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cero 『e o』を聴

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2023年5月26日現在、目下「ceroの新譜」としてTL上の話題を搔っ攫っているこの盤、私がこの盤を認識したのもフォロワーさんが”ceroの新譜が来週リリースされるの楽しみだ”と呟いていたのに加え、フラゲ日にサブスク解禁スペースが開催されていて。そんなこともあって24時過ぎに私もこのceroの新譜『e o』をApple Musicで聴いた。そして、そのまま明け方までリピートして3回聴いてしまった。

こういうことは少なくなった。サブスクの弊害というか、やっぱりディスクを買っていないものはそんなに聴きこまない。ただ、この盤は聴きこみたくなる、惹き込まれる「謎」に満ちていた。

初聴き時の感想として、数年前にFdfが出たときは“次はゲーム音楽盤か?”と想って、実際そのエッセンスも『e o』の各所に散りばめられてあるのだけど、サウンドコンセプトの核は“セノーテ感”というか澄み切った水深の空間性にある気がしたというか、それはゲーム音楽というよりJPOPを深度を以て提示した気がして。

彼らのリリースやアクションには、例えばコロナ禍でいち早く有料配信ライヴを実施したり、無論D'angeloをものの見事に日本語歌モノにした『Obscure Ride』といい、初期のフィッシュマンズ的な音像といい、私の年が彼らと近いのもあり、トレンドセッター的に捉え、コンセプトを聴いてしまうところはあるのだけど、今作はエンケンの言うところの「純音楽」というかコンセプト云々というよりその時のバンドの純核というか自然に出た音がこれなのかもしれないなと想って。

前作PLMSが出たときは”ちょっと遅くないか?”と想ったものだった。2016年のライヴを観たときからceroがラテンモードに入っていたのを感じていて、実際その頃ってラテン音楽が米国で台頭してきた感があったというか、PLMSが出た2018年の時はちょっとその波が去ったあとの時機を外した感がリアルタイムで聴いてた身としてはあって。ただ逆に1,2年経った辺りで「新しさ」とか「時流」から外れたフェーズで聴いたら、なんかすっごく良くて。だから今作も時を置いて、年末辺りに聴いたらすごく肚落ちするかもなぁと想って。

とはいえ、これは凄くぎょっとする謎めいた盤だった。一度聞いただけでは捉えきれないミステリアスさがあり、それがリピート再生を繰り返させた所以だろう、と想っていたら、あれよあれよという間にTwitterのトレンドに「ceroの新譜」が入り、感想戦の狂騒が始まり今に至り、そしてその感想・考察tweetを読みながら色々な示唆を聴く内にどんどん『e o』の世界に私も入り込んでいったのであった。

リリース当日に呟かれたのは私の感想と同じように「今回はコンセプトはなくつくられたというか、参照元がみえない」という呟き。「コンセプトを設定せずにつくった」というのは『e o』特設サイトで公開された高城さんの寄稿にも記されていて、それを読んでの反応も多かった。

ただ、そんな中でどうやらTwitterの音楽玄人っぽいアカウントが「アンビエントR&B、それも米国でなく英国の」というような記述をしているのを散見して、また具体的なアーティスト名にフランクオーシャンを挙げている人もいて。

それで”あ、なんとなく『Blonde』、今聴いたらいいかも”と想って聴いてみたらズドーーンときた。こ、これは本当にこの空気感こそが『e o』の空気感じゃないか!と。まるで隠された謎の解法を探り当てたような興奮があった。

と、同時にここで白状すると『Blonde』、これまで良さが全く分かっていなかったというか2016年当時に世間で大絶賛されている中で全然ピンと来なくて、放置したまま2023年に至っていた。それが『e o』を経過した耳で聞くと感動が波濤のように押し寄せるじゃないか、なんてこった、こんな巨大な感動をみなは10年代に味わっていたのか。俺は浦島太郎じゃないか、と。

私が当時『Blonde』に取っつきずらかった理由は今聴いてもわかる。音が平板で、聴いていて雫ル感がないのだ。この盤の中盤から後半にかけてはかなり激しい展開もあるのだが、特に出だしの2,3曲の音のチープさが結構きつくて、「Thinkin bout you」みたいな美メロもないし、脱落していた。

