Metropolitan Opera Orchestra – Wagner: Ride of the Valkyries - Ring (Official Video)
バイエルン国立歌劇場「ニーベルングの指環」(1989年) 前夜祭 楽劇「ラインの黄金」第一夜 楽劇「ワルキューレ」第二夜 楽劇「ジークフリート」第三夜 楽劇「神々のたそがれ」をみました。全15h位の長編オペラ、滅茶苦茶面白かった!
『指環』に関する物語なので、”あぁこれが『ロードオブザリング』の原型か”と想いつつ先ず面白いのはこの物語に於いて「絶対的な存在」はいないということ。ワルハラ(ヴァルハラ)で世界樹(ユグドラシル)と暮らすウォータン(オーディン)等の神々の一族も、地に暮らす巨人も、地下に暮らす小人もそして勇者ジークフリートも完全な善でも全知全能でもない。ここが面白い。そもそもの始まりはウォータンが巨人に城をつくらせた見返りにラインの黄金とそこから造られた指環を与えることになったり、神も「契約」に縛られて
そしてこの「指環」、ラインの黄金を守る三乙女たちから、ニーベルング族の小人が、「性愛を捨てること」でモノにするという。この三乙女たちのホヨホーハヤハーという何とも無邪気に美を謳歌する謡と、陰キャで醜い小人の対比。そして暗躍するローゲ(ロキ)。前夜祭から神々の黄昏の予兆はあって
北欧神話の神々もギリシャ神話の神々の様に一種の人間味があり、ウォータンはゼウスのように各地に子種をつくって。その一族の内のジークムントを味方しようとするのですが、それを正妻に詰められ、泣く泣く断念。ところがウォータンが他の女とつくったこれまた娘のワルキューレ(ヴァルキュリア)、ブリュンヒルデが本来のウォータンの意思を尊重したスタンドプレイをして
この「ワルキューレ」のテーマがひときわ有名だし素晴らしいメロディーですよね。さらにこの若き乙女のワルキューレたちのホヨホーハヤハーが入って素晴らしくて
その上で、このブリュンヒルデに対して、ウォータンが激怒します。本来の自分の意向はあったとしても、王権というか神権、父性、一種の企業人として最愛の娘を罰せなければならない板挟みと、単純に歯向かったことへの怒り。ここがまた面白い。
この面白さをさらに深堀すると、「自由意志」の論点が浮かびます。指環の力によるラグナロクに対抗するには、己の息がかかっていない自由意志を持つ勇者が必要である。しかし自由に勝手に動くことには激怒する神というか父としてのウォータン
さらにこの観点は伝説の剣「ノートゥング(バルムンク)」を手にした勇者ジークフリートの物語にも反映されて。ウォータンは契約から自らの手助けは間接的にしか出来ず、一種すべての未来を見通しながら、出来ることは限られている。ジークフリートを自分の闇の欲望で育てた小男の父も、数多の知識がありながらも、自らではどうにもならない巨人が変化した大蛇に対してジークフリートを使ってなんとかしようとしている
この一種予定説的な物語展開というか、「運命が定まっていることは分かりつつも偶発的な未来に賭けてやれることをするしかない大人」というものは現代的な意味を感じて。
私は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を読んだときに”お釈迦様はすべてを認識しているなら、失敗すると見通せるのに何故カンダダにチャンスを与えるのか?逆に残酷では?”と想ったのですが、多神教世界に於いては「神もサイコロを振る」んだなと。このジタバタするbyアバン先生なアティチュードは、例えば気候変動とか人口推移とかで絶望的な未来がみえていたとしても”やるだけはやるんだよ”という意気に繋がりますよね。ウォータンはラグナロクを予期しそれを由としながらも、出来うることは賭ける
その上でこの『ニーベルングの指環』はボーイ・ミーツ・ガールの物語でもあります。というか中盤からはそれが主なテーマにもなって。これはワーグナーが男だから男側からの視点からかもしれませんが、性愛は男女のIQをゼロにしてしまう。特に女性は。その上で「女性のキャリア問題」とも読み取れたり、物語には様々な示唆があって
ここまで神々とか勇者とかの超越的な存在の物語だったのが最後の第三夜において、一気に人間たちがメインで出てきて、男女の愛憎の話になってちょっとつまらないのですが、ここで暗黒武術会の左京みたいな奴が出てきて、実は人間の間で妖怪が暗躍するみたいな展開になって面白くなって。こうなると俄然ハラハラしてくるというか、物語は「最強のジークフリートをどう殺すか、果たして殺せるのか」というところに収斂していって
この物語自体が大いなる死に繋がっていく展開、勇者が闇落ちする展開とかは「『MONSTER』のヨハンってこれが頭にあったのでは?」とか想ったり、”そもそも育ての親になんの愛情も持たなかったジークフリートの歪みというか、これは「毒親の物語」でもあるな”と。自分の息子・娘に未来を託し、己でなく子世代が「勇者」であるというのはDQ5にも通じた世界観。先の「自由意志」も含めて『ナウシカ』や、「父殺し・神殺し」という点では『エヴァ』にも補助線として引けるというか、数多の物語の根幹として『ニーベルングの指環』は存在しているのだなと。
その上さらに言えば、「指環」は劇中で、例えば媚薬的な魔法のように作用するというよりは「価値」そのもの、もっと言えば「M(マネー)」の象徴として作用していたように感じました。
本当に15時間通した満足感がありました。私も20代の頃とかは南米などのラテンに魅惑されたのですが、トシ食ってくると中南米を愛しながらもゲルマンに魅力を感じるようになったり。15時間の物語で丁寧にそして大胆に積み上げられたエートスの結実がこの物語にはありました。