なんか最近、生成AIの話題がホント多いですよね。しかもシンギュラリティ気味というか、人間の脳を超えてくるような話
上に載せた「AIのやりすぎで頭がおかしくなっている」というはてなブログの記事を読んで先ず想ったのは、LLMのAIとチャットをすることはSNSよりも「うそつきかがみ」に依存するようになるのでは?ということ
私はコロナ禍以降すっかり飲み会に顔を出すのを辞めてしまって、唯一に近い友と毎日LINEをしているのですが、当然気の置けない間柄ですから、朋は私の書くことに異論も言ったりとか、あるいは私の出すネタをスルーしたりとかも普通にするものなのです。私も私で好い感じにリラックスして相対している感じで
一方で、私はXとBluesky合わせて3000人近いフォロワーがいて、それだけいると気が合うというか大概のネタに「いいね」のリアクションが誰かしらか来て嬉しかったり。それでも、私はかなり政治的にスレスレなことを書くので、TL/SLの和を乱すというか全肯定はされませんし、或いは私の場合ラジオを聞き過ぎていたりテレビを見すぎていたりして、前提知識ベースでTL/SLの人と完全なツーカー状況では無くて
まぁ「持っている知識・経験が異なる」なんてのは対人コミュニケーションの基本ですよね。考えが違うことも当たり前の事。趣味とかでもコアになればなるほど「話が合う人」は減っていきますからね。
でもそこに「全く自分と同じか凌駕する知識量があり、自分の考えを全て肯定し補強・拡張する相談相手」が現れたら?それはもしかすると私が心の奥底で持っていた「話の価値が全理解できる対話相手」という欲望を満たす存在かも知れません。しかし、非常に危険な、ズブズブに依存してしまう恐れがあるのでは?
元々、Twitterからして、いわゆるリアルのコミュニティでは通じないような同好の士と繋がりやすいサービスで。いいねも脳内麻薬を誘発しやすく、この時点ですらフィルターバブルとエコーチェンバーで依存し易い傾向があるというのに、これがマシンとして超強化されたらと考えたら、”これは危ないぞ”と
マクルーハンは「メディアは身体の拡張である」と述べていましたが、その拡張が脳のキャパを超える段階まで来ている感じが件のはてなブログからは観れて
また四六時中AIとチャットをするというような記述は、昔にNapsterとかをめいっぱい動かしてないと損した気分になっていたことを想い出したり、あるいは脳疲労の話だと、一時期倍速視聴に嵌ったのですが、倍速視聴しながらスマホもながら見とか長時間やる休日を過ごすと休みのはずなのに全然脳が疲れ切ってしまったりしたのを想い出しました。インスタを無数に登録すれば思考停止で脳内麻薬が延々出るようなショート動画などの環境が構築できますしね。
さて、そんな、ドーパミン中毒により馬車馬のように脳のクロックを上げオーバーフローさせ依存させる「ひみつ道具」の話に思いを馳せた時に浮かんできたのは、旧劇エヴァのラストシーン

すべての人類がLCLに溶け「究極の一致」ではなく、あの時にシンジはアスカに「気持ち悪い」と拒絶されます。この「世界が自分で埋め尽くされる」のではなく、「個人」の関わり、時に自分の意見が否定されたり不一致が起きることこそが、一つ愛のカタチであるというメッセージ。異論や苦言を呈してくれる人のありがたさというか、旧劇エヴァの思想は、このLLMの時代、様々な社会人がレプリカントのように見分けがつかないAIに置き換わっていくであろう現代に、極めて鮮やかに”人間性”を照らし出している気がしますね。
あなたもロボットになれる feat. かもめ児童合唱団 / 坂本慎太郎 (zelone records official)