その点を『e o』を聴くと補完できるというか、『e o』のセノーテのように澄明な深度のあるサウンドプロダクションのリッチさが、その流れで『Blonde』を聴くとオーヴァーラップして本質的な音楽の空気感を味わう聴取体験へ連れて行ってくれる。もし私の他に”『Blonde』、みんな褒めてたけどイマイチわかんねーんだよなー”という御仁がいらっしゃったら是非『e o』を聴いてからの流れで試されて欲しい。

さて、Twitterではますます「ceroの新譜」が盛り上がっている。ミナスなどの名も挙がっている。確かに、アンビエントR&Bを単にやろうとしたのではなく、PLMSからの南米の地続きなミナスなどの現代ジャズのビート・アンサンブルに加え、やはりこれを日本語の歌モノ、JPOPとしての、孤高ではあるがイマ鳴らすべき邦楽として成し遂げたのが凄いよな…などと考えつつ、”ただ、単純にこうした「元ネタ探し、イースターエッグ探し」は表現者が望んでいることでは、特に今回に関しては違うよな”と想って。この『e o』という表現に、そのそのものに向き合いたいと。

そして聴く。単純に、とてもブルーな基調が音にある。コロナ禍で様々なアーティストが内省的な作品を書いていたが、私はそれをそこまで聞かず、新旧の名盤珍盤Digなどで騒がしく過ごしていたから、こんな盤の音は非常な異物だった。私はネットとかもあったしコロナ禍3年はみようによっちゃ楽しく過ごした点もあるのだが、cero『e o』で死後の世界のように生体活動が停止した東京の数年間を突きつけられたというか。ここまでシリアスなトーンのアルバムに久しく触れてなかった、楽しい音を聴いてたから。再生した時ぎょっとした。

そういう、このコロナ禍で意識的に遠ざけていたトーン、心象風景に『e o』をかけると否応なく巻き込まれる。それは”こんな世の中だけど頑張ろうぜ!”でもなく、ただ淡々とこの寂寥な世界を記述した歌。その点で『e o』は私の中ではこのコロナ禍以降において実に異質な聴取体験をくれるアルバムだった。

東京が水中に沈んで人がいない中をスキューバダイビングしてる様な、空中を幽体となって浮遊し様々な風景を眺めているような人間存在の不在な都市を観察しているというか、“ああそうか、俺はSNSというネトゲーをしてたけど、物理的には東京は死んでいたんだな”、という感じ。まぁ実際にはこのコロナ禍中私は美術館とかで幾度か横浜から東京都入りしていて都に人の生は存在していることを知っているけど、ミュージシャンの心象風景を目撃したなという感覚が、この盤を聴くとある。

これは歌詞からというか、Apple Musicを流しているだけだったから、歌詞の理解は断片的な中でサウンドとして『e o』を聴いての感想で。その後webに歌詞が載っているのを観ながら聴いて、そう外してなかったなと。「タブローズ」の「ほのめいた鳥たちが燃え広がって木霊して」など思ってたよりTwitterのこととかも歌われていた。「Fdf」をつくったときはコロナ禍本格化前で、当時はもっとメタバースな世界を唄ったアルバムになる予定だったのかなとも思った。そしてパウル・クレーの画の名を冠した「アンゲルス・ノーヴス」で「兆し」として示される「透明な未来」の仄かな希望の調で終わるのと、リリース時期がコロナ禍から脱しようと政策転換後なのも良かったかもしれないというか、コロナ禍真っただ中にこれを聴いたら相当辛かったと思われる。それでもceroの知性は「嵐が来る」可能性を警鐘として鳴らすのも忘れないのも好かった。

ただそうなると逆に歌詞を知ってしまった弱みでサウンド体として洋楽を聴くようには『e o』を聴けなくなって。その意味で、最初にかけたときのあのサウンドの水深の奥行きを堪能できたのはかけがえのない体験だった。

さて、そして先ほどCINRAで高城さんと荒内さんのインタビューを読んで。色々な答え合わせというか、制作の様子や想いが語られていて。コーラスはほとんど高城さんの声のみでつくったのか。そしてなんとFrank Ocean『Blonde』への言及もあって。なんか色々なものが結実した上で、そのアンビエントR&Bという世界観をさらに進化し深化させたサウンドが、涌き出ずる水のように自然と沁み出でてきたのが『e o』というアルバムだったなぁと。いやぁ、すっかり嵌ってしまった。正直に言ってこんなに聴き込んだアルバムは久方ぶりだ。まだまだ聴いてこのアルバムから私なりの解を彫り出していきたい。

by wavesll | 2023-05-26 21:05 | Sound Gem | Comments(0)
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