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かつて若者だったことを忘れないようにしたい

エレファントカシマシ「コール アンド レスポンス」MUSIC VIDEO

先日、Xのトレンドで「排外主義」とありクリックしたら右翼も左翼もかまびすしい

俺も喚いてしまっているが、高市が体制なのに右翼が喚くのは意味不明な處がある
左翼が喚くのは分かるというより、俺は保守って“永遠の微調整”だと思うので高市にフリーハンドでやらせるより監視・批判の左翼は必要だと想

何度か書いてるが、俺は「本気で移民をやるなら共生のルール、『ここまでは許可、ここからは許さない』の社会的合意が必要」と思うし、これは逆に言えば「移民と暮らす為にここまでは譲る」のを決める事だろう。まぁ、俺ですら極左からは大批判で「排外主義者!」と罵られてしまうSNS空間ではあるが…

ちなみに「ルールを決めお互いに守らせよう」と言うと特に左派・リベラルにニーメラーの「彼等が最初共産主義者を攻撃した時」を挙げてドミノ理論を言われる

が、そんな彼等が煙草規制でWHOを大々的に批判しているのは見掛けない。今はアルコールが叩かれ始めている。Wokeなドイツ人もソーセージが叩かれ始めたら気づくかもだが

また左派・リベラルは高市を女性の代表だとは見なさないし、クルド人は弱者だけどクルド人の被害に遭って引越ししている人たちは弱者とは認めない

リベラルは野放図な「自由」を志向するが、実際は彼等も「線を引い」ていて、どう社会的なコンセンサスを形成するかが問題なのだ

それにしても石破の時より高市が大幅に支持率上げている。特に若者層だと80%超えてるらしい。俺は石破結構好きだったから、何でこんなにも石破が支持率低かったのかは謎だなと思うんだけど、そんな俺も小泉旋風には踊らされたからなぁ

小泉も「自民党をぶっ壊す」と言って、北朝鮮から拉致被害者取り戻して。あの頃は俺も安倍すら支持していたな。そして高市も拉致被害者家族に面会するらしくその線を狙ってるのだろう

小泉政権時、高村薫が「小泉宰相の空虚な言葉」という一文を週刊誌に寄せていて当時の小中くらいか?の俺は高村薫は好きだったが、なんかムカついていた

が、結局歴史的には竹中の悪行といい小泉はクソだったわけで

これからも言えるけれども「攻撃的」で「特に外国にタカ派」で「ネオリベ的な自助努力」で「親米」は基本的にはかなり人気になるのだなと石破内閣は「中国のハニトラ」とか噂を立てられて

戦後日本人の間でアジア差別というか、中韓蔑視はあるだろう。またメディアなどが中韓に浸食されているという不信も根深い

と同時に外国人との軋轢、特に今だとSNSで拡散されるバッドイメージに対して「弱腰」なことが非常に政権の支持率を下げてしまう

結果、コメを減反し労働時間を拡大する高市が人気になってしまう、ブラック過ぎるのに

外国人に「忖度」という国粋的な批判を乗り越え、多文化共生をやるフェーズにはあると想うが、やっぱりそうなると不良外国人にきっちり罰するというのは、きちんとしている外国人を悪評から守るためにも必要かなと想

結局安倍・菅の観光立国路線で技術革新から背を向け学術研究へのカネを減らし続けたのが諸悪の根源な気もするけどね。外国人観光客と移民は違う問題なんだけど、迷惑外人問題としてごっちゃにされてるのもこじれる原因で

日本の基礎体力を上げるには、俺は根本的にはイノベーション促進しかないとは思うけど、その前段として迷惑外人問題を場合場合で切り分け、各個解決していくしかないだろうなと

まぁ何となく思うのは十年後今の小泉竹中みたいな感じに高市維新時代が黒歴史化しそうだなということだけどね…

それにしても読売と共同通信等の世論調査で反省というか、世論を俺は全く読み違えていたな。辺境暮らしの弊害だがSNSとTV新聞ラジオをみているとウヨってる俺が四面楚歌かと思ったら、日本の世の中で四面楚歌の中で頑張っていたのは左派リベラルだった

オールドメディアが全く庶民に支持されてないというか、あの日もNHKの画角や読売のグラフが指弾されてた。マスコミは庶民を馬鹿にし、庶民も馬鹿だが今はマスコミの手口を指摘する人がいて拡散される

大枠ではマスコミの高市叩きは正しいが前から思うのだが何故左派リベラルは「奈良の鹿やクルドとか外国人問題は全てデマ」と言うのか。あの戦略で大損してる

馬鹿な庶民は大局は読めないかもしれないが、明らかな矛盾(マスコミの小手先の捏造)や不合理(何故欧州で失敗した移民政策を周回遅れで追うのか)は理解できるため嬉々として指摘し盛り上がる。そういう庶民の頭の悪さの方向性をオールドメディアは読み間違い、時代に合わないメディアコミュニケーションをしたのでは

最近はDS?要は陰謀論が花盛りだが、結局全マスコミがしんじろーを総理に推したり「黒幕の意向」を感じさせすぎちゃうんだよね。その「黒幕」は自民党の長老かもしれないしTV局のお偉方かもしれないというか「良識」なのだろうと思うけど、良識を実現する為に都合の悪い事を握り潰し過ぎて不信が生じた

