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金春流 能「関寺小町 古式」百歳の老女となった小野小町が七夕に舞う能最奥の秘曲に老いの中で生きる姿をみる

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Eテレ古典芸能への招待で録っておいた能 金春流「関寺小町」をみました。

近江の関寺で百歳(ももとせ)となった小野小町が、七夕に舞う能。いわゆる「老女物」というのは難曲で、この関寺小町は秘曲中の秘曲、金春流では明治以降6回しか上演されていないのだとか。

で、何故老女物が難しいかは舞台が始まるとすぐにわかります。シテである小野小町は舞台前半椅子に腰かけてほっとんど全く動かない!動きを激しくして舞台を盛り上げるのは考えてみると足し算で一種簡単かもしれないけれども、動かないことで舞台を持たせるというのは本当の熟達者しか成しえることができないでしょう。

そして後半、いよいよ小野小町が立ち上がり、舞うのですが、これがまた微細な、微かで緩やかなようにもあるいはタイムラプスを観ている感覚と言うか、時場がこの老女の周りだけゆがんでいるような迫力があって。バレエ漫画に『昴』というものがあって、そこに出てくる最大のライバル、プリシラが全く動かないことで観客の集中を極限まで高め、僅かな動きですら爆発的な迫力を感ぜさせていたのを想い出しました。舞というのは、本当に凄い。

前半は音楽が能のドローンのような謡が、それこそ睡魔を誘うのですが、段々と舞に見入って気が付けば音から意識が消えていて。百歳になって、若い頃のように激しくは動けない躰、それにあの美貌もそれは老いていったけれども、今でも躰の所作、身のこなし、振る舞いの美で藝をこんなにも成しえることが出来る、そして最後に杖を投げ話すのは、その先の世界へ行くこともめでたいことなのだという覚りがそこにあって。高齢者になった時に自分もこんな存在感を放てるヴィンテージかつ恒星の様な人でありたいものだ、なんて想う羅針盤になってくれた能でした。

cf



by wavesll | 2022-08-07 17:32 | 舞台 | Comments(0)
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