Dimitrios Papageorgiou Greek Bouzouki Classics (Album on Youtube) VIDEO
Dimitrios Papageorgiouはギリシャ出身のマルチ奏者/SSW/コンポーザー/プロデューサーでありで、テレビ、映画、メディアの作曲家としても活躍。例えば彼の音楽は、Criminal Minds: Beyond BordersやCSI: Miamiなどの有名なテレビシリーズや、CBSのスーパーボウルプレゲームショー、NFL on CBS、NBA on NBCなどでもかかっているそうで。
そんな彼のアルバム『Greek Bouzouki Classics』をApple Musicでみつけて。ブズーキというとこのジャケの楽器。一聴してみると、これは素晴らしい調べ。
”ギリシャはトルコにも面しているから、どことなく小アジア~中近東な哀愁のメロディがあるなぁ”と想っていたらブルスコのフォロワーさんからこういうジャンルを「レベティカ/レベティコ」というのを聴いて。
レベティコ(ギリシア語: ρεμπέτικο、英語: Rebetiko)は現代ギリシャの大衆歌曲で、通常ブズーキの伴奏でギリシャ語で歌われる。1930年代にギリシャとトルコの住民交換でトルコ領内からギリシャへ移住させられたギリシャ人たちによって始まり、1960年代の民主化の時代に再興があったといわれている。ギリシャだけでなく、ギリシャ語を話すかギリシャ文化を継承しているキプロスその他の世界各地域で歌われている。
とあり、”なるほど、意外にもこれらの伝統を感じさせる音は20世紀の音楽でもあるのか”と想って
イマ、日本でも川口のクルド人の問題や、ドイツでもAfDに関する諸々の話や、トランプによる不法移民強制送還など、移民に対するこれまでの多文化主義幻想へのバックラッシュが起きていますし、私個人としても不法行為をした移民は追放でいいのでは?(その代わりというより、勿論品行方正な移民は無問題)と想いますが、このレベティカの逸話をみても、或いは現代の全球をみても、いわゆるNation-stateを再定義するというか、サラダボウル化すること、第三世界化することと少子高齢化の現状をどう捉えるかへの統治としての智恵が必要になっていると想います。
”伝統”自体も時代によって大きく定義が変わっていく流動的なもの。現在の荒波の中で何をベターと優先順位をつけるかは、それこそ国民的な課題であるなぁと。
それらのシビアな話題の中で私の中での一つの光は、音楽に関してはこういうクロスブリードはその格好良さを深く進化させること。藝術というのは本質的には解放をもたらすもので、と同時に藝術だけでは社会の問題は解決は無論できない無力なものでもありますが、それでも燈火とはなってくれているなとこの哀愁のインストゥルメンタルを聴き地中海世界へ想いを馳せる処でした。