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道化非モテのホモソ的価値観からの一つの解脱の芽吹きの噺 松ちゃんを想って

松本人志の性的問題が世間を騒がせていて。

松本人志の方のまるで非モテをこじらせたような態度がイマイチわからなくて。若いうちからモテていただろうに。

ただ、そこでホモソ(homosocial)という補助線を引くとみえてくるものがあるかなと。

私自身の話をすると、私はかなり非モテを大学でこじらせていた男で。もっと言えば中高は共学だったのですが、ほとんど女子とはしゃべらず男子校的な仲間内で遊んでいて。その流れで大学でもサークルの男共とつるむことが多かった。

まぁ、学生位までのノリだと”男にウケる「面白いヤツ」”と”女性が想う「面白いヒト」”って異なるんですよ。
男にとっては”どれだけ狂っているか、ダメか”が「面白さ」の基準であるのに対して女性は”小粋で、気が使えて、しっかりしていて素敵で、ユーモアもある”みたいなのが「面白さ」の基準で。まぁこれも一種のステレオタイプな見方ではありますけれども。

私はこの「面白い」の男女の差異を理解していなくて、”俺が想う面白い人”の道化道を邁進したのですが、全くもってモテずw”おかしい、世の女性は「面白い人」が好きなはずなのに…”。いやいやそらそうだろw

これも語弊というかステロタイプではありますが、特に若い女性には”強さ・牙”を示すこと。つまり自分の能力の高さを示すことがモテに繋がると個人的には想いますね。そこいくと”いかにクレイジーになるか”とか”いかにダメ人間か”をやってた自分は逆走していたようなものでした。

また、これはコミュニティの関係もあるのでしょうが、女子とは全く話が合わなかった。というか、ここは私自身が大いに反省すべき点なのですが、女性をまともな話し相手であると想ってなく、”どうせ本当に面白い話をしてもわからないのだから、これくらいのおためごかしを話しておけばいいだろう”みたいな態度をとっていました。そして女性の方からも”ちゃらんぽらんな頼りない奴だ”と軽んじられていた私は、結局大学の時には女性とは深い、肚を割った話をできてなかったように思います。

吉本芸人の間では女性蔑視と女性をモノとしてみる風潮があったなんて記事がありましたが、結局彼らも”どうせ女には「本当の面白さ」なんてわからん”と、女性を対等の存在とみていなかった、性的魅力しかクライテリアを置いていなく、敬意がなかったということではないでしょうか。

中高大と段々とつるんでいた周りにも恋人ができ結婚になり、となっていくと、男の間でも女性を包含した価値観になっていくというか「欠点がネガポジ反転する」でなく「いいものがいい」となっていくのを感じて。

さて、私も血気盛んな輩でありましたから、性欲の関係もあったし、”彼女が出来ないなんて情けない”なんてまた別の問題のあるマチズモな思考からの焦りもあって。でも現実はこれ。辛うじて保っていたプライドが社会に出て鬱になり会社を辞めるに至ることで爆発し、mixiで大学の連中なんかを「資本主義の豚!」と罵って。結局小学校から大学までの交友関係をそこで失って。笑ってしまうのはどちらかといえば遊興をやりまくってた私自身の方が資本主義の豚だったという点でwまぁ笑えないけどw

さて、私は職を色々と移りながら、プライベートでは前から嵌っていたtwitterに没頭するようになります。

そこでのフィロソフィーは「本当に面白いものを探し求める」。つまり、「いいものはいい」をやろうと。それは学生時代にさんざん私を小馬鹿にしてきた連中への焔というか、”お前ら俺が話すことをくだらないと言っていたが、俺が本当に面白いと想うことを探求したらお前らのクソつまらない話などカスになるような面白い噺があるぞ”という、捻くれた復讐心もあったのかもしれません。

そして、それは思いもよらぬ効果を上げたというか、twitterという場で「本当にしたい噺」をしていたら、twitter上のやりとりをする女性が出来てきたということ。それは”どうせこんなん通じないだろう”と不誠実な態度で話していた時には起こらなかった、”本意気の話”をしていたからだからこそだと思うんですよね。

と、同時に、私は趣味の大きなものには音楽リスニングもあるのですが、音楽趣味で上には上がいることを知って。それは質的量的にもそうだし、音楽への向き合い方の真摯さという意味でも私より遥かに「ROCK」してた人が多い。そのフォロイーさんの中には私より若い女性もいました。

たとえ話をすると、不良少年は学校の教師から諭されてもなんの感慨もないけれど、自分が志向するプロの格闘家とかの「強さ」には衝撃を受けるしリスペクトをする。という感じというか。ようやく以て私は自分の小ささを自覚したというか、本当の意味で女性に、性的魅力以外の点で尊敬の念を強く抱くに至ったのでした。

それからまた時が経って、彼女が出来、話が通じる、ディスカッションをして楽しい女性との日々も体験して。残念ながらすれ違ったり別れたり出逢ったりもあって今に至ります。(余談ですが、ここに至ってようやく私は女性と付き合う上で「自分の話をする」より「傾聴する・質問することで話を引き出す」方が遥かに重要なことを知りましたw)

だから、松ちゃんに想うのは、笑いという彼が信奉する強さの面で彼を凌駕するような対等の関係の女性に出逢えなかったのは、松ちゃんの不幸だったのかもなぁと。あまりにも偉くなりすぎて、M-1審査員とか「支配人」的な立場になって、”本意気で面白い噺”をぶつけられる場や人が松ちゃんから遠のいたのも、もしかしたらあったのかも。

例えば昭和の大スターなんかはもっとえげつない噺もありますが今は「伝説」になっているのに対し、松ちゃんが違うのは40年間玉座に君臨し続け、社会の価値観が変遷しても現役のままで昔のアレをやってしまったこと。本当の意味で女性の持つ価値観を共に生きる仲間として自らに取り入れることが出来なかった、アップデートできなかったこと。

希代のお笑い芸人のこんな形の退場は残念無念ですが、まぁテレビの枠は、大樹が消えれば別の枝葉が伸びてくることでしょう。松ちゃんにはまた紳助に会うなり、或いは全く新しいお笑い道を開拓するなり、”この先”を生きて欲しいです。私自身はホモソ社会なゲームから降り、ホモソな価値観やからは全く外れた辺疆に今は暮らしていますが、そこにもまた新しいコミュニケーションやコミュニティのカタチがありました。



by wavesll | 2024-01-16 01:05 | 私信 | Comments(0)
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