
『旗本退屈男』(1958)をみました。
旗本退屈男とは小説家・佐々木味津三原作の時代小説および同作品に登場する主人公・早乙女主水之介(さおとめもんどのすけ)の異名で、今回の物語では伊達家のお家騒動に旗本退屈男が関わって…!?というお話。
まぁ話自体は何でもないエンタメ映画なのですが、この市川右太衛門演ずる旗本退屈男などの殺陣の閃きが美しいのと、何しろ三日月傷に必殺技的に技名を唱えるそのケレンみが”これ『るろ剣』の先祖か”なんて思ったりも。
『危うし!!快傑黒頭巾』の黒頭巾役の大友柳太朗に加え、敵役だった進藤映太郎がまた小憎たらしい演技してるし、
『江戸の名物男 一心太助』の中村錦之助も出てるは
『多羅尾伴内』シリーズの片岡千恵蔵も出てるは、まさにオールスター勢揃いといった様相!
昔の日本の映画とか色々アマプラでみてると、イマ漫画アニメでやってるエンタメを実写でそのノリでやってる感があって。逆にイマはそれって実写だとなんか気恥ずかしい感じになっちゃったりアニメの方がいいみたいな感じになっちゃってて。
やっぱり歌舞伎役者とか映画俳優とかとアイドル・モデル汚染されたイマの俳優陣の演技力の地力の差もあるのかなぁ…。
私は漫画は好きなのですが、VTuberとかには、「日本人としての自分の顔が嫌いで、西洋人のような顔になりたい」みたいな感をちょっと感じるんですよね…そういうのって「日本人顔はダサい」という決めつけ意識にもなってる気がして。昔の日本映画には日本人らしい顔で実にかっこいい役者がでていてバッリバリに王道エンタメしてたのになぁ。
ただ、現代の顔を出さないエンターテイナーにとっての「VTuberとしての身体」は黒頭巾あるいはスパイダーマンのスーツのような、ヒーローに変身する装置なのかもとも思って。想えば昔からヒーローには「世を忍ぶ仮の姿」があるものかと。昔は仮面/マスクだったものが今は3Dモデルになっているということかもしれませんね。
『鞍馬天狗』にしても忍者みたいな姿でも拳銃使いだったし、『快傑黒頭巾』にしても
『駅馬車』並みの西部劇ライクな幌馬車騎馬銃撃戦を時代劇でやったし、民謡を中南米のリズムで演奏する
民謡クルセイダースもそうですが、狭量な「日本的」に押し込まれず、その時代の最新の文物を取り入れて「物語」を紡いでるのは令和も昭和も変わらないところはあるかもしれませんね。
とはいえ、『GHOST OF TSUSHIMA』のキャラ造形とか逆に海外視点から日本の素の良さを伝えられるというか、日本人が普通に日本人でルックとしても魅力がある、みたいな自己肯定感を増してもいいなぁと想ったりもするところです。