岡山駅前はまじで桃太郎ランドだったw
後樂の森
岡山城がみえてきた
天気が良くなってきたので再び後楽園を逍遥してみた。
ペルシャのラスター彩の展示も数多くあり、加藤さんのラスター彩のアートも。ラスター彩をみに岐阜・多治見の幸兵衛窯へも行ったなぁ◎
岡山駅へ桃太郎大通りを歩いたら、こんなファンシーな交番が◎
こんな阪神ファンの飲み屋が。岡山の隣は兵庫だし阪神ファンが多いのかも。
そしてタクシーの運ちゃんから教えてもらった吉備の大古墳展@岡山シティミュージアムへ。
岡山の歴史は古く、弥生時代には津島遺跡などの遺跡がある。南方遺跡の出土品も展示してあった。
そして古墳時代には大和と並ぶ「吉備国」というのが岡山・広島のあたりには存在し、楯築墳丘墓や日本第四位の規模の造山古墳などの重要遺跡群が残る。千足古墳の石障は香川や熊本の石が使われている。
その後時代は流れて、宇喜多氏による岡山の統治、短命に終わった小早川秀秋の統治の後で池田光政・綱政が岡山を発展させていく。
この吉備の大古墳展では津寺遺跡の《鯨面土偶》や楯築神社の御神体の《弧帯文石(レプリカ)》、弥生の《特殊器台・特殊壺》、金蔵山古墳の《朝顔形埴輪》や《囲形埴輪》《建物形埴輪 身舎(もや)》や千足古墳の実寸大石室模型や《巴形銅器》、造山古墳《短甲形埴輪 草摺》やも展示され、吉備の地方が畿内や四国、九州、山陰、北陸、奄美以南そして朝鮮半島や大陸の文物が入り込む古代の一大拠点だったことがわかって。
そして造山古墳以降に大和王権に負けたからか一度急速に縮小し蘇我馬子や聖徳太子の時代に再び吉備は隆盛を迎え、牟佐大塚古墳・こうもり塚古墳・箭田大塚古墳という吉備の三大巨石墳がつくられたとか、8世紀以降に鬼ノ城がつくられたりなど、この旅でみてきた古代岡山の歴史が頭の中で整理されて知ることが出来た。
また塚段古墳からはローマ地域に端を発する重層ガラスや、日本列島で成立した捩り環頭太刀の把頭飾りなども出土している。文化が坩堝のようにクリエイションが起きていたのだなぁ。非常に面白い展示だった。
そして再び岡山の街へ。岡山、そこはなにもかにも桃太郎と化す所。
倉敷に戻ってきた。
倉敷のケーブルテレビ局?でトクもりっという番組をやっていた。
地方のテレビって基本的にポジティブに元気というか、東京キー局の番組みたいにスカしたり性格悪いイジりをしても番組成立させる余裕はないとも言えるが、逆にキー局の番組って脱意味化と外しと「狙い」をやりすぎて、人間性が劣悪な感あるよな。地方局のこのダサいんだけど素直なつくりにはホッとするものある。
先日の24時間テレビの寄付金横領も酷い話だが、あの時のけたたましいネットのDISりの嵐は、日本テレビの今の番組の全体的な意地の悪さが、24HTVに対する「でもお前本心はそんなこと思ってないだろ」感をマシマシにしてるんだろうな。まぁ、今の民放人気番組って「悪意」が全面に出るのばっかな印象。まぁ、横領したのは日本テレビでなく日本海テレビなんだけど。
FIELD OF VIEWのヒトがアコギ伴奏で「DAN DAN 心惹かれてく」歌ってる。
兵庫サンテレビにするとなんか知らない人がカラオケしてた。
サンテレビガールズって赤井珠緒を輩出してるんだよなぁ。
ケンコバのバコバコナイト
東京では消失した深夜お色気番組が地方では生きている。どぶろっくの生着替えコーナーや赤ひげバー、村西とおるって今もTV出てんのかwしみけんも。提供はラブホ会社。“平成か”と思ったが、今は女の子たちはバストトップは出さない。令和スタイルか。しかしサンテレビすげぇな。
それにしても関西圏のテレビ局は東京圏とはコンプラ自由度が違うな。テレビ一つとっても日本各地で世界線が違う。いや、埼玉に泊まったときに
テレ玉でやってたお色気深夜番組あったな。東京、神奈川がガチガチに監視下にあるのだろう。
岡山放送 ミルンへカモン! なんしょん?
岡山は長らくローソンのからあげクン売上全国1位だったが、順位が落ちてしまったらしい。首位奪還企画をTVでやっている。ホントにこういうのなんか首都圏にいたら全く取り上げられないな。岡山のテレビは平和だ。
27時には大体の放送局は放送終了するんだな。さて、明日は最終日。いよいよ倉敷観光しよう。