスタを始めて、悲壮なことに卒業式の日に女生徒は自殺未遂をしてしまいます。
精神がぎりぎりの人というか、1度壊れてしまった人の寂寥は、日本社会を普通に暮らせている者には共感どころか想像することも無理なことがあるでしょう。性被害の平均年齢は15才…そうして心に傷害を負った女性も多いのだろうというか、そうした不安定性と付き合うというのが「付き合う」ということなのだなと…。
先般の福岡パルコの風俗店の無料紹介所風のインフォボックスは正直私なんかは”これ女性客が多いパルコじゃ炎上して当然だけれど、ヴィジュアル的には毒々しくて90’sバッドテイスト的で面白いな”なんて思っていたのですが、こうして性被害を受けた方が例えばこれをみて暴行をフラッシュバックしてしまったら…と想うと、それはやはりパルコの店頭に置くのは不適当であるなぁと想わされました。
土曜のNスペは男の敗北者が社会にテロリズム的に爪痕を残そうと他殺的に「拡大自殺」しようとする話、日曜のNスペは主に女性の性被害者が内向きに破壊衝動がフラッシュバックする話。どちらも心が壊れてしまっていて。逆にいえば現代日本社会は心を破壊する軋轢に満ちた構造であるということ。そして日本社会で生きられている人には「甘え」だと無視されるという構造。
短期的には個々の対症療法も必要ですが、本来はこの日本社会の心を破壊する社会構造の問題を改めないと、根本的な解決にはならないでしょう。
ただ、その際に非常に困難なのは「日本社会で『普通』に生きれている人たち」に「その『普通』は問題があって改善しなければならないんですよ」と言っても多くの場合反感を買って上手くブラッシュアップはされないということ。人間「(自分の)当たり前」を害されたときに一番イラっときますからね。実際無差別巻きこみ事件のNスペへのTwitterの感想なんかを観ても「そんな他者や社会に甘えるな、みんな辛いなか頑張っているんだ。自分で闘わないといけない。他責でなく自己責任!」という「正論」が並んで。
こうした「正論」を発するのは非常に気持ちいいものですが、結局それが犯人予備軍に響かなければ、現状通り無差別巻き込み犯罪は現実として起き続けるでしょう。放置した結果もまた自己責任と言えるかもしれませんね。
また性被害に対する男女間の意識の差に関してだと、「ツイフェミ」とかが毎回のように激昂するのは”もうこれは対話でもなんでもないな”と却って馬耳東風になりがちですし、TBSラジオの荻上チキのSessionでもよくLGBTQ+などのマイノリティの話題を特集しますが、”正直「アップデート」の話題ばかりでうんざりだ…”と番組を聴くこと自体を敬遠したり。
こうした形で私含め「日本社会のマジョリティに安住あるいは過去の価値観に固執しアップデート出来ていない人々」の心にアクセスするためには、「ナラティブ(語り口)」が重要になるのでは?と。社会的弱者や被害の当事者が感情的になるのはいたしかたないとして、ブロードキャスターが上手くそれを「理想論・正論でなく実効性を持てる、共感を引き出せる」ように「翻訳」することが重要なのかもなぁと。その意味で、この二夜のNスペは私には非常に参考になる、アップデートのきっかけになる放送でありました。