このあいだ高速教習をしてきたのですが、その時受けたアドバイスは実感として受け止められるものでした。たとえば「高速移動中は少しの動作が大きな変化を及ぼす」なんて、権力や責任を持つ人間が知るべきだし、「遠くを見て、先を見れば危険を予測できる」というのは普段の生活や、活動にも使えそうです。あと、「高速に麻痺していく」実感というのも、気が付けば周りがついていけなくなっていたみたいなことにつながりそうです。勉強になりました。また、教官が言っていた「運転は少しずうずうしいくらいがいい」ってのは人生における座右の銘にしようかと思うくらいのいい言葉だと思いました。
このような、動作の中に見つけられる思想は非常に有用だなと思いました。
他の例では、たとえば『20世紀少年』の神様が話すボウリングにまつわる人生訓なんかもそうですね。「ボウリングのレーンていうのは幅1.06メートルだ。みんなストライク狙ってボール投げるわな。誰だってボールをレーンに放つ瞬間は、気持ちは真ん中だ。だが、最初の角度が2,3度違うだけで18.28メートル先のピンのところまで行くと、えらい方向違いになっちまう。ヘッドピンから、横の溝まで53センチ。ストライクとガターの違いなんてのはたかだかそんなもんだ。」なんていいなぁと思います。
思想に裏付けられた動作、つまり型というのは非常に重要だなと思いました。
さて、
Ploject::Logistica第二回のお題は「職業病」でした。その中で、筆者たちは自分の更新の型や癖を語っていました。
ゆつきさんは「ちょっとしたことをメモしているので雑学としての知識のまとまりがたまっている」と語られ、
香陸さんは「ニュースサイターとしての心意気とニュースの順番の癖」を語られ、
もそさん&yujiroさんは「すべてのことに対してこれはネタになるかという視点で接してしまう」と語られ、
わんこさんは「常に新しいネタを探してしまう」と語られ、
みひろさんは「とりあえずリロード」し、「GoogleやWikipediaに繋がらないと不安に」なり「海外ニュースで画像が無いニュースはとりあえずYahoo.comで検索」し、「この記事はあのサイトが拾ってそうだなと勘ぐってしま」い、「雑記部分に書く事を常に探そうとしてしま」い、「モノが増え」、「損得勘定だけのメールがなんとなく分かる」と語れられ、
セミマルさんは「ネットがないと 死んじまう」「更新しないと 落ち着かない」「今日も あの娘に だまされる」「あのネタ 今ごろ 流行ってる」「こころは いまも しょうがくせい」「馴れ合い ウザイと 怒られる」「動ナビ爆撃 ちとビビル」「ちょっとの つもりが 午前様」「セカンドブログは 放置気味」「サイト論には 飽き飽きさ」「たまには 語って みたくなる」「今日も 今日とて 更新だい!」と語られ、
としさんは「明確にサイトで取り上げるためのネタを探しに行くというスタンス」と「真偽のほどが気になる。」と「技術的な話題と表現方法をリンクさせてしまう。」と語られ、
まなめさんは「ウェブサイトはインターネット大好き人間の副産物である」と語られました。
駄目天邪鬼の
僕だけは大暴投していたのですが、動作と思想という観点で言うと、
サイト初心者のサイト更新メモあたりなんかはリンクしてくるんじゃないかと思います。僕自身はこういうサイト論のなかでも書いた本人の人生観が投影されているものが好きなので、今回もついついそういう感じに読んでしまいました。