マスコミは根本的に信頼回復というかコミュニケーションの仕方を考え直さないと今嫌われすぎてるだろ…どーすんだこれ…という感じ

草津温泉のあの件でもそうだけど、極左の「謝ったら死ぬ病」は、極左は理想追求が過ぎて一欠でも瑕疵があったら「正当性」を失い内ゲバで粛清されるのかもな。だから「迷惑外国人問題は100%デマ」と主張せざるを得ないのかもな…

本当は程度問題で、大勢で勝てた處を負けている…マジで林が勝てば好かったなぁ…てか、左翼が自民に投票してればぎりぎり過半数とれて石破で行けたのにと思ってしまうなぁ

高市を支持する若い方々にどのように話せば伝達出来るかは熟慮したほうが良い。傲慢な左翼仕草で「馬鹿なお前らに指導してやる」じゃ逆効果。俺は、俺自身が若い時小泉純一郎ブームに乗った事を覚えているから、彼らの心を頭ごなしに叩く人は昔の記憶を消去してるか、極左なんだなと思うなぁ

若い時分を想い出せば、若いだけでナメてくるオジオバたちにムカついていた。また「年金を払っても1/3も帰ってこないとデータ分析で出ているのに、全くそれが両親にすら話が通じない」ということに激怒していたところもあった

実際にアラフォーになると「若者VS高齢者」の丁度中間点にいるからか、実際はゼロサムゲームというより、きちんと老人福祉にカネが回らないと介護離職など若年層の人生にも悪影響が出たりすることが、実の親の年齢や祖父母世代を考えるとみえてきたり

また、これは若い内に非モテだったひがみも入っているかもしれないが、若者は政治家に対し「見た目」がしゅっとしているかが相当に重要項目というか、それくらいしか理解できないから、若々しい参政の神谷や維新の吉村、兵庫の斉藤、また自民の麻生を支持し、見た目がネチョっとしてた石破を毛嫌いしていたのでは…などとも想ってしまったり

まぁ↑の意見も「愚かな若者論」になってしまう。もし自分が若者だったら、そういう言動の人間は「オジ側」であり「若者側」でないから”そもそも対話(という名の思想の押し付け)なんかには乗らないよ”という感じではないか

これは俺自身も、移民問題の話をXの音楽好きとかBlueskyのフォロワッサンと話題に出した時に四面楚歌というか、彼らの思想というか理念に外れることはまるで無視されこちらが愚かだと批判されていることで、気持ちは分かる

と同時に、選挙や支持率の数字が出ているように、四面楚歌なのは彼等で、コミュニケーションで工夫をしなければならないのは左翼なのだが、「私は正しいことを言っている、お前らはOUT、ならぬものはならぬのです」一辺倒なコミュニケーション流儀、こちらの「お気持ち(皮膚感覚のリアル)」を彼らの「お気持ち(理想的社会像)」で捻じ伏せようとしてくる態度は「自明」と「自明」の衝突で「対話」とは真反対の事態で、今後オールドメディアを観ずにSNSで情報収集する世代が選挙権を得てテレビ新聞世代が現世からOUTしていくことを考えると、非常に由々しき時代だなと想

今はロックも「ダッドロック」なんて呼ばれて、若者のリアルな音楽のキングの座からは外れた感があるが、自分が中高生の頃は今も「ロッキン」で知られるrockin' onが推していた「ロキノン系」が人気だった

その中でも俺はエレファントカシマシが大好きだった。今では「おもしろ歌うまオジサン」として茶の間にも人気な宮本浩次がバッリバリに危険なくらいにロックしていた

その頃のエレカシの曲に「コールアンドレスポンス」という曲がある。同時期の「ガストロンジャー」と同じく、エンタメと政治の垣根を越えてミヤジが煽る!煽る!

もっと俺に輝かしい未来を!我等に都合のいい法律を!我等に都合のいい世界を!生命死刑宣告!

この超攻撃的な姿勢、破壊的なアティチュード、そりゃ中高生は心酔する。と同時にこれは『GO!』を演じた窪塚が『凶気の桜』を演じるという、若者のメンタリティに於ける”自分の中でゼロベースで一回線を引いて、そこから考えたい”という思想性が当時のミヤジとの共振にもあった気がする

ただ、大人としては「破壊」だけでは駄目で、「今まで」との折り合いをつけることが「責任」ではないかと思

高市は「非核三原則」は「邪魔」と安保三文書から削除を要請を著述していたと赤旗が描いていた。現実として米国が日本に核保有を許すとは思えないが、世界唯一の戦争被爆国として、核保有志向は日本の歴史性の否定ではないかと想

物事を深く知りシステムを理解すると、おいそれと動かせなくなっていくのは分かる。俺も保守化した

と同時に、今も宮城県知事選挙で暴れた参政党に”何か変えてくれる”と期待する若者たちに”希望”を感じられる法というか、若者に都合のいいように老人側が”我慢し譲る”こと、そしてエスタブリッシュメントやマスメディアそして左派・リベラルが蔑視している”相手”の”お気持ち”に理解を示すというか最低限”話せる相手”と見做させるように努力することは、コミュニケーションの最低限の第一手ではないかなぁと

100or0でなく、「程度問題」の「程度」を対話していく、「理想」の強硬な実力行使の衝突な蛮行でなく、話し合いで「落とし所」を探ること、大人として譲ることと主張することの押し引きが出来なければ「共生」なんて絵に描いた餅だなと

世代間対話において、かつてThe Youthだったこと、The Foolishだったことを忘れないようにしたいと想うなぁ

by wavesll | 2025-10-27 18:39 | 私信 | Comments(0)
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