2014

2019

渋谷ハロウィン、目下抑圧中で、Xなんかみてるととてつもなく毛嫌いされたものですが、個人的には20代半ばからアラサー位まで渋谷で遊んでいた時、再開発でどんどんつまらない街に渋谷が成り下がる中で久しぶりに渋谷発のユースカルチャー、それも半ば自然発生的なものとして注目し追いかけていて。
渋谷ハロウィンは地方から上京した若者にとっては伝統性のなさが逆に参加しやすい「東京の祭り」であったし、そういうものは東京には必要だったのではないかなと想います。
よく「なんで馬鹿どもはW杯やらハロウィンやらで渋谷に集まるんだ」なんて非難が飛び交いますが、個人的にはスクランブル交差点ってオーギュスタン・ベルクのいうところの「広場」として機能しているのだろうなと。今年は新宿のトー横に仮装が移動しているなんて話もありますが、あぁいう一種のアジールを都市は欲するのかもなと。日本人はイキりやウェイな陽キャを嫌いますが、広場での民衆の動きを出る杭として叩くのは本来は権力者側の思考なんだけどなぁ。再開発の方向性といい、渋谷が若者の街でなくなるのは悲しい。
ただ、路上飲みが横行し人が集まっても地元にカネが落ちないこと、それに私自身コロナ禍前の数年間渋谷ハロウィンに通ったのですが、年を経るごとに仮装比率が下がっていって野次馬だらけの人海となり、梨泰院のような事故が起きる前に鎮めある程度制御する必要はあったかなとは思います。本当はチケット制にして回遊型のイベントに出来たら好かったんですけどね。コロナ禍以降私も渋谷自体あまり行かなくなって、今年は「ハロウィンの花嫁で渋谷事変なんだろ」とかなんとか呟きながら家で過ごしてます。



個人的なハロウィンの記憶だと、地元に住んでいた米国の方がやっていた英会話教室がハロウィンの原体験でした。
もしかするとハロウィンもホームパーティーに回帰していくのかもしれません。友人たちで軽い仮装をして誰かの家で遊んだり、或いはこの時期出回るパンプキンビールを飲みながらカウチでホラー映画をみるなんてのもいいかもしれませんね。Blueskyでは十月一杯アドベントカレンダーのようにホラー映画を観られていた方もおられました。
イベントでも、川崎ハロウィンは終わってしまいましたが、飯田橋のセルバンテス文化センターとかでやってる死者の日イベとか、あるいは
浅草ハロウィンそして京都の
百鬼夜行とか多様なものが今展開されているし、日本には元々
お月見どろぼうという風習もあったり、元町では昔ながらの仮装した子どもたちにお菓子とカボチャ風船を配ったりするオーセンティックなハロウィンがあったり。逆に人気のイベントでも
ベルリンでラブパレードが開催終了することもあったし、そんな中で渋谷ハロウィンという奇祭を数年参加し楽しむことが出来たのはいい想い出でした。