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ル・コルビュジエ展@パナソニック美 生物体な抽象絵画の瑞々しさと文明への慧眼

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ル・コルビュジエ展を観にパナソニック汐留美術館へ行ってきました。

コルビュジエというと国立西洋美術館などの建築で高名ですが、本展でも西美などの建築に関連する展示もあるのですが、主にコルビュジエの画業に焦点を当てた展覧会で。

コルビュジエの画って西美のコレクション展でみたりもしてきたのですが、かなりいいんですよね。本展でかなり堪能できました。

彼のキャリアの初期として紹介されていたのが浜辺の貝殻などを「詩的反応を喚起するオブジェ」してコンポジション的に模写したもの。そういった「浜辺の建築家」時代の作品で、非常にカラフルで、フォルムをデフォルメした《人物》なんて作品も目を引きました。

またコルビュジエと親交のあったジャン(ハンス)アルプ《バラを食べるもの》なんてブロンズ作品も。パックマンみたいだったなぁ◎

そうした自然物をシュルレアリズムの時代に於いてコンポジションとしてつくった作品群もあって。ゆら帝『空洞です』やオウガのジャケを思わせる《ランタンのある危うい調和》やキュビスムの感覚もあったりする気がした《レア》、アメーバみたいなフェルナン・レジェ《緑の背景のコンポジション(葉のあるコンポジション)》なんてのも。金色のジャン・ハンス・アルプ《影のモニュマン》はコンスタンティン・プランクーシの一連の作品なんかも想起しましたね。

そして《マッチ箱と二人の女》《長椅子》にはちょっとマティス的な造形感覚も感じたりも。またこの部屋に飾ってあったジャン(ハンス)アルプ《地中海群像》もまるで融けるように白く透けた大理石による有機体なオブジェで。そして《二人の浴女と漁網》に於いては筆遣いの勢いがそのまま現れるようで、20世紀前半のアートシーンの中心であったフランスの、まさにアートが革命的に進化する空気を胸いっぱいに吸い込んでいる感覚があって

《水着を着た三人の女》や《赤と青の人物》のような素描や、ヴィラE. 1027というアイリーン・グレイがつくった建築にコルビュジエが寄せた壁画の写真展示なんかもありました。

そして《二人のダンサーと旗》!躍動する黒人の踊り子?の絵画。フォーヴ的な色彩の爆発もさることながら、やっぱりフランスという地域性なのかアフリカンな気脈が入ってきてそれがより藝術にパワフルさを与えていると感じましたね

さらにコルビュジエの作品はタペストリーへも向かって。《奇妙な鳥と牡牛》(1957)のモチーフはピカソ《ゲルニカ》(1937)からも影響を受けたのかな?《静物》は非常に未来的な、テクノロジーをみつめる視点も感じて。一方で《誕生日》の二人の少女のタペストリーにはメヒコの壁画性みたいのも想ったり。

また油彩の《静物》にはまるでディズニーランドのピザ屋のようなメカニカルなパン屋をみるような感覚があって。《展覧会ポスター「ル・コルビュジエ 造形芸術 1919~1937」展》や《展覧会カタログ「巴里1955年ー芸術の綜合への提案 ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン3人展」》、《牡牛XIV 東急文化会館の緞帳 下絵》なんて展示もありました。

そこからの色彩の冒険というか《手を組んだ女性》《テーブルにつく人物》も素晴らしいし、木の像《イコン》は舟越桂の《スフィンクス》に通じる気がしましたね。《女と雀》は抽象絵画の域へ及んでいてかっこいい!

コルビュジエは絵画や彫刻、建築と音響の共感覚を創ったというか、欧州な魔法性を感じさせる《手》は本体と共に制作のための素描もあって。《ブルターニュのバイオリン(メタモルフォーズ=バイオリン)》はやはりキュビスムとの共鳴を感じて。「音響的建築」である《ロンシャンの礼拝堂》は模型もありました。

そして次の章ではカンディンスキーとの共鳴が取り上げられていて。

ワシリー・カンディンスキー《全体》はまるで図形楽譜みたいな、宇宙の調和や理を感じる一方でコルビュジエの《アコーディオンに合わせて踊る女性》はやはりアフリカ的な生命の体温があるというか、同じ抽象絵画の方向性でも非常に面白い対比でもあって。

そしてカンディンスキーの《『小さな世界』》のIからXIIまでの連作が展示されていて。個人的な感想にはなりますが、結構印象派をみてきて、ここ数年はキュビスム以降、特にカンディンスキーとかの抽象絵画に興味が向いていたので”コルビュジエ界隈”としてがっつりカンディンスキーを観れたのは嬉しかったです。まる幾何学な使徒のような美

コルビュジエが再びメインになり、彼の建築家としての仕事にも光が当てられて。《ムンダネウム世界文化センター計画、世界博物館(スイス。ジュネーブ)1929年。平面、断面、北西と北東からの眺め》や《国立西洋美術館(東京)1955-59年 19世紀ホールの写真壁画スケッチ》のピンクとオレンジの図もあったり。無限成長美術館というコンセプトがあったのですね。

さらに後期コルビュジエの大いなるモチーフであった「牡牛」シリーズが。《牡牛XVI》は紫の人物が口を上に開けて立っていて。《牡牛XVIII》は水平線や海、船を感じさせるコンポジション、《牡牛(大きな手を伴う牡牛)》は人間の内面・暗部を感じさせて。

そして円熟期の絵画として《大きな手と横たわる裸体》が。仮面性というか、どこかエジプトのミイラみたいな。そして《トーテムIII》はモニュメント性、勿論ネイティヴアメリカンだけどオベリスクにも通じる感じ。 

そして展覧会も終盤、インド・チャンディガールで都市計画に携わった頃の作品は《手》や《女のいるコンポジション(ウルミラー・チョードリーへの献辞入り)》などインドの砂の色を彷彿とさせて。この頃関わったインド初の女性建築家ウルミラー・エリー・チョードリーとの《チャンディガール都市計画(インド、チャンディガール)1950-65年 知のミュージアム計画案 電子知識研究所の4部門の平面図》もそうでしたね。

そして上映される《映像インスタレーション「電子の歌」》、原始から核戦争を経ての未来への啓示。文明というものがもたらす混乱については《論考「やがてすべては海へと至る」》に於いても語られますが、後の情報通信まで予見するような、テクノロジーに関する慧眼がコルビュジエにはありました。

いわゆるこういう抽象絵画とかシュルレアリスムから至っていく20世紀のArtは、どこかオジな感じがして今までそんなにハマらなかったのですが、コルビュジエの、ピカソやマティスも血肉化したようなArtたちには凄い瑞々しさを感じて。20世紀Artが今フレッシュに眼前に現れてきてくれた気がしました。

cf







by wavesll | 2025-03-17 12:00 | 展覧会 | Comments(0)